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高木@終わりはきっと始まりに

2026.07.21 09:49

1年生の時は私とGPA争いをしていたのに、3年前期には0.09というちょっと厚めのコンドームみたいなGPAを叩き出すも、4年まではストレートで上がれる学部のおかげで、GPAが2.0ないと留年、少し超えたとしても天草の研究室に飛ばされるという状況に陥った私のことを嘲笑っていましたが、急に現れたダークホースことマネージャーの古藤を退け、就活に関しての怠惰のせいか、大きな夢への渇望か、はたまた尊大な羞恥心と臆病な自尊心か…。いつの間にか我が九大陸上部98期の留年ダービーにて、7馬身ほど差を広げながらTOPをひた走っている山﨑みつまさくんからバトンをもらいました。

最近、Be Realでもない、setlogでもない、誰もやってない日常共有系アプリ、Retroを生活の中に導入し、周辺の界隈にプチブームを巻き起こしているでおなじみ、高木です。

逆張りが加速すると最終的にこのアプリに行き着くんですね。ぜひ皆さんも始めてみてください。まぁ要するに一昔前にあったインスタのグループストーリーズの強化版みたいなもんです。まだ全然古参になれますよ、逆張りたい人はぜひ。ユーザー数少なすぎて速攻で自分のアカウント見つかると思います。Be Realに関しては、福岡就職も検討していますので、西日本シティ銀行に就職した暁には流石に始めようかと思います。もちろん希望配属先は下関支店です。



あっという間に、いや確実にあっという間ではないんですが、やっぱり振り返るとあっという間の引退ブログとなってしまいました。私の溜まったこのモヤモヤは今後何にアウトプットすればいいのでしょうか。Retroがどんどんカオスな物になってしまいます。


今までこのように、○○でおなじみ、高木です。というように書き始めていたのにこれでもう最後なのですね。こういうくだらないことに関しては継続力を発揮しています。

また、ここまで書いておきながら、普段は冷笑が止まらないみつまさくんからの珍しくスカしてないアツいブログのバトンパスを昨日もらったことにより、こんな受け取り方でいいのかとクエスチョンマークが浮かび上がりますが、まぁ書いてしまったことを彼のために書き直すのも癪なのでそのままにしておきます。そういう関係性なので。


前々回のブログの鵜木、もとい、うネキも言っているのですが、引退ブログはやっぱり書くのは辛いです。自分で自分の墓標を立てているような気分なので。それも生前葬のようにみんなに感謝を述べながら。逝く時はポックリ逝くのが一番ですよ。ピンピンコロリが一番です。男っつーものは恥ずかしいんですよ、人に感謝を述べるのは。(特大主語)まぁそんなことを言っても書かないと仕方のないことなのでダラダラと書きます。他の4年生みたいに長くなっちゃいますがご愛嬌で。やっぱ書き残したくないですから。


同期二人のブログを読んで、はてさて、アタクシは何を書けばいいのだろうか。後輩へのメッセージと思い出トークはうネキがドパガキ発狂モノの分量で書いてくれました。大学に入ってからのエピソードは視点が違うだけで大体ヴーヴが書いてくれました。アタシはそうだな、七大戦について、副将として成長させてくれた九大陸上部について、森パート長が作ったフィールドパートについて、謝辞という構成で進めようと思います。

基本的に私の陸上人生はここで一旦一区切りとするつもりなのでこのブログは九大陸上部引いては陸上競技に対しての遺書となります。こんな前置きですが、感謝だけでしんみりとさせるのではなく、ちゃんと七大戦に向けてアツく繋いでいきますので最後までお付き合い頂けますと幸いです。なるべく内輪ネタも無し、または解説付きでお届けします。寂しいので今まで誰も突っ込んでくれなかったネタとかの解説も含みます。大体()内は読み飛ばし可です。(それをするから長くなるんだろうが)



