Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

富士の高嶺から見渡せば

外国を「外夷」と蔑視する中国、その内実はそろそろ底が割れてきた

2026.07.21 14:37

南シナ海仲裁裁決から10年でまたも「紙くず」発言

南シナ海の領有権を一方的に主張する中国に対して、ハーグにある常設仲裁裁判所(PCA)が「中国が南シナ海を歴史上、排他的に支配してきた証拠はなく、国際法に違反する」と一刀両断し、南シナ海の権益をめぐって中国が「歴史的権利」だとする主張にも「法的根拠はない」と裁決したのは10年前の2016年7月12日だった。

この仲裁裁判所の判断から10年となるのにあわせ、日本や米国、フィリピン、豪州、ニュージーランド、カナダ、ドイツ、イタリア、英国、ルーマニア、スロベニア、それにバルト3国の14か国が共同声明を出し、この判断は「最終的かつ決定的なものだ」として、改めて中国に順守するよう求めた。

これに対し、中国は「いわゆる『裁定』は違法かつ無効であり、法的拘束力を持たない『紙くず』に過ぎない。中国はこの「裁定」を一切受け入れず、また承認もしない。さらに、この裁定に基づくあらゆる主張や行動に反対し、これを拒否する。いかなる状況においても、南シナ海における中国の領土主権および海洋権益が当該「裁定」によって影響を受けることはない。」(所谓“裁决”是一张非法无效没有拘束力的废纸。中国不接受、不承认该“裁决”,反对且不接受任何基于该“裁决”的主张和行动。中国在南海的领土主权和海洋权益任何情况下不受该“裁决”影响。)と10年前と同じ文言を繰り返し、相変らずの強気と傲慢さを見せつけた。

環球時報7月13日「一部の国が“南シナ海仲裁判断”10周年を騒ぐのに対し中国外交部が厳粛な声明発表」(针对有关国家炒作“南海仲裁案裁决”出台十年,中国外交部发布郑重声明)

中国は条約加盟国として「拘束される立場」にある

ところで常設仲裁裁判所(Permanent Court of Arbitration)は「国際紛争平和的処理条約」(Convention for the Pacific Settlement of International Disputes)という、1899年の第1回ハーグ平和会議で原条約が採択され、1907年の第2回ハーグ平和会議で改正が行われた国際条約に基づいて設立された。当時の清朝政府は1899年と1907年のハーグ平和会議には2回とも代表団を派遣し、1899年の原条約と1907年に改正された条約の両方に加盟国128か国の一つとして署名している。清朝の後に成立した中華民国と中華人民共和国は、ともにこの国際条約の継承国と見做され、当然のこととして加盟国として仲裁裁判所の決定には「拘束される立場」にある。

また仲裁裁判所の南シナ海仲裁裁決は、国連海洋法条約UNCLOSという国際法に基づいて下された判断であり、UNCLOSには「強制的仲裁制度」という手続きを定めた附属書VIIがつけられている。中国はこの国連海洋法条約に1982年12月10日に署名し、1996年6月7日に批准している。つまり、仲裁手続を定めた附属書VIIの規定を受け入れた中国は、仲裁手続に参加しなくても裁決に拘束される義務を負っていることになる。

国連常任理事国が国際法“無視”で許されるのか?

中国は国連常任理事国5か国の一角を占め、国連と国連関連機関が定めた規則や手続きに忠実に振る舞い、国際法のルールを厳格に守るべき立場にあるが、世界にその範を示すべき「大国」が、国際司法機関が国際条約に基づいて下した判断を、「紙くず(废纸・廃紙)」だといって切り捨てれば、そのひと言ですべてが済むと思っているのだろうか?

しかし、国際法学界の見解や国連海洋法条約UNCLOS加盟国の立場、それに仲裁裁判所自身の結論は、「この裁決は最終的で拘束力がある(binding)」、「たとえ中国が参加しなくても効力は失われない」、「中国はUNCLOS加盟国として裁決を遵守する義務がある」という考え方で一致し、これが国際法上の結論となっている。

中国は南シナ海仲裁裁決に法的に拘束される立場にあるのにもかかわらず、仲裁裁判所の裁決や国連海洋法条約の規定には、罰則や強制力がないために、中国政府はこの裁決を政治的に拒否するという態度を貫いているにすぎない。「法的拘束力」があるにもかかわらず、「政治的拒否」が可能だというギャップが、南シナ海問題の複雑さの核心であり、解決を困難にしている原因にもなっている。

