「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 中国大返しはドラマでどう描かれるのか
「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 中国大返しはドラマでどう描かれるのか
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」について、好き勝手に書かせてもらっている。今回の大河ドラマは、史実などとして今までの概念にあった内容と全く異なる内容や解釈があって、なかなか興味深い。もちろん歴史、特に人物の内心や動機などは確定的なものはないので、新しい説が出てきても、また、ドラマの流れで様々な部分を強調してくれても、そこはドラマの中の演出の範囲であるから問題はないと思うのです。そのうえで、このドラマを通じてしっかりとしたメッセージが、視聴者に対して出されていれば、そしてそれがわかりやすく加工されていればよいのではないでしょうか。
さて、前回本能寺の変で、小栗旬さんの演じる織田信長が退場しました。要潤さん演じる明智光秀が近畿において軍を率いて治めており、各軍は敵と対峙していたということになります。
そのような中、今回ドラマで描かれる、羽柴秀吉(池松壮亮さん)が毛利軍と和平を行い、中国から明智光秀の予想よりも早く近畿に戻ってくるということになります。これが「中国大返し」です。このことを少し「史実」とされるもので見てみましょう。
「中国大返し」は、豊臣秀吉の生涯を象徴する出来事として語られていますが、現在の歴史学では「行われたこと自体は間違いない。しかし、その具体的な様子については後世の軍記物などによって脚色された部分が少なくない」と考えられています。
本能寺の変が起こったのは天正10年(1582年)6月2日です。この時、秀吉は備中高松城を水攻めにして毛利軍と対峙していました。信長の死を知った秀吉は毛利氏と講和を成立させ、ただちに軍を京都へ向けて反転させます。そして6月13日には山崎で明智光秀を討っています。この流れは当時の書状や公家の日記など複数の同時代史料で確認できるため、歴史的事実と考えてよいでしょう。
一方で、「全軍が昼夜を問わず駆け続け、一日に何十キロも走破した」というような描写は、そのまま受け取ることはできません。
戦国時代の軍隊は、現代の軍隊のように一斉に行動する組織ではありませんでした。武将ごとの部隊があり、その後ろには荷駄隊や馬、鉄砲や弾薬、食料を運ぶ人夫まで続きます。二万人から三万人ともいわれる軍勢が一本道を移動すれば、隊列は十数キロから数十キロにも及びます。そのような大軍が全員一緒に駆け足で進むことは物理的に不可能です。
現在では、先発隊、中軍、後軍というようにいくつかの集団に分かれ、それぞれが時間差を設けながら進軍したと考えられています。また、兵士全員が歩き続けたのではなく、交代で休息を取りながら行軍した可能性も高いとされています。
また、「秀吉は信長の死を知るとすぐに引き返した」という表現も、実際には非常に綿密な政治判断がありました。
最初に行ったのは毛利氏との講和です。当時の毛利軍は決して敗北していたわけではなく、戦力では秀吉軍と互角以上でした。もし本能寺の変を毛利側が先に知れば、「信長が死んだ以上、講和は無効」として総攻撃に転じた可能性があります。そうなれば秀吉軍は中国地方で足止めされ、天下取りどころではありませんでした。
そのため秀吉は信長の死を極秘にしたまま交渉を続け、小早川隆景や安国寺恵瓊らとの間で講和をまとめました。さらに城主清水宗治の切腹という約束も予定どおり実施させ、毛利軍を安心させています。この情報統制こそ、中国大返し最大の成功要因の一つでした。
さらに、秀吉には黒田官兵衛という極めて優秀な参謀がいました。
官兵衛は中国攻めの開始以来、山陽道沿いの兵站を整備していました。姫路城を補給基地とし、食料や武器を前線へ送る体制を整え、街道沿いの宿場や寺社との協力関係も築いていました。この補給網が、そのまま帰路にも利用できたのです。
また、秀吉自身も中国攻めを始める以前から播磨・備前・備中を掌握する過程で道路整備や城郭整備を積極的に進めていました。戦国時代の道路は決して整備されていたわけではありませんが、山陽道は当時の日本では比較的交通条件の良い幹線道路でした。そのため、大軍が比較的短期間で移動することが可能でした。
もう一つ重要なのは、秀吉軍の士気です。
普通であれば主君が討たれたという知らせは軍を混乱させます。しかし秀吉は信長の死を一般兵には伏せ、一部の重臣だけが事情を知る状態を維持しました。そして「急ぎ東へ向かう」という命令だけを出しています。兵士たちは信長の命令による転進程度にしか理解していなかった可能性があります。これによって軍内の動揺を最小限に抑えることができました。
姫路城へ到着すると、そこに蓄えられていた莫大な軍資金や兵糧を利用して兵士に恩賞を与えています。長距離行軍で疲弊した兵士に褒美を与えたことで、士気はむしろ高まったと考えられています。