1. タガタメに神風は吹く


いきなりマイナスなことを言ってしまって申し訳ないのですが、なんかイマイチ今年は七大戦に対してアツくなっている雰囲気がないような気がします。オープン種目がない、3日間開催になっている、などの大会自体の規模の縮小はしょうがない(ごめんなさい、陸上競技協会の偉い人に学生は逆らえませんでした)にしても、なんとなくこんな大会が開かれること自体すんごいレアで、そこに大学生活の全てとは言いませんが、何割かを捧げるだけの価値はあると思います。実際に自分とか他の同期・先輩たちもそんな人たちがいました。

だって“全国”の、“七大学”が一堂に会して、“陸上競技を”行うんですよ?考えてみてください。全国大会だって基本的に標準を突破した選手しか出られない、対校戦にしてもエリアが一緒、もしくは昔から仲の良かった2、3校が戦うぐらいなもんです。六大学野球でも6校だし、東京の大学しか参加できません。箱根駅伝だって関東限定です。他の競技に至っては、例えばラグビーとかアメフトは七大戦を開けないと聞きます。最短でも週1ぐらいのペースで試合をやる競技なので、七大学総当たりというのがスケジュール的に厳しいから?だそうです。

それを、大した記録を持ってない自分でも参加できると言うこと、他の大学もスポーツ選抜ではない、勉強もしながら続けてきた同じ土俵の全国の大学生と競い合えるということ、こんなキチガイみたいな暑さの中で、キチガイみたいな直射日光を浴び、キチガイみたいな競技数をする陸上競技の大会が開かれる(今回のW杯のインタビューでは聞けなかったので多めに入れておきました。霜降り明星せいやさん、お納めください。)ということは本当に恵まれていて、七大学で陸上競技を続ける人の特権だと思います。その上今年は7年に一度の我が九大が主管なわけですから尚更レアなことですよ。なんとなく大会運営というものに初めて携わることでそう強く感じました。


1年生はきっと上手く七大戦に対する熱量というものをまだ掴みきれていないと思います。本番で感じてくれたら嬉しいです。私も3年前は川野賀ブラック前々々パート長の跳躍を見て初めて七大戦を知りましたから。

2、3年生は…もっと髪染めて欲しいな〜。段吉前主将、いや、ダンキっちゃん(このあだ名はONE PIECEの光月おでんが白ひげを呼ぶときに白きっちゃんと呼んでいるとこから来ています)とかは2年生のころ真っ赤に染めてましたよ?私は、7年前の福岡開催で陸協のお偉いさんに、「運営は大人に任せて、学生がただ髪染めて遊んでるだけじゃん」と嫌味を言われたことを思い出し、大会運営に関わる身として、ブリーチなしで最大まで赤くしてもらったブラウンまでしかチキって染められませんでしたが、君たちは存分に染め上げてください。もちろん朱ではなく赤に。

4年生は…あ、自分たちなのか。だからあんま盛り上がってないとか思うのかもしれません。だって自分たちが心の内で一番盛り上がってんだもん。

ブログ何回も読み直してうるっときて、撮った集合写真とか見返してもう終わりなんだなと感傷にふけって、毎回の練習で不要なまでに声出してるんだもん。

昨日から、他大を倒すためにそれぞれの地方の名物を喰らうようにしてるんだもん。(ちなみに昨日は北海道の昆布スープと、東北の盛岡冷麺を食べました。断じてただ単純にスイカと冷えたスープと麺が食べたかった訳ではないですよ、えぇ。)(業務用マルタイ棒ラーメンで作っていることにより、結局九州を喰らっているのでは?というコメントは受け付けておりません。)

そりゃ周り見たら足りないって思うか。


大会運営については、最後駆け足で今まであんまり動けてなかったのを埋め合わせている感じになりましたが、熱中症で倒れる人が出ないように色々スポンサーの獲得や設備の用意に奔走しています。大会当日もあんまり応援には参加できないのかなと思っていますが仕方ないです。救急車を呼ばずに終えられるように頑張ります。

