自分を“器”として空けておく在り方
マイケル・ジャクソンのHeal the Worldを聴いていたら、藤井風さんが弾き語りをするHeal the Worldが出てきました。マイケルの歌い方は、病気の人や、弱い人のために、とても柔らかい声で歌われているのですが、藤井風さんもおなじようなタッチで歌われていて、本当に素晴らしいです。私もこの感じでこの曲を歌いたいのですが、なかなか難しさを感じているところでした。
その流れで、インタビュー動画が出てきまして、視聴していたら、ひとつは「マイケル・ジャクソンをずっとアイドルとして見てきた」という話。もうひとつは、瞑想を「座って行うもの」だけでなく、生活全体に広げて捉えている話。私の文脈とも被る話がでてきました。
1. マイケル・ジャクソンを尊敬している話
18:41〜19:36あたり
インタビュアーが、
「あなたの創造性に深く影響している、人生において重要なミュージシャンは誰ですか?」
と聞いた流れで、藤井風さんがこう答えています。
Michael Jackson has always been my idol.
つまり、
「マイケル・ジャクソンは、ずっと僕のアイドルです」
ということですね。
そのあと、最近はスピリチュアルな歌い手たちにも惹かれている、と続けて、Cleo Sol の名前を出しています。
ここで面白いのは、マイケルの名前が「影響を受けた音楽家」として、かなり自然に、でも核心的に出てくることです。
派手なスター性というより、藤井風さんの中では「創造性の原点にいる人」としてマイケルが置かれている感じがあります。
2. 瞑想の話
13:51〜18:05あたり**
まず、インタビュアーが
「今の生活で、これからも続けていくとわかっているものは?」
と聞いたところから、藤井風さんはこう話し始めます。
I feel so grounded and composed.
My life has been very chill, thankfully.
I’m trying to meditate…
訳すと、
「とても地に足がついていて、落ち着いている感じがします。
ありがたいことに、生活はとても穏やかです。
瞑想しようとしています……」
その後、瞑想についてかなり大事なことを話しています。
瞑想は「練習」
14:44〜15:13あたり
That’s why the meditation exists.
It’s kind of like a practice.
「だから瞑想があるんです。
それは練習のようなものです」
思考を止めることができないから、瞑想がある。
最初から無になるためではなく、そこへ向かう練習として捉えている。
生活のすべてが瞑想になりうる
15:13〜16:22あたり
ここがかなり藤井風さんらしいところです。
My meditation is my life almost.
Every little action in life can be a meditation for you.
「僕にとって瞑想は、ほとんど人生そのものです。
人生の中の小さな行為のすべてが、瞑想になりうる」
さらに、
お茶を飲むこと、食べること、トイレに行くことまで、すべて瞑想になりうる、と話しています。
そして最後に、
Make every action a meditation, prayer.
That’s my motto.
「すべての行為を、瞑想に、祈りにする。
それが僕のモットーです」
ここはとても重要です。
藤井風さんにとって瞑想は、特別な時間に座って行うものというより、
日常の一つひとつの行為を、意識的に、祈りのように行うこと
に近い。
3. エゴを手放す話も、瞑想とつながっている
16:33〜18:05あたり
瞑想の流れから、インタビュアーが「エゴとの関係」について聞きます。
藤井風さんはかなりはっきり言っています。
Ultimately, I want to let go of my ego completely.
I don’t need ego to interfere my vessel or my instruments.
「最終的には、エゴを完全に手放したい。
自分という器や楽器に、エゴが干渉する必要はない」
この「vessel」「instrument」という言葉が印象的です。
自分は何かを表現する“器”であり、“楽器”である。
だから、そこにエゴが入りすぎると、通り道が濁る。
ここは、マイケルの「曲が降りてくる」「自分はそれを受け取る」という感覚とも、かなり響き合います。
藤井風さんは、マイケル・ジャクソンをアイドルとして尊敬している。けれど、その尊敬は単なるスターへの憧れではなく、自分を“器”として空けておく在り方にもつながっている。瞑想とは、日常のすべての行為を祈りに変えること。エゴを手放し、音楽が通る器になること。
やっぱり、通っているんだなと思いました。(笑)