未加工のまま
今年の夏は、少し心理から離れてみる時間も作りたいとふと思った。なんだか疲れてきた。
何でもかんでも心理の視点から物事を見ていると、自分のほうがよっぽど患者(クライエント?ユーザー?もうなんと呼んだらいいか分からん)よりも認知の歪みを抱えるようになっていくのではないかと思えてくる。
そのままを見ることの難しさというのがある。
1歳の息子のほうがよほど世界を正確に見ているのではないだろうか。
絵を描くこと、歌をうたうこと、笑うこと、
今日初めて買ったアーモンド効果の香ばしコーヒー味が美味しかったこと。
言葉にするとむしろ零れ落ちてしまうものたち。
もう一度そのままの形を見に行ってみたい。
と思いながらここで言葉にしているのはどういうことなのか。
“ことばはさんかくで
こころはしかくだな
まあるいなみだをそっと ふいてくれ”
昔好きだった歌詞である。
なんとなく今ここに引用したくなった。
どういう意味だったのかなと思って詳しく調べかけて、やめた。
そうやって誰かの解釈を借りることに慣れてしまっていて、
自分のフィーリングがいつの間にか奥に隠れて行くようだ。
殆どのことは、なんとなくで良かったはずなのに、
他者と共有するために全てを言葉にしなくてはならないと思ってしまう。
言葉を使う仕事を選んだのだから、言葉を放棄するわけにはいかない。
けれども言葉によって私たちは勘違いをする。
勘違いがたまに諍いとなるので、
やはり言葉というのは罪深いものだと思う。
だけれども言葉というのは宙に浮いたテーマを着地させる力を持つ。
本当は形のわからないものを、なんとか整形させながら他者と暮らしている。
そして時には相手の望む形にして渡すことで互いを支え合ってもいる。
この文章の着地点は見つかっていない。
たまには宙に浮いたままでもいいかなと思う。