稲田監督の多大なるご尽力がメインではありますが、現在、大塚製薬やNISHIなどを始めとする10社に協賛をいただいております。出場する方も、応援の方も、観にこられるOBや保護者等関係者の方も対策は念入りにお願いします。規模が縮小した代わりに色々準備してくれたんだと思ってくれると幸いです。


競技に関してですが、いいイメージはできているものの、はっきり言います。自信はないです。7月頭の下関ナイターで久々に肘の痛みが再発し、ステロイド打とうかなーとか考えているところなので。

ですが、それを抜きにすればPBを更新した5月よりも、純粋な筋力、瞬発力やスピードは上がっているはずです。SDもBIG3もスナッチクリーンも練習ベストもあれから伸ばせましたので。


目標は、

・PB更新、50m

・九大歴代十傑入り

・やり投げで九大3人が決勝に残る

・九大陸上部創設史上初の総合3位

です。


2年生の頃からずっと大きな大会ごとに50mを目標にしてきていて、結局最後になるまで達成できていません。十傑入りだって、1年生の頃にここまでは最低目標だ、と思っていながら声に出すのが怖く心の中で決めた目標も、気づけば4年の7月になってしまいました。

きっと50m投げられなかったら引退できない気がします。1998年のフランスW杯で岡田監督(当時)がメンバー発表で「外れるのはカズ、三浦カズ」と言い放ったのを最後に、日本サッカー界にいまだに亡霊として彷徨い続けるキングカズか、または今回のW杯で引き際を見失ったサッカー界の神、リオネルメッシのようになってしまいます。「引退できないのはアツ、高木アツ」になってしまいます。(W杯ネタ多いわ)


大会自体のレベルも高い。50mを決勝ラインと見ていますが、資格記録で50mを投げる人が10人もいます。負けるわけにはいかない、高校同期のはしかんもいます。でもなんか大丈夫な気がします。今年の九大はやり投げ専門を3枚揃えることができました。埋め合わせとして、サブで出るのではない、専門が3人出るのは知る限りでは初です。それも自信を持って強いと言える後輩二人を連れて。心強いったらありゃしない。きっと三人決勝に進めるかどうかは自分に懸っています。自分が間に並ぶと、エイリアン捕獲の画像みたいな身長差になってしまう後輩二人ですが、本番では二人が伸び伸びと活躍できるように自分も踏ん張ります。絶対に決勝行くぞ。


元々の目標は4年生の最後の大会、九大主幹として博多の森陸上競技場のど真ん中でPBを更新して、決勝紹介されて、得点を持って帰ることを夢描いていました。それが博多の森のメイン競技場の芝生の養生(まだ納得してないよ💢)により、補助競技場でやることになってしまいましたし、決勝紹介もおそらく時間がない、得点ラインもかなり厳しい状況で、だいぶ当初の夢には至らない目標となっています。

現実は冷たく非情で、時に残酷で、容赦無く我々を踏みつけます。でも知っています。時にどんな物語よりも熱く華々しいことを。


『天網恢々疎にして漏らさず』

私が子供の頃、祖父が教えてくれた言葉です。悪事を行えば必ず天罰が下るという意味です。祖父はこの意味しか教えずに、悪いことしちゃいけないよ、と説いてくれましたが、これには逆の意味も含まれていると思います。誰かのために奮闘してきたこと、地道に研鑽を積んできたこと、沢山悩んで、それでも続けてきたこと。それはきっと誰かが見ているはずです。

神はサイコロを振りません。偶然は何らかの必然の結果です。

今までの自分を信じて、仲間を信じて、走って跳んで投げるのです。


九大の近くには、蒙古襲来の時に使用された防塁の跡が残っています。文永の役・弘安の役では二度の神風(暴風雨)が吹いたことによりモンゴル軍を撃退したとされていますが、近年の歴史学の研究から、実際に嵐が吹いたことは事実だが、それ以上に現地の御家人たちの果敢な白兵戦や防衛体制がモンゴル軍を苦しめており、神風のみで勝ったという見方は伝説として誇張されたものであると見直されているそうです。

