老恋
仕事帰りのランや中、酒を下とするに、ならば上は。何せ彼らはたったその一日の為に。舞台は玄界灘に面した小さな集落。ちまちまと安物を作っていたのでは、座して滅ぶを待つようなもの。もっと売れる商品を、と血気にはやる彼を諭すは村の古老。
銭を追い求めし末路は銭に使われる人生。売値こそ見合わぬやもしれぬが、作物の日々の成長に喜び見出さば金銭など、と。たま・あさお市民劇場の演劇「老いらくの恋」に。
定例会も後半戦。質問日を前に会派の控室前には役人の列。役人を動かす質問術、どんな質問にも即応、初歩からわかる議会答弁、なんて実用書が本屋に並ぶも、それはあくまでも表向きの話。物事には必ず表裏あり、裏を見ずしてあの厄介なセンセイ方をいなすことなど。
学ぶに格好の教材となりうるが「彼ら」であり。市議三傑の一人、無所属のM君なんぞは役者顔負けの追及を見せれども、原稿なきアドリブに同じことを二度言わば、それこそが肝と知るべし。
市に群がる構図は今も昔も。計画のたびに浮上するはそちら。およそ部門において計画を作る、設計図を描く際に欠かせぬは外部コンサルであり。その依存度を巡り、現状は「丸投げ」ではないか。ならば、おぬしらの存在意義とは何ぞや。委託が悪いとは言わぬ、が、そこに何を求め、何を得とるのか、とM君。
いや、当時とて委託はあった。が、本来はそれこそが彼らの仕事であり、外部に委託するなんぞ無能の証、なる負い目の意識が、委ねるにせよ最低限に、との力学が働いていたはずも。悲しいかな今やそれが常識とばかり。
ちゃんと事前に質問を通告、過去十年の委託の件数と金額を調べよ、と投げたはずが一向に答弁が届かぬは、つまりはそういうこと、と断罪するも、役人から見れば出さば出したで深掘りの機会を与える訳で、よもや意図的に。そんな値踏みがあったか否か。
その後も続く厳しい追及の中に当人が今一度言及するは「委託が悪いとは言わぬ」。そこに隠された真意や逆。つまりは、役所の杜撰な体質を糾弾、戒めとるように見えて、内心は狡猾なコンサルこそが悪であり、善良というかバカ正直な役人が話に乗せられて。
いや、だからといって役人を庇うつもりもなさそうで。仕事に対する意識が足りぬ、ということを。いや、それとてあくまでも私の勝手な憶測。
大学生が期末試験を迎えとるとか。自力の前列に対して監視の目が届かぬ後列では使い放題。その答案を同一視される生徒らに募りし鬱憤。いや、それこそが文明の進化であり、ならば、電卓を使わずに算盤で、知らぬ目的地を目指すにカーナビは悪か、と言われれば。
便利には違いない、が、それと依存するせぬは別物であり。便利ゆえ、と藪から棒に依存するは、やがて大きな代償を、なんて。期末試験の点数は同じ、いや、むしろ向こうが上やもしれぬ。が、そこには目に見えぬが努力があり、それは決して裏切らぬもの、と信じる者こそ。あとは勝手に。
(令和8年6月30日/3004回)