踊りの冬
私は楽しいから踊っているわけではない、と最近理解した。
私にとって踊ることは、楽しいこととは少し違う。
7歳からずっと休まずに踊り続けてきて、踊りは私の中では呼吸のようなものだ。
私は、生まれてきた意味というのは、踊りを学ぶことを通してこの世界を学ぶということなのかもしれないと、最近思うようになった。
踊れば踊るほど、自分の稚拙さや脆弱さを思い知らされる。
喜びとはほど遠い感情に、毎回さいなまれる。
どうしてこんな苦しいことを、わざわざしているのだろうとよく思う。
踊りは楽しみではなく、苦しみを知る術のようなものだ。
けれど、踊りに関わり、踊りを仕事にしてきた中で、
苦しみだけではないものも確かにあった。
喜びや、自分の生きている意味のようなものを感じる瞬間もあった。
踊りは、私にとって世界の縮図であり、世界そのもののように感じられる。
かつては、踊ることが仲間との喜びであり、自分にとっての楽しみでもあった。
そんな時期も確かにあった。
だが今は、全く違うものへと変容している。
踊りは、自分を探求するための一つのツールであり、
自分の未熟さを知るきっかけであり、
丁寧に掘り下げ、見つけたものを伝えるための手段となった。
朝の練習の時間は、昨日の自分と向き合い、
ほんのわずかでも一歩踏み出すための時間だ。
踊りを続けてきて思うことは、
私にとって「踊っていて楽しい」という時間は、もう過ぎ去り、
次の季節に移行したのだということだ。
四季に例えるなら、踊りを始めた頃は春。
そこから夏を経て、秋を越え、
今、私は冬を迎えているように感じる。
季節の最終段階、締めくくりの時間。
冬は、草木が枯れ、太陽が閉ざされ、
静かに死へと向かっていく季節だ。
けれど私は、冬が好きだ。
あの、きんと張り詰めた空気。
まじりけのない、研ぎ澄まされた静寂と静謐。
削ぎ落とされ、色もなく、
ただそこにあるのは、白と黒と光だけ。
人生の中で、私にどれだけ踊れる時間が残っているのかは分からない。
ただ、それほど多くはないだろうということだけは、はっきりしている。
だからこそ今、私が求めているものは明確だ。
無駄を削ぎ落とし、
ノイズを減らし、
本来あるべき仕組みと、美しい輪郭だけを残すこと。
そしてできるなら、そこにほんの少し、
ふんわりと自分の心を音に沿わせる。
それがきっと、
私がこの最後の冬の季節において求めている、
踊りの本質なのだと思う。
note記事 2026年4月29日より
写真は2020年3月、ロシアにて。半分凍りついた湖を背景に撮影