神風は誰のためにも吹きません。神風を神風とするのは今までの自分と今の自分です。今までのことが原因で吹かなかったらそれは天罰を下した神のせいです。それならもうしょうがない。神の見る目がないだけです。

自分たちの力でただの風を神風に変えるんです。使い古されたベタな表現をあえて使います。奇跡は起こるもんじゃなくて起こすものだと。

見せてやりましょう。九大の底力を。



2. 高木淳匡:ライジングオリジン


本気で取り組んできたものには、今の自分を奮い立たせる力があると思っています。

中学の頃の美術で何度も居残りして作った椅子の模型、高3の文化祭で自分が脚本を描き、舞台演出や演技指導などの監督をして作り上げた1時間の劇、大学入学への受験勉強、これからで言えば卒論や修論はきっとそれらに並ぶものになるでしょう。


曲がりなりにも、私は現在部員160名を超える九大陸上部の副将をやっている訳なのですが、入部時には誰も私がそこまでのポジションにつくとは思ってなかったはずです。陸上への熱量や技術、知識何もかも足りていない私が。

長くなりますが、オリジンを探して振り返ろうと思います。


いわゆる陸上の大会に最初に出場したのは小3の青森県のマラソン大会でした。親の転勤の都合で東京から青森に引っ越し、2回の冬を超えて少しは北東北(方角多すぎるだろ)(バイク川崎バイクみたいな言い方)(中京大中京でも可)の寒さにも慣れた4月、競技場とその周りを走るちびっこマラソン大会に出場しました。小1のシャトルランから吐くまで走っていた私は、なんとなく長距離得意意識があったらしく、陸上教室などに入って練習を積んでいる同い年の子に混ざった鬼ごっこ育ちの私と弟はどちらも3位入賞。初めての自分だけのメダルに浮かれて、弟と二人で3位の表彰台に登って元名古屋市長河村たかしもビックリの力で強く噛み締めました。

他の陸上に関しての小学生でのエピソードは…2011年テグ世界陸上の100m決勝で、ボルトがフライングした時のシーンを真似していたぐらいでしょうか。「テグの静寂を突き破ったのはボルトの足音…(この表現今思うとエグすぎる)」の実況と、ユニフォームを脱ぎ捨てるシーンをよく覚えています。小学生の頃のスターでしたからね。

ごちゃごちゃ書いていますが、特に陸上にのめり込むこともなく小学生を終えます。次に陸上に触れるのは中2です。野球部だったのですが、人よりは持久力があったため区の学校対抗の体育大会で3000mに出場し、なんかレベルが例年より低く、たまたま優勝してしまいました。その後も東京都の市区町村対抗の駅伝大会に出たり、その流れで高校では野球部ではなく陸上部を選択し、長距離をしたりしていましたがこの頃はやり投げのやの字もありませんでした。というか別に陸上に熱中した瞬間はありませんでした。ちょっと背伸びして入ってしまった我が母校の都立青山高校は、基本勉強メインで他の同期が言うような部活への熱量の高さは全体的にそこまでありませんでした。学校の近くにある神宮球場で、毎年学年ごとにマラソン大会をやるのでそこで走りたい(コロナで1回も走れんかった)、そばの外苑の銀杏並木の周辺が陸上部の練習場所だったのでそこで高校生活を楽しみたいというような、大学のサークルの志望動機みたいな理由で始めていました。

高2の秋にやり投げに出会い、その後の大学陸上への繋がりは…2回も書くとまた長くなっちゃうので、3年前の1年生時のブログと、以下の前回の年末ブログの抜粋をご参照ください。


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こういう時に私は なんで始めて、なんで続けているんだろう と、かなり根っこの部分から立ち返って考えてしまいます。

