Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

ほしのやしろ

何者でもない自分と、無限の可能性

2026.06.20 20:55


 私たちは、それぞれ異なる視点を持っています。

 同じ出来事を見ても、 同じ言葉を聞いても、 受け取り方は人によって違います。 

 

それは、その人がこれまで歩いてきた人生や経験によって、世界を認識するための「パーツ」が違うからです。

 例えば、「神様」と聞いた時。

 ある人はイエスを思い浮かべるかもしれません。

 ある人はギリシャ神話のゼウスを思い浮かべるかもしれません。

 日本人であれば、天照大御神や大国主命を思い浮かべる人もいるでしょう。

 

見えないものや感覚的なものほど、 私たちは自分の中にあるイメージや知識を使って理解しようとします。 

 つまり、私たちは自分の知っている世界の中でしか、世界を認識できないのです。 

 だからこそ、 人生を豊かにするひとつの方法は、 「自分の中の表現のパーツを増やすこと」 なのだと思います。 


 本を読む。 旅をする。 自然に触れる。 神話を知る。 誰かの人生に耳を傾ける。 

私は映画やドラマを見るのが好きです。


 そうして自分の中に新しい視点が増えるたび、 世界の見え方も広がっていきます。 


 そして、イメージできるものは創造へと繋がります。


 創造とは、何もないところから突然生まれるものだけではありません。

 自分の中にある無数のパーツが組み合わさり、 新しい形として表現されるものだと思います。

 

 

 私たちの中には、あまりにも多くの可能性が存在しています。 

 もし全てを同時に検索し、 全てを同時に表現しようとしたら、 かえって何も選べなくなってしまうかもしれません。 

 だからこそ必要になるのが、 「何者でもない自分」 です。 



 何者でもない自分とは、 役割でもなく、 肩書きでもなく、 過去の成功や失敗でもなく、 ただ静かに存在している中心です。


 その中心から眺めると、 

 かつて怒った自分も、 傷付いた自分も、 喜んだ自分も、 夢を追いかけた自分も、 すべてが経験として見えてきます。 


 何者でもない自分は、 何者でもあった自分たちを否定しません。 

 むしろ、そのすべてを抱きしめています。 そして、その膨大な経験や智慧の中から、 今の自分に必要なものを選び出してくれます。 

 その時、 過去の経験はただの思い出ではなくなります。

 それは新しい行動を生み出すための種となり、 新しい視点となり、 新しい可能性となります。


 私は、その瞬間こそが 「芽吹き」 なのだと思っています。


 何者でもない中心から、 無数の可能性の中のひとつが選ばれ、 新しい自分として芽を出す。 人生とは、その繰り返しなのかもしれません。

その一人一人の芽吹きは、世界を新しくする鍵ではないでしょうか。

それは、ギリシャ神話にある、神には出来ずに半神半人にしかできないことというのが、

これにあたるのではないかな、と私は思っています。