モラハラ「言う自由」があるなら、「聞かない自由」もある
これまで私にモラハラをした人や
私の毒母は、聞き苦しい
文句や毒舌が多いです。
何なら、不平不満しか、
おねだりしか言わない…
あまりに聞くに耐えなくて、
「もうやめなよ」と拒んだり、
楽しい話をしようと話題を変えたりすると、
モラハラな人々は、不機嫌になります。
自分を受け入れてもらえないと、
不満を感じるからです。
でも、だいたいそれまで、
散々受け入れているし、
こちらも受け入れるには
限界があります。
(今や、私は、
全く受け入れられなくなりました)
そんな時、彼らは、
「だって仕方ないじゃない」
「本当の事だから仕方がない」
「ちょっと言っただけ」
「(不満に)思うくらいいいじゃない」
「何を言ってもいいじゃない」
などと、聞く耳を持たない私に
怒りを露わにします。
そして、その通り、
何を思っても、何を言っても
その人の自由だし、
それでいいと思います。
でも、それならば、
こちらも「聞かない自由」
「受け入れない自由」
を持って良いと
私は考えるようになりました。
食べ物と同じで、私たちには、
「何を自分が受け取るか」
「何を吸収するか」
を選ぶ自由も必要もあると思うのです。
モラハラな人から
「聞いてくれない」
「言ってもいいじゃない」
とある種の正論で迫られると
「そうだけど…」と
相手を受け入れることのできない自分を
心が狭いのではないかと感じて
申し訳なくなって、
タジタジしてしまうことがあると思います。
でも、そんな時に思い出して欲しいのです。
発言や思想の自由があるのと同時に
私たちには、それを受け入れない自由もあると。
そういう心持ちでいると、
相手が迫ってきても、少し堂々と
していられると思います。
何よりも、堂々としていることが
モラハラを受け入れないための
最大の防御です。
もし、押され気味でお困りの際が
ぜひ試してみてくださいね。