前述のとおり私は逆張りを極めています。人生の選択全て逆張ってきた気がします。高校は兄が行っている公立高校を避けて同レベル帯の別の公立高校に行き、理系生物選択をし、関東にあふれるほどある大学を避け九大を志望し、コミュニティを作るために何かに入ろうとするもののサークルはしゃばいとか言って部活を選び、もともとやってた長距離は別に大学卒業してからもできるとか思ってやり投げを選びました。こんな逆張りを続けていると、決断した後後悔することもしばしばあるわけです。

なんとなくこの逆張りの根底には、 今しかできないことを全力でやる という意思が詰まっていると思います。人と同じことは人に聞けばいい、今しかできないことは本当に今しかできないのです。

もう選んでしまった以上はこの道を正解にするしかない。全部本気でやってその上で無理だったとしても、その経験と過程には絶対後悔しないはず。

だから始めて、だから続けているのです。

「ところでお前は全部本気でやれてんのか?」

答えはNOです。本気でやれてない奴に後悔する筋合いなどありません。

研究室が忙しいだの、副将の仕事が忙しいだの、七大戦の仕事が忙しいだの、何かと言い訳をして向き合い切れていませんでした。ありがたいことに部活でも副将という立場、研究室という新しいコミュニティを手に入れてしまったがゆえにそのタスクを処理することで図らずも自分の居場所が出来てしまい、自分の競技、ひいては部活の練習をおざなりにしていた部分がありました。

(年末ブログより抜粋)

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何が言いたいかって、結局競技自体には最後まで本気で取り組めなかったような印象があるんです。やっぱり他の先輩・同期・後輩の熱量がすごかったから。少し負い目も感じているんですよ。

みんな練習日記をつけてる中、どうせ続けられないと始めませんでしたし、これなら続くかもと思った練習後のフィードバックとしてのスプレッドシートの記入も三日坊主にすらなれず2日で終わりました。(早すぎるだろ)

正直言ってウエイトトレーニングの方が好きなんですよ。まだ今の段階では順調に伸びてくれるし、別に誰とも競わなくていいし。陸上に対してもそんなに愛を語れない気がします。矢木とか梁さんとかはすげぇなって心から尊敬してますもん。(あれは例外なのかもしれない)自分の中での陸上の立ち位置って、成り行きでヌルッと始めて、たまたま辞めずに済んでいるだけのものなんだと認識しています。


じゃあなんでここまで続けてこられたのだろうか。それはひとえに高校でも大学でも陸上部が好きだったからに他なりません。こんな自分でも居させてくれたこと、対等に笑い合って競い合えたこと、必要としてくれていたこと。


副将、そして幹部の仕事というのは部員たちが不自由なく、競技に集中できる環境を作ることだと思って一年間勤めてまいりました。それは、OBとの関係を強固なものにすることであったり、他パートとの交流を深めることであったり、先頭に立ってチームを一つにしようとすることであったり、いろんな形があったと思うしそれを見てきたと思います。

自分は主にスポンサーとの関係を結んでいくことで資金を充実させ、足りない設備を補っていく立場でした。結果的に資産価値としては100万円ぐらい稼いだのではないでしょうか。ほぼ毎週あるようなスポンサーとの打ち合わせも、LINEやメールでの交渉も、陸上部が好きだから続けてこれたことだと思います。

後輩たちのブログにも書いてくれていたのですが、色んな人に気を配れていたのもそれが理由です。あとは上の兄と下の弟に挟まれるような次男だったからでしょうか。

色んな人とコミュニケーションを取ることもずっと心がけていました。本来根暗で気の合う人にしか自己開示ができない性格ですが、病みやすい自分だからこそ、記録で落ち込んだ時、仲違いした時、忙しさに押しつぶされそうになった時、モチベーションが低下した時、それぞれ経験しているから掛けられる言葉があるのではないかと信じて積極的に話しかけるようにしてました。らしくないかな。いや、今となってはその自分こそがらしさなのかも。ただ単に先輩らしくしたかったのかもね。先輩オ◯ニーにつき合わせちゃってごめんね。ダル絡みもいっぱいしてしまった。特に3年生には激しくダル絡みをしていた気がする。ゆうすけとか。(現在進行形)ごめんね。でも、何か少しでもそれぞれの人たちにプラスで働いていたら幸いです。