さらに秀吉には、他の織田家重臣にはない政治的な強みがありました。
柴田勝家は北陸におり、滝川一益は関東で北条氏と戦っていました。丹羽長秀も近畿にはいませんでした。つまり、本能寺の変直後に京都へ最も近い場所にいて、なおかつ数万の軍勢を自由に動かせたのは秀吉だけだったのです。この「地理的な幸運」は決して偶然だけではなく、中国攻めの総司令官という立場があったからこそ得られたものでした。
現在の研究では、中国大返しは「超人的な強行軍」というよりも、「事前の兵站整備」「徹底した情報統制」「毛利との迅速な外交交渉」「黒田官兵衛を中心とした参謀団の計画力」「秀吉自身の決断力」、そして「偶然ともいえる戦略的位置」が重なった結果として成功したと理解されています。
つまり、中国大返しの本当の驚異は、一人の英雄が常識を超えた速度で軍を走らせたことではありません。数万人規模の軍隊を混乱させることなく反転させ、敵に真相を悟られず、補給を維持し、到着直後に山崎で決戦できる戦闘能力を保ったまま京都へ送り届けたという、極めて高度な軍事・外交・行政能力にあります。
このため近年では、「中国大返し」は秀吉個人の武勇伝というよりも、秀吉・黒田官兵衛・羽柴秀長らを中心とする羽柴政権の組織力が生み出した戦国時代最高水準の作戦行動であったと評価されることが多くなっています。
<参考記事>
【大河ドラマ 豊臣兄弟!】第28回「急げ!秀吉」回想 草履、森乱、細川藤孝…鮮やかな脚本の冴え、数々のモチーフが兄弟の絆のストーリーへと収束 いよいよ光秀との決戦へ
美術展ナビ 2026.07.19
https://artexhibition.jp/topics/news/20260719-AEJ2950956/
<以上参考記事>
本能寺の変の後の織田軍をうまく描いた作品になった。裏切った明智光秀(要潤さん)、上杉軍と対峙している魚津城の柴田勝家(山口馬木也さん)と前田利家(大東俊介さん)、そして裏切りの黒幕である織田信澄(緒方敦さん)と、丹羽長秀(池田鉄洋さん)織田信孝(結木滉星さん)、そして境にいた徳川家康(松下洸平さん)、そして備中高松城の水攻めで毛利と対峙していた羽柴秀吉(池松壮亮さん)という対比がなかなか面白く描かれていました。
通常の内容と異なるのは、小一郎(仲野太賀さん)が京都にいるという設定です。本来は高松城水攻めにいたはずですが、ドラマの中では信長を呼びに行って、そのまま本能寺の変に巻き込まれ、そのまま遊女屋に匿われているという話になります。
上記に記載した「中国大返し」の兵糧や水の手配や、細川藤孝(亀田佳明さん)が明智側に着くのを阻止するという二つの役目を京都から担った、そのうえで長浜城にいる一族に逃げるように手配までしているということになります。まさに本能寺の変後の羽柴軍の躍進の中心人物でありなおかつ大車輪の活躍をしていたということになります。
もう一つの特徴は「小一郎の嘘」でしょう。つまり、秀吉を早く近畿に戻すために、「信長は生きている」という嘘を流した、そればかりか、近畿の諸大名に対してもその嘘を流して、寝返るのを阻止したということになります。本能寺の変では火薬によって爆破したために信長の遺体が上がらなかったということから、光秀が暫く信長の遺体を本能寺で探したというエピソードが史実として語られていますが、まさに、そのエピソードの出所が小一郎であるというような感じです。
ドラマというのは、主人公を活躍させるなどのことから、このように様々な当時の話をつなぎ合わせて、うまく「嘘ではない」話を作り上げるのですが、まさに、その真骨頂が今回見ることができたということではないでしょうか。必ずしも通説が史実ではないというような感じにかけています。
そのことは徳川家康も同じで、本来は「神君伊賀越え」という伝説があり、そのルートとは異なるルートを通った穴山梅雪は、落ち武者狩りに殺されるというようなことも語られ、そのうえで、その伊賀越えで協力した服部半蔵が徳川家に徴用されるというような話になっていましたが、このドラマではそれをすべて裏切って「伊賀越えをすると見せかけて船で三河に戻る」というストーリーにしています。この時から「狸親父」というような感じに書き上げているのもなかなか面白いし、又、その人を食った態度が小牧長久手の戦いにつながるのでしょう。そしてあまりこだわらない性格であることが、秀吉の妹旭姫(倉沢杏奈さん)と結婚するというような話になるのではないでしょうか。このような伏線が、なかなかうまくできているというような感じがします。
伏線といえば、秀吉と小一郎の所に与一郎(大西利空さん)が「信長の草履」を届け、それで二人が泣き、かたき討ちの決意を固めるということがあります。「草履は片方では何の役にも立たない。互いに大事にせよ」という信長の言葉こそが、このドラマ全体の「兄弟の絆」を深めた一言ではないかと考えます。このドラマの節目節目には、そのような伏線によって兄弟の絆が出てくるのではないでしょうか。
さて、次回は、天下分け目の山崎の合戦。ちなみに、与一郎は、史実ではこの年1582年に死んでいますが、ドラマではどのようになるのでしょうか。