7/5 「世にない交わり」 三浦 遙牧師 聖句:ガラ5:2-11
ガラテヤの信徒への手紙は、使徒パウロが立ち上げたガラテヤ地方の諸教会に宛てた手紙です。パウロが去った後の教会には異なる教えを掲げる教師たちが入り込み、「キリストを信じるなら、まず律法に従って割礼を受けなければならない」と主張していました。割礼はアブラハムの時代から続く、神の民に加わるためのしるしであり、律法の中でも大切な教えとされてきたものです。これに対しパウロは断言します。「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です」。
律法そのものが悪いのではありません。律法は本来、神様が民を愛するがゆえに与えてくださった、交わりを深めるための道でした。ところが時代を重ねる中で、いつしか「人を測るものさし」に変わり、他者を裁く道具となり、その社会の「当たり前」、いわば世俗のルールへと変わってしまっていた。パウロが戒めたのは、そのような律法の姿でした。
この問いは、今のわたしたちにも向けられています。わたしたちは今、どのような教えに従って生きているでしょうか。神様の掟に生きているのか、それとも世俗の「当たり前」に寄りかかってはいないでしょうか。この社会では「役に立つ・立たない」「強い・弱い」というものさしで交わりが分けられ、そこから追いやられ、生きづらさを抱える方々が、わたしたちのすぐ隣におられます。パウロの語る「愛」とは、そのものさしの向こう側におられる方々へ、キリストの御名によって手を伸ばしていく愛です。
教会の交わりは「世にない交わり」です。世のものさしの中で引き離された人々が、キリストにあって共に主の食卓につき、仲間と呼び合うことができる。もし教会までもが世俗のルールに寄り添って歩むなら、世から否定されてきた方々の行き場はどこにあるのでしょうか。だからこそ教会は、教会であり続けなければなりません。集うたびに御言葉に聴き、祈り、分かち合いながら、キリストの愛のものさしに立ち返り、少しずつ世にない交わりへと形づくられていく。その歩みをご一緒に続けてまいりましょう。