Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Bellydance Najm Fukuoka

執着(過去)と向き合う日々

2026.06.28 10:16

連休後半。

私は相変わらず断捨離の日々だ。

今回思い立って、

4月の後半からずっと自分の持ち物や住空間の見直しをしている。


これまでにも、私は定期的に物を手放すことを心がけてきた。

だが、いつの間にか物は増え、気づけば部屋の中はまた物で溢れていく。


断捨離というのは、その時々の精神状態によって、

手放すものを決断する力が大きく変わる。


今回は、今までよりも、より深く、より強く

物を手放す意識が芽生えていると思う。


最初はなかなか手放すことができず、とりあえず小さなスペース、

比較的手をつけやすい引き出しの中から始めた。

書類やファイルの中の紙類、雑多なもの。例えばヘアピンだったり、

取っておいたビニール袋だったり、少し毛玉がつき始めた靴下だったり。

そういった“判断に迷わないもの”から手放し始めたのだが、

徐々にペースがつかめてきて、より大きなものを手放せるようになっていった。


そして昨日は、クローゼットの中にドンと大きく場所を占めていた本や漫画に手をつけた。

これはとても厄介だった。気に入った作品、何度も何度も読み返す作品は、

大抵長編の漫画だ。巻数が50を超えるものや、子供の頃から気に入って取っていた本たちだ。

ここは、今までの何度ともなく行われてきた断捨離をかいくぐって残り続けた、

つわもの達だ。


それをついに手放す時が来た。

今、このタイミングで。

最初は2、3作品だけ手放そうと、

軽い気持ちで始めたのだが、

徐々に勢いがついて、気がつけば200冊ほどの本を袋に詰めていた。


そして私は、そのままBOOKOFFへ向かった。

フリマアプリで出品することも頭をよぎったが、いつ売れるかわからない状態で、

また何ヶ月もここに置いておくのは、断捨離として意味をなさない。


今決断すること、今手放すことを私は選んだ。

少し寂しい気持ちと、それでもスペースが大幅に空いたことによる、

すっきりとした達成感。私はその両方を同時に感じていた。


苦労して運んだ本は、大きなエコバッグ四つ分。

予想はしていたが、ほとんど査定の金額はつかず、200冊ほどで1300円ちょっとだった。

それでも、手放そうと思ったものを引き受けていただき、

一冊一冊査定していただいてお金をいただけるというのは、大変ありがたいことだと思った。


それは単に物を処分したということではなく、自分の過去を、

きちんと手渡していくような感覚に近いのかもしれない。


今回の断捨離で、今現在、45リットル入りのゴミ袋でおそらく15袋分、

あるいはそれ以上の物を手放した。

ひとつひとつは小さな決断の積み重ねだが、こうして量として並べてみると、

その重みを実感する。


これだけの物を、私は持ち続けていたのだ。


そして同時に、これだけの物を、今の私にはもう必要としていなかったのだということも。

だが、私の断捨離は、まだまだ続く。

まだ、今後使うことのないであろうものたちが、家の中に静かに眠り続けているからだ。


そして今回の断捨離は、これまでのものとは少し違う。

それは、私が終活を意識していることと、無関係ではない気がしている。

先日、ある方が突然亡くなった。


毎週月曜日、スタジオで顔を合わせていた別のクラスの受講生の方だった。

「また来週ね」と言って、スタジオの玄関を出ていく後ろ姿を見送った。

それが、その方を見た最後になった。

翌週、その人は、もうそこにはいなかった。


人の命のはかなさや、明日どうなるかわからないという無常感が、私の中を吹き抜けた。

生きていくのに、そんなに多くの物は必要ないのかもしれない。

そう思うきっかけになった出来事だった。


最終的には、棺に入るだけの持ち物で十分なのかもしれない。

私は最近、そう思う。


物を手放すということは、その物に対する執着を手放すこと。

そしてそれは、もう二度と拾わないという決断でもある。


部屋の中は、自分の心の中の縮図だ。

自分が欲しいと望んだものを一つ一つ、部屋の中に招き入れているのだ。


その、かつての自分の執着、現在の自分の執着を一つ一つ、

物を通して見直し、そして決断していく繰り返しだ。


一つ一つの執着を手放し、少しずつ身軽になり、

少しずつ本来の部屋のスペースを取り戻していく。


やがて、引っ越してきた時のような真っさらな状態に戻して、

スーツケースひとつ分くらいの必要最小限の荷物を持って、

私は旅立ちたいと思っている。


note記事 2026年5月5日より