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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

9.「手伝いましょうか」が言えない理由

2026.07.06 22:30

困っていそうな人を見かけたとき、

「何か手伝いましょうか」と声をかけられたらいい。

そう思っていても、実際にはできなかった。

そんな経験はないだろうか。

声をかけたほうがいい気がする。

でも、迷う。

本当に困っているのだろうか。

余計なお世話にならないだろうか。

失礼にあたらないだろうか。

一歩踏み出す前に、いくつもの考えが頭をよぎる。

そして結局、何もできずにその場を通り過ぎてしまう。

あとになって、「声をかければよかった」と思う。

この迷いは、決して特別なものではない。

むしろ、とても自然な感情だと思う。

Flowerの中でも、「声をかけるのはとても勇気がいる」という意見が何度も出た。

相手のことを考えるからこそ、簡単には動けない。

でも、その一方で、こんな声もある。

「声をかけてもらえると、やっぱりうれしい」

必要なときに手を差し伸べてもらえること。

それは、安心感につながる。

ただし、ここにももう一つの難しさがある。

「全部を手伝ってほしいわけではない」という感覚だ。

できることは、自分でやりたい。

でも、本当に必要なときには助けてほしい。

その“ちょうどいい距離”は、人によっても、そのときの状況によっても違う。

だから、正解がない。

声をかけるべきか、見守るべきか。

手を出すべきか、待つべきか。

その判断は、いつも揺れる。

あるメンバーがこんな話をしていた。

「できることまで手伝われると、逆にできなくなってしまうこともある」

良かれと思ってしたことが、相手の力を奪ってしまうこともある。

そう考えると、ますます難しくなる。

それでも、何もしないままでいいのだろうか。

Flowerで出た一つの答えは、とてもシンプルだった。

「助ける、助けないにこだわらず、人として必要なときに自然と手を出せたらいい」

完璧な判断をしようとしなくていい。

間違えないようにと構えすぎなくていい。

まずは、「気にかけている」という気持ちを持つこと。

そして、ほんの少し勇気を出してみること。

もし違ったら、「ごめんなさい」と言えばいい。

必要なければ、「大丈夫です」と返ってくる。

そのやりとりの中で、少しずつ距離は縮まっていく。

もしかしたら、「手伝いましょうか」と言えない理由は、

やさしさが足りないからではない。

やさしさがあるからこそ、迷ってしまうのかもしれない。

だからこそ、その迷いごと否定しなくていい。

大事なのは、迷いながらでも、相手に向き合おうとすること。

その一歩が、誰かとの関係を変えていくのかもしれない。