掲示伝道(7月no1)
2026.06.30 22:00
「光が多いところでは 影も強くなる」ゲーテ
仏教で私たちは「無明」なる存在であると教えられます。無明とは明かりが無い、つまり真実を知らない存在であるということです。これは愚痴の煩悩とも言い、無明なるがゆえに私たちは迷い、苦しむのです。この無明の煩悩の深いところは、自分が無明であるということにすら気付けないことです。
私たちは、この生を授かってから学んできた知識や経験を握りしめ、何でもわかったつもりになって生きているのではないでしょうか。科学技術が発達した現代においては、一層そのような在り方が深くなっているようにも思えます。だからこそ、私たちはいつでも正義に立って他者を批判できるのではないでしょうか。
この無明の闇は、自分では気付くこともできないので、自分の力で破ることはできません。そのような私たちに対し、『大無量寿経』では「恭敬三宝」が説かれます。三宝とは「仏(真理)・法(真理の教え)・僧(その教えを依り処とする仲間)」のことです。
つまり、私たちの無明の煩悩は仏さまの教えによってしか、破れることはないということでしょう。その教えは、まさに光としてはたらくのです。阿弥陀さまは光の仏さまと言われます。どのようなものもみなもらさず、平等に照らし、真実を教え救い遂げる仏さまです。
その阿弥陀さまの光のはたらきに教えを通して出遇えたとき、はじめて我が身の無明が知らされるのです。私たちは、優れたものになって救われるのではないのです。無明の身こそが私であると知らされるところに、はじめて我が身を引き受けて生きていけることができるのです。