美しすぎるゆえの
春動く季節になった。キレイになりたい!発作のように、この強い願望が頭をもたげるのは、私の場合どういうわけか春先なのだ。
悲しい恋をしたことはきっぱり忘れる。おばさんっぽく、むくんでいた冬の日のことも忘れる。美人になって新しい恋をしようとする私って、なんていい性格なのかしら。
ペラペラと喋らず、ネットのゴシップニュースは読まない。食べるものはお野菜中心で、アルコールじゃなくてハーブティー。読む本だって舌の噛みそうなあちらのもの。そうだ、髪の毛は長く伸ばして、写真なんか習おうかな。
それにより、長き眠りから覚め「モテ期」に突入するはずだ。新しく、洗練された素敵な女性に生まれ替った私のところには、やはり素敵な男性がどんどん寄ってくる。その中から十分品定めをして、一人を選ぶの。喋っている相手は女友達である。
「恵美子さん、ブログは続けていくんでしょう」
「イヤよ」私は即座に答えた。
「もう私、どこかに出かけたり、それについて書くという悪循環を絶ちたいの」
「ふうーん、残念だなあ」と彼女はいったん納得するふりをしたが、私たちのアイコニックであるKさんに告げ口をしたらしい。
Kさんじきじきにお電話をいただいた。
「いつも恵美子のブログを読ませていただいているわ」
私は自分でも悲しくなるほど、美人に弱い。
「ハイ、これからもやらせていただきます」などと明るく答えてしまったのである。
初めてKさんを見たとき、私は埃くさいセーラー服を着た少女であった。白いコートを着て後ろ向きに立っていただけであるが、ひと目で「一般人とは違う」という確信を持った。美人といったら、このくらいのオーラをもっているものではなかろうか。
私の心の針は大きく振れた。その場の空気を変えるぐらいの美女を目の当たりして、気持ちが昂っていた私は、連れの「やめなさい」という忠告をきかず「わー!キレイ」と握手していたではないか。
見よ、この美しさ。信じられないほどキレイな、磨きあげられた肢体をしている。切れ長の目に巧みなアイライン、セミシアーなリップも素敵。髪の質感や光の透け具合が、選ばれた一流の女性がもつプリミティブを感じて、美的なセンスの高い星から来た人のようなのだ。
Kさんはライトブルーのシルクのワンピースを着ていた。淡いが、てりのある青は、くすんだ肌には決して着こなせない色だ。おまけに前から見ると平凡なかたちだが、後ろにまわると、背中がウエスト近くまで大胆にくられていた。
畏れ多いことであるが、つぶさに観察させてもらった結果、背中もシミひとつない美しい肌だ。後ろからも人々に見つめられると、このように磨きたてられるのではなかろうか。
「わー、この世には映画に出てくるような女の人が、ホントにいるのね」
私は素直に感動し、彼女の子分をきめこんだのである。それからヒマさえあれば、金魚のナントカのように、彼女の後にくっついて歩いた。
「わー、こんなドレス見たの、初めて」
私はいちいち歓声をあげ、こんな無邪気さが気に入ったのか、Kさんも私を可愛がってくれるようになった。
世の中にはキレイな人はいっぱいいるだろうけど、Kさんはふつうのキレイさではない。湧きあがるといおうか、香り立つような特別な魅力に溢れていた。
私はKさんにおそるおそる近よると、お香を思い出すのである。伽羅などの高価なお香は、聞く人を千年前の空気の中にいざなうことができるという。Kさんはそういう力を持っているのではないか。Kさんの婉曲な美しい言いまわしや、「どうぞ」と相手をうながすときの微笑み、顎の動きを見るたび、私はたやすく十二単を着た人々を想像できるのである。
実際に私はKさんに会うと、そこからさまざまなにおいをかごうとしたものだ。Kさんは下着一枚、身につけるものはすべて外国製であった。これを何気なく読める人は、多分若い人であろう。
昔、なんとすごい女の人がこの世にいるのだろうかと私は衝撃を受けたのを憶えている。ネットショッピングがまだなかった日本でこれがどれほどすごいことだったか、現代の女性には、想像しづらいかも知れぬ。洋服を買うならパリにという生活を、当時Kさんはさらりとやってのけていたのである。
そしてKさんは非常に大切なことを田舎娘の私に教えてくれた人だ。それは自分の手で稼いで贅沢をすることであった。それまでKさんのようなライフスタイルをおくれるのは、お金持ちのお嬢さまか愛人に限られていた。しかしKさんは、才能ある女性というものは、望めば男性の愛情だけでなく、何でも手に入ることを見せてくれたのだ。
次回に続きあります。
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