でもね、陸上部が好きだからという理由だけにしちゃあ、悩みすぎだと思います。高木鬱匡の淳は巷では有名な話ですからね。基本的にメンタルがへなちょこなんです私は。年末に父親とその友人と3人で飲んでる時にも、三兄弟で一番メンタル弱いと父親に言われました。(もちろん傷つきました。)

そして、陸上部が好きだからという理由だけにしちゃあ、時間を割きすぎていると思います。技術や知識が何も足りてないと書きましたが、1年生のあの頃から比べると格段に体はゴツくなった?と言われることが増えましたし、足速くなってね?と言われることも増えました。重め前髪黒マッシュの鬱時代の頃とは別人です。ここに関しては紛れもなく自分の積み重ねの結果です。

副将という立場がそうさせたのか、目標を諦めたくないというちっぽけな勇気とプライドのせいか、みんなが私を引き止めてくれていたのか、それは定かではありませんが投げ出さずにここまで必死に繋いできました。結局このくらいが自分の本気なのかなとも思ってます。


1年生の時に部活に入ろうと決めた、今しかできないことを全力でやろうとする心と、選んだ道を正解にしようとする心。その原点はきっと副将の仕事をこなしてきた事や、いろんな人とコミュニケーションをとって九大陸上部をより良いものにしようと奮闘してきた事として昇華しているのでしょう。


副将として、あさの、東、でぃーちゃんに。

次の九大陸上部がどれだけ良くなれるかは君たちに懸かってるよ。我々ができなかったこと、足りなかったことを補いながら夏矢を支えてください。

1年前、だんきっちゃんが我々に伝えてくれたメッセージを君たちにも送ります。

「いくら手間がかかっても、いくら疲れようとも幹部が機能しなくなったら困るのは後輩ちゃんたちなんだから。彼らが被害を受けるのはナンセンスだよ」

自分たちも色々衝突はありましたし、何度もミスしてきました。冬季とかは毎日のように、はよ引退したいなーって思ってました。でもなんとかここまでやってきました。辛くても踏ん張ってください。考えることをやめないでください。

期待しています。



3. Stand Out Fit In


コロナで自宅待機期間だった2020年4月頭のあの頃、我々高木家は三兄弟仲良く家のリビングで勉強をする日々でした。それぞれが好きな音楽を入れたプレイリストをシャッフル再生しながら勉強していました。兄は高橋優とかだったかな、私はBUMPがメインでした。弟はロクに英語もわかっていないのにワンオクばっか入れてました。別にワンオクの曲なんて他にもいっぱいあったのですが、この、Stand Out Fit Inだけが妙に頭に残っていました。MVも覚えています。意味は、「はみ出して、馴染め」。


さて、それから入部して今日までの間、フィールドパートにぴったりの言葉だなぁとずっと思っていました。ようやく最後の最後に回収できました。

代々フィールドパートははみ出し者のパートでした。競技の性質上、各個人の試技時間が与えられているからか、まぁ尖った人が多かったです。私たち同期がバラバラの競技で、全く違うベクトルでイカれているのも。

でもその分イカれたベクトルを全体のために還元しようと馴染んでいたと思います。6人全員が、パート長、学連役員、副将、女子主将、主将と役職についているのは稀に見るバランスの良さと上手な個性の活かし方だったでしょう。


ひろかずパート長が就任して最初の決意表明のLINEグループのノートには、一人一人の個性という羽で飛び回って欲しい。疲れたら羽を休める場になるように。との思いが綴られていました。

