映画『Michael』のあとに始まった、私のマイケル展
映画『Michael』を観てから、やっぱりマイケル・ジャクソンのPVを見続けている。
最初は、映画の余韻だった。
でも気づけば、衣装の解説動画まで見ていた。
スリラー。ビリー・ジーン。ブラック・オア・ホワイト。ヒール・ザ・ワールド。
そして、彼の衣装を25年間作り続けたデザイナー、マイケル・ブッシュとデニス・トンプキンスの話。
不思議だった。
やっぱり、私はマイケルのことをよく知らなかった。時代的に、音楽はつねに背景にあったんだろうけれど。
改めて曲を聴くと、美しい曲が驚くほど多いことに驚いた。こんなにバラードを歌う人だったのか。ロックな時の声と、バラードの時の声が違うから、もしかしたら、別の人として耳に届いていたのかもしれない。
衣装が、一着一着、作品だった
たまたま見つけたマイケルの衣装についての動画が、圧巻だった。
衣装の背景を知ると、一着一着がまるで作品に見えてくる。
マイケルの体型は25年間ほとんど変わらなかったらしく、デザイナーたちは同じボディトルソを、まるでキャンバスのように使い続けたという。
注文の仕方も独特だった。
細かい指示をするわけではなく、イメージだけを伝えて、あとはデザイナーの試行錯誤に任せる。出来上がった衣装を見て、子どものように喜ぶ。
一番好きだったエピソードがある。
ある夜、マイケルが深夜に電話をかけてきて、「世界中の誰もが一目で分かるもの」が欲しいと言って、電話を切ってしまったという。デザイナーチームは一晩考え、ミッキーマウスを提案するが、「僕たちのものじゃない」と却下される。
答えにたどり着いたのは、昼食の席だった。テーブルの上のカトラリーを見た瞬間、ひらめいたという。ナイフとフォークなら、世界中の誰でも知っている。
そうして生まれたのが、銀のカトラリーを縫いつけた、あのディナージャケットだった。
完成した衣装は、動くたびに金属音が鳴り、マイケルはそれをリズムのように操ったという。
知らなかった。
衣装はオークションにもかけられ、その売り上げはチャリティーに回されていたという。
マイケルの50年の生涯に、感動した。
それは、展覧会を観る感覚だった
それは、美術館で展覧会を見る感覚に近かった。
私は印象派などの企画展によく行く。そうした展覧会では、一人の画家の初期から晩年までの作品が並ぶ。
若い頃の絵。模索している時代の絵。評価された後の絵。晩年の絵。
一枚一枚を見ているようで、実際にはその人の人生を辿っている。
「ああ、この頃はこんな色を使っていたんだ」
「ここで何かが変わったんだな」
そんなふうに。
だから、マイケルもゴッホの一生を映像で見ている感じだった。
PVを一本ずつ見ながら、音楽性の変化と映像の変化を追う。衣装を見ながら、そのこだわりと、重さを抱えながらダンスをしていたことにも、敬意の念が湧いた。
最期の衣装も、彼らが選んだ
2009年6月25日。マイケルの死が発表された日。
長年衣装を作り続けてきたマイケル・ブッシュが最初に考えたのは、これまでの衣装を守ることだったという。誰かに盗まれ、転売されることを恐れたからだ。
その1週間後、家族から電話が入る。
マイケルの最期の衣装を選んでほしいと。
ブッシュは、これが自分にとって最後の大切な役目だと感じたという。
25年分の記憶をたどりながら、デニス・トンプキンスと共に、マイケルが最も愛していた一着を選ぼうとした。あの白いパールのジャケット。
でも、その衣装はどこにも見つからなかった。
だから、型紙から、もう一度仕立て直した。
ズボンは、愛用していたリーバイスのブラックジーンズを改造したクリスタルパンツ。足には、彼が愛した踊るための靴。そして、彼が「王者」だったから、と選ばれたゴールドのチャンピオンベルト。
最後に、ロンドンで英国王室の王冠を調べてデザインした、金色の冠を置いた。
数々のミュージックビデオで、いくつもの王冠を被ってきたマイケル。
でもこれは、彼が一度も被ったことのない、新しい王冠だった。
彼らは、これを別れの儀式にはしたくなかったという。
戴冠式にしたかった。
完結した人生だから、見える線がある
もしマイケルが今も生きていたら。もちろん、その方が良かったと思う。
でも50年という人生がひとつの形として完結したからこそ、私たちはそこに一本の線を見ることができる。
人の人生を、一つの作品として眺めることができる。
小さな自宅の壁に映しながら、私は一人のアーティストの人生を巡る展覧会を歩いている。
最後の部屋まで来て、ようやく分かった。
彼はずっと、誰かを喜ばせるために生きていたのだと。
・マイケル・ジャクソン衣装解説動画
・マイケル・ジャクソンPV集