頭蓋骨
同年生まれで長年の友人中島邦雄氏に会ったら、最近自分の頭が小さくなったと言う。人間、成長期に頭が大きくなるのは当然のことだが、年をとって頭が小さくなると聞くのは初耳だった。身長は年齢とともに縮むことはある。私は若い時分には175cmほどあったが、今は174cmを割っていると思う。高齢になると、背が縮むように、頭も縮むのだろうか。中島氏にそう認識した理由を訊くと、数年前はキッチリ頭に合っていた帽子が、今やゆるく感じられるようになったからだという。聞いた私は、瞬間的に次の話を思い出した。
「源頼朝公のしゃれこうべ」なる宝物を大切に所蔵し展観しているお寺で、それを拝観した訪問者が「私は頼朝という人は頭が大きい方だと聞いているが、それにしては、そのしゃれこうべは小さいね」とつぶやいたところ、説明者は澄まし顔で「これはご幼少の頃のしゃれこうべ」。
人間、蝉や蟹のように脱皮して成長するわけではないから、頭の殻ともいうべき固形物を残すことはできないが、その時々の頭の大きさの記録ともいえる帽子や兜は後世に伝えうる。中島氏の帽子は、本田財団の副理事長退任と評議員就任の際に、職員一同が氏の頭の形と大きさをよく考慮して買い求め贈呈したもので、青くて薄い太目の繊維で編んだツバ付きのもの。頭にピッタリ合うこの帽子を、氏は愛用していて、最近よくかぶっている。そんな使用を重ねるうちに繊維が引っ張られて伸び、編み目がゆるくなってきたかもしれないが、帽子自体しっかりした造りで、そう簡単に型崩れしないシロモノではある。
帽子が簡単にゆるくならないとするならば、他に頭が小さくなったと認識される根拠は何かあるか。思いつくのは、毛髪が少なくなったということだ。髪の毛の減少から、頭皮と帽子の間に若干の隙間ができたと考えられる。しかし、中島氏の頭髪は、ここ数年、それほど状態が変わってきているようには見えない。よって、これも的を射た説明とは言えない。
では、頭そのものが縮んだのだろうか。まず、病理医の我が娘に訊いてみた。さらに知り合いの著名研究者にもお伺いした。我々が言う「ずがいこつ」、専門家がよく使う用語の「とうがいこつ」は縮むものかと。そして高齢になって頭全体が縮むことがあるかと。
その答えを素人なりに総括すると、頭蓋骨にも、水分が無いわけではない、また、頭を被う皮膚の下には薄いけれども皮下組織がある、よって加齢とともに、これらが縮まないことはないだろうが、目立つほどではないと考えられるということのようだ。
中島氏は優れたケミストであるとともに、専門を超えた極めて有能な行政官OBで、その観察力と洞察力には尊敬措くあたわざるものがあり、氏が間違った観察をするとは思いがたい。さすれば、氏はその鋭い感覚で、わずかな頭の大きさの変化を検知したのか、あるいは、実に発想が柔軟な氏のことだから、その頭蓋骨も柔軟なのかもしれない。
そんなことを考えていたら、自然に私の左の手が我が頭に触れた。すると、我が頭も小さくなったように思われてきた。驚いた私は、さらに両手で頭を撫で回した。多くの方が認識されているように、私の頭は極めて不恰好で、内容のわりには大きい。毛皮帽をかぶると、林家木久扇師匠の巧みな誇張の「三頭身」すなわち「ほとんど頭、胴体と手足がちょっと付いている」ような感じになる。金沢行きの北陸新幹線の車両がトンネルに入り、我が斜め横の顔と頭がガラス窓に薄く映ると、毎朝髭剃り時に鏡に映る平凡な正面の顔や頭と異なりやや怪異な感じがすることを思い出した。
私は、高校時代の終わりころまでは丸坊主にしていたが、小松での小学生の頃のあだ名は「ニッポンザン」。これは先の尖った大きい渋柿のことで、米櫃の中に入れておくと甘くなる。高校に入っても、我が頭の形は話題にされた。しかし、大学受験を控えて、頭髪を伸ばし、頭全体が髪の毛で覆われるようになって、頭の形を意識することはほぼ無くなった。床屋さんが、その都度、私の頭の不恰好さをカバーするテクニックで理髪してくれていたためかもしれない。ところが、星霜移り髪は去り、前頭部の頭髪が後退を重ね、頭頂部の毛も激減するに及んで、再び我が「ニッポンザン」を認識しやすくなった。そして、今、小さくなったかもしれない我が頭に触れる手は、やはり頭頂部のトンガリをしっかり触知していた。
大事なのは、頭の外側よりも、中身ではあろう。しかし、年とともに萎縮していく我が大脳を、転倒や打撲の衝撃から懸命に守っている頭蓋骨はなかなか殊勝とも言える。私が全て骨になって骨壺に収まっても、頭蓋骨はその上蓋のような役目をして小さい骨々を守るように覆うのだろう。そんなことを連想しても、そうなる時期は、なるべく遅い方が良いとの思いが湧き上がるのを禁ずることはできない。(2026年7月17日記)