あっちゅー間に後輩が入ってきて学年が押し上げられ、2年前の七大ブログでは自分がパートに還元できたことは何もないと書いていましたが、気づけば最上級生になっていて、否応もなくパートに影響を与える立場になっていました。


結論、羽を休める場であったと思います。良くも悪くも。負の面はもちろん談笑パートを産んでしまったことです。でも、そんなものでいいのかもしれません。タダ ノブカツくんなのですから。やめたって死にやしないです。上を目指すために厳しい練習を積み重ねもするけど、締めすぎて行きたくなくなるぐらいなら、緩めて寛容にして、羽を休められる側面も持つようなパートに。締める人がいれば緩める人もいる。(12月ごろは緩めすぎました。申し訳ありません。)それぞれがそれぞれの強みを最大限発揮できるような場所を作っていく、ひろかずの思いは伝わっているのではないでしょうか。


2、3年生はいつの間にか4年生の誰かしらのイズムを受け継いでるように感じます。去年は特に大月もあさのもたくみちも、全員和知前パート長のイズムを色濃く感じましたが、今では、○○でお馴染みの とか、○○では無く とか、みちぃさん活用形とか、談笑パートとか。言動までもがだいぶ我々に染まっちゃってる気がします。(和知くんのNTRみたいでごめんね)

七大戦が終わったら次は大月たちの政権です。どんな色に染まるのでしょうか。中々今の2年生は手強い人たちが揃っていますから手を焼くこともあるかもしれませんが、楽しみにしています。きっと個性の強い色が上手く混ざり合えば、美しくて濃い赤色に染められるはずです。間違っても朱色にならないように、正せる人がいるといいな。自分はそれで助かったから。君たちならもっと強いフィールドパートが作れるはずです。



4. Acknowledgement


何度も言いますが、ここで私の陸上人生は一旦おしまいです。

まぁ大事なものは失ってから気づくと言いますから、もしかしたらふらっとグラウンドに現れるかもしれません。その時は老害扱いしながら受け入れてくれると嬉しいです。


正直ね、目標いっぱいあげましたが、別に達成できなくてもいいんです。亡霊になってしまうかもと書きましたが別にそんなことないです。春インのPB更新とBP 100、SQ 150、DL 200の、目標としていたBIG3の数値の達成で多少満足してるんですよ、大学陸上には。あとは全力出しきれて燃え尽きればいいかなって思ってます。

でも、これじゃあ今まで支えてくれた人に顔向けできない。

みんなへの感謝を込めて2本投げてきます。最後はみんなの思いに乗せて目標達成してきます。声と思いでやりを押し込んでください。お願いします。



1年生へ

まずはフィールドパートを選んでくれてありがとう。うるさい先輩というような印象しかないかもだけど、声量に負けないぐらいのどでかい花火打ち上げるから、俺らの最後の輝き目に焼き付けて、陸上の熱を燃やしてくれや。

まだ慣れてないのかもだけど、君たちはもっと自分の個性を出していいと思うんだ。違いは強みになる。

人数も種目が被る人も多く、選考争いはずっと付き纏うと思うけど、仲良くそれでいてライバルとして切磋琢磨し合う同期であり続けられることを願っています。


2年生へ

実力者揃いで何にも靡かない、ブレない芯がある君たちに、私はあれやこれや文句を言ってきましたがきっとそのまま突き進むのが強いと思う。

なんとなく、おーすけとかが入ってきたあたりから、自分には技術面のことはウエイト以外教えられないから、人間的な部分のお手本になれるように頑張ろう。と意識を変えさせてくれた代でした。まぁ先輩ぶって空回りすることも多かったですが。

