女らしさ、男らしさについて、言葉の面から考えてみた。
「男らしさ」の方から考えた。男らしさの方がなんとなくシンプルな気がしたからだ。 男:「あの人は男らしい人だ」という場合、「強い」「勇気がある」「正々堂々としている」「泣かない」「責任感がある」などのイメージだ。「男らしい人」は肯定的な意味を持っている。 類語の「雄々しい」なんて、さらに肯定的だ。 女:「あの人は女らしい人だ」と言う場合、「優しい」「弱い」「気遣いができる」「繊細」「控えめ」などのイメージだ。「女らしい人」は100%肯定的だろうか?微妙だ。「雄々しい」の女性バージョンはなんだろう。「雌々しい」とは言わないし。。「女々しい」かなとも思ったけど、これはむしろ男に対して使うので、ちょっと違う。「女女してる」だろうか。これは否定的な言葉だ。 結論として、「男らしさ」は多ければ多いほど(強ければ強いほど?)良い。でも「女らしさ」はそうでもない。
次。男女が父と母になった場合、求められる「らしさ」はどう変わるか?
男:父になっても、「男らしさ」は求められる。もしかすると、ますます求められるかもしれない。 女:母になると「母は強し」「 肝っ玉母ちゃん」等、「女らしさ」の弱さや繊細さと矛盾する性質が求められる。結論。「女らしさ」と「母らしさ」は違う。女らしさが男らしさに比べるとわかりづらい気がするのは、「女」「母」で、イメージが異なるからかもしれない。
次に、男女各々の自分の「男/女らしさ」に対する態度について。男は「男らしくあらねばならない」と思っている気がする。女は「女らしくあらねばならない」とそこまで思っていない気がする。なんというか「それが求められる場面では、そうしよう」くらいではないだろうか?つまり「態度」「ふるまい方」なのかもしれない。結論。極端に言えば「男らしさ」は「そう在らねばならない」ものであり「女らしさ」は「演じる」ものと言えるのかもしれない。
次。生物学的な性と「らしさ」が不一致だった場合、どう表現されるか。
男らしさ:「男らしさ」を持った女性は、昔からある言葉だと「男勝り」「男前」と言われるかもしれない。割と肯定的だ。でも「女なのに女らしくない」と、否定的に言われ事もある。しかし、それを言うのは男である気がする。女は女らしくない女に対して、特に否定的にはならない。宝塚などを見ると、むしろ肯定的なのではないだろうか。いつからかわからないが、少なくとも70年代くらいから「ボーイッシュ」というファッションや態度の「スタイル」もあたりまえに存在する。
女らしさ:「女らしさ」を持った男性は、昔からある言葉だと、上にも挙げたが「女々しい」と言われるのではないだろうか。否定的だ。男が「女らしい」と褒められる場面を見たことがない。スポーツなどで「女房役」と言う言葉を目にしたことはあるが、あくまでも「役」でしかない。 結論。女が男らしいこともあるのは特に珍しくもなく、肯定されがちだが、男が「女らしさ」を持つことは、否定されがち。「男勝り」という言葉からうかがえるのは、「勝つ」事が「男らしさ」に結びついているのかもしれないという事だ。ということは負ける事が女に結びついているのかもしれない。
次。「男らしさ」「女らしさ」を表す言葉の変遷。
男:最近「漢(おとこ)」という言葉をよく目にする。男であっても女であっても「漢だねぇ」と肯定的に使われる。「漢」は、三省堂辞典によると〈からだや気持ちが強い、〔略〕男らしいとされる性質を特に強く持った人。〉という意味を示すそうだ。つまり「漢」=「男らしい性質を強く持った人」なのだ。
女:80年代くらいでは、過剰に女らしさを演じる女は同性から「ぶりっこ」と言われた。 2000年代「カワイイ」「ゆるふわ」「愛され」など、「女」という言葉は直接使わないが主に女に期待される「らしさ」を表す言葉が増えた気がする。「カワイイ」は子供、赤ちゃん、ペットにも使われる言葉。「愛され」は受身。これらの言葉は男に対して使われる事もなくはない。 結論。「男らしさ」「女らしさ」共に、生物学的な性との結びつきが弱まる傾向。しかし男らしさは相変わらずシンプルに肯定的なまま「漢(おとこ)」という漢字に移行した。女らしさは、その内訳を具体的に示す複数の言葉に分解されたのかもしれない。
全体の結論として、伝統的に、「男らしさ」の言葉が運ぶイメージは明確でシンプルで肯定的。「女らしさ」の言葉が運ぶイメージはもう少し曖昧で、時に否定的。また「女らしさ」と矛盾するものが女に求められる場合もある。どうしてこうなったのだろう。これも次に考えてみたい。