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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

11.できることまで奪われるとき

2026.07.20 21:53

「大丈夫?手伝おうか」

その一言に、救われることもある。

でも、ときどき、その言葉に戸惑うこともある。

本当は、自分でできることだった。

少し時間はかかるけれど、やろうと思っていたことだった。

でも、気づいたら先に手を出されていた。

その瞬間、ありがたい気持ちと、言葉にしづらい違和感が同時に生まれる。

——あれ、自分でやりたかったのに。

Flowerの中でも、こんな声があった。

「できることまで手伝われると、逆にできなくなってしまうことがある」

一度誰かにやってもらうと、それが当たり前になってしまう。

自分でやる機会が減り、少しずつ“できていたこと”が遠ざかっていく。

それは、目に見えにくい変化だ。

でも、確実に積み重なっていく。

もちろん、手助けそのものが悪いわけではない。

本当に必要なときに支えてもらえることは、とても大切だし、安心にもつながる。

問題なのは、「どこまで手を出すのか」という境界線だ。

その線は、とても曖昧で、人によって違う。

だからこそ、難しい。

あるとき、こんな出来事があった。

「ここまでは自分でやりたい」と思っていたのに、周りが先回りして手を出してきた。

危ないから、という理由だった。

その気持ちはよくわかる。

でも、そのとき感じたのは、「守られている」という安心ではなく、

「任せてもらえていない」という寂しさだった。

やってみたい。

自分でできるようになりたい。

その気持ちは、誰にでもあるはずだ。

でも、その機会が奪われてしまうと、挑戦する前に終わってしまう。

気づけば、「できること」よりも「やってもらうこと」のほうが増えていく。

それは、本当にその人のためになっているのだろうか。

やさしさは、ときに強い。

相手を思う気持ちがあるからこそ、すぐに手を差し伸べたくなる。

でも、そのやさしさが、相手の力を信じることよりも先に来てしまったとき、

関係は少し歪んでしまうのかもしれない。

大切なのは、「助けること」だけではない。

「任せること」もまた、大切な関わり方の一つだと思う。

時間がかかっても見守ること。

失敗するかもしれないと分かっていても、やらせてみること。

それは、簡単なことではない。

見ている側にも、勇気がいる。

でも、その時間の中でしか育たないものがある。

できたときの達成感。

「自分でできた」という感覚。

それは、誰かに代わってもらうことでは得られない。

もし、目の前で迷ったとき。

手を出す前に、ほんの少しだけ立ち止まってみる。

この人は、本当はどうしたいのだろう。

どこまでなら、自分でできるのだろう。

そう考える時間を持つこと。

そのひと呼吸が、相手の可能性を守ることにつながるのかもしれない。

やさしさとは、すぐに手を差し伸べることだけではない。

ときには、そっと見守ることも、同じくらい大切なのだと思う。