しかし、一般的に法治主義が確立された近代的な国際社会において、法的拘束力がある国際司法組織の判断や国際条約の規定があれば、それに従うのが普通で、昂然と異議を唱えるほうがむしろ異様だといえる。そして、中国が「法的拘束力」を無視して「政治的拒否」という特異な態度をとるのは、中国自身が持つ特異な文化的背景。中国特有の思想的傾向があるからだと推察できる。

外交を「夷務」、条約締結を「夷撫」といって憚らない中国

中国は古来、「外交」つまり異国との交際を「夷務」と称してきた。1840年のアヘン戦争の後、西洋諸国との貿易事務を「洋務」といい、軍備の近代化や西洋技術の導入を「洋務運動」と称してきたが、この「洋務」はアヘン戦争以前には「夷務」と言い慣らしてきた。「夷狄=野蛮人」を指す「夷務」という蔑称を西洋人が嫌ったために、西洋の洋を用い「洋務」と言い換えたのである。要するに西洋諸国など外国との付き合い、つまり外交は、夷狄を相手にすることと同じだという感覚、つまり外国人に対する「蔑視」があったことは間違いない。

アヘン戦争を契機に結ばれた南京条約や北京条約など、外国と条約を結ぶことを当時の清朝政府は「撫夷」と称した。「撫夷」とは文字通り「夷狄を撫でる」、つまり慰撫(いぶ)するという意味だ。儒教では夷狄は禽獣に等しい野蛮な存在なので、相手の望む条約を結ぶことなど、猛犬を手なずけるために撫でて少しばかり餌を与えるようなものだ、という感覚がかれらにはあるという。

<岡本隆司『教養としての「中国史」の読み方』PHP文庫2025年10月 394頁他)>

それがよく現れているのは、中国国営の英字紙チャイナ・デイリー(China Daily)がフィリピンを猿に見立ててAIで生成し、7月10日、中国の動画投稿サイトBiliBili(哔哩哔哩・ビリビリ)に投稿した動画だった。1分ほどの動画では、フィリピン人の伝統衣装を着た猿のキャラクターが、「U.S.A.」「Japan」と書かれた腕に肩をつかまれて、みすぼらしい木造船の上の連れ出され、「南シナ海仲裁判決」と書かれたヨレヨレの紙を手渡される。猿はその紙と一緒に海に投げ込まれたうえ、中国船とみられる船の放水銃を浴び、「仲裁判決」と書かれた紙が漂う海では鯨が「海を汚すな」と警告する。つまり仲裁裁定を海を汚す「紙くず」として扱った上に、フィリピンが日米によって操られていると揶揄する内容だった。これに対し、フィリピン国内では「人種差別」だとして中国を非難する声が上がり、フィリピン外務省も「きわめて不快で、容認できない」とする声明を出した。

https://x.com/whyyoutouzhele/status/2077367575533482010/video/1

中国は大国でなければならないという脅迫観念

中国国営の、しかも海外向けのメディアが、堂々と何のためらいもなく、外国を猿に見立てて揶揄するなどという外交的非礼は、中国にとってはごく日常の当たり前のことなのかもしれない。それは、古くから外国を「夷狄」と称し、中華文明の光明に浴することもできない「化外の地」、すなわち野蛮な場所で暮らす禽獣に等しいと見て、憚らないためだ。

それは前述のとおり、古くは外交事務を「夷務」と称し、外国と条約を結ぶことを「夷撫」と豪語してきたことによく現れている。中国にとって、周辺国との関係は「朝貢」と「冊封」の関係であり、現在の習近平の「一帯一路」政策も、中国に頭を垂れ縋り寄ってくるものに対しては、「施し」=援助を与えるという関係に過ぎない。

最近、中国南部で洪水被害や土砂崩れが発生し多数の犠牲者が出ている中で、中国政府は震災に見舞われたベネズエラに対して、これまでの現金支援に加え、1億元(約23億8000万円)規模の緊急無償物資支援を追加で提供することを表明した。

6月30日、中華人民共和国駐日本国大使館によるXへの投稿

これに対して中国広西チワン族自治区のダム決壊による大規模洪水被害を受けた住民たちからは「自国の被災者には何の手も差し伸べない一方で、外国には援助を惜しまないとはどういうことか?いったい誰のための政府なのか?」という非難の声が上がっている。

岡本教授によると「漢語において『中国』とは『大国』と同じ意味」であり、「中国は、『中国』を名乗る以上、大国でありつづけなければならず、大国でいる限り。民主化は難しい」(前掲書445頁)という。『中国』であるかぎり、