慕ってくれて、くだらない話に乗ってくれてありがとう。

もっと他パートとの関わりを持ってくれたら…厳しいか。

フィールド旋風が君たちを中心に回って、陸上部全体まで広まっていくことを期待しています。

特に投擲パートの3人。私はあなた達が心配でたまりません。最後の練習まで連絡はしないし、余裕で遅刻するし、談笑パートが始まるし。いや、これは私とみつまさの背中を見てきていたからか。ごめんなさい。でも君たちは私やみつまさと違って、一人で努力できる人たちですからそこに関しては心配していません。次の新一年生も途切らせずに投擲パートに迎え入れてくれるといいな。

いいところはそのままに、悪いところは直しながら。大月次期パート長に迷惑かけないでね。協力してあげるんだよ。


3年生へ

後輩っていうよりも同期の方が近い感覚でした。いろんなとこ一緒に遊びに行ったからかな。練習中にくだらんことで張り合いをしていたからかな。等身大で付き合ってくれてありがとう。

ゲリラで遊ぼうと誘っても結構乗ってくれて嬉しかったです。ウザくない弟みたいな感覚でした。

自分が言うのもなんですが、君たちに足りないものは自信だと思います。何かこれだけは負けないというような個性があればきっとすぐに花開く気がします。得意を磨いてみてください。

自分が自信を持てたのは、ある程度ウエイトが伸びたのと、声がデカいのと、会話の守備範囲の広さなら負けないというような取るに足らないカスみたいな理由です。そんなんでいいと思います。腐らずに磨いていけば花は開くんです。

本気で取り組む楽しさを、あと一年で感じてくれたらいいなと思います。競技にも、運営にも、本気でぶつかって悩んだ先に答えは待っているから。そこに後悔の文字は存在するはずないから。

負けんなよ。もっとはみ出していこうぜ。


先輩たちへ

たくさん可愛がってくれてありがとうございました。記録でお返ししたいと思います。生意気で無礼な態度も受け入れてくれて、本当に居心地が良かったです。

特に梁さんには本当にお世話になりました。まだ何も成し遂げられてないのが悔しいです。梁さんが九大十傑に刻んだ名前のちょっと下に自分が載ります。待っていてください。


青高陸上部関係者へ

躍動を陰ながら応援してくれると嬉しいです。田代先生には恩返しとしての記録を残してきます。東京就職したらコーチも余裕ある時にやりたいとずっと思っています。まずははしかんとの勝負、楽しんできます!


同期へ

間違いなく辞めずに続けてこられたのはあなたたちのおかげです。私の大学生活に居場所を作ってくれてありがとう。他の種目とかを見ると、欠ける事なく、6人がそれぞれの舞台で活躍できること自体恵まれているのかもしれません。

3年の春インで私が、同期全員でPB出したいって言いました。あの時は自分が足を引っ張って叶えられませんでした。覚えていますでしょうか。まだその可愛い幼稚な願いは叶うでしょうか。男子4人ではなく同期6人で。もう4年生だからね、去年みたいなスカし方はもう卒業。最後は6人笑って写真撮りたいです。



その他、支えてくれた親や応援してくれた友人、OBOGさんたちに、この場を借りて心からお礼申し上げます。ありがとうございました。



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このブログのタイトルは、3年前に書いた1年生の最初のブログタイトルのセルフオマージュです。同じ場所で成長してきたことを証明したかったからです。みつまさのタイトルもきっとそうでしょう。やることが一緒です。ずっと否定してきましたがやっぱり似たもの同士です。そういう男です。


終わりはいつも、何かの始まりです。

悲観することなく、今までの自分に別れを告げようと思います。それはきっと、次の新しい何かへの挑戦の始まりだから。




遺書を書いていたつもりが、ラブレターみたいになってしまいました。

このラブレターは丁寧に折りたたんで、答え合わせの七大戦が終わるまで仕舞っておきます。



周回軌道の内と外、はみ出し者たちは弧を描く。

美しく、鮮やかな羽を広げて弧を描く。

神はサイコロを振らないらしい。

思いと願いはここ、博多の森に。



さぁ私も最後のバトンを繋ぎます。

次は三井女子主将。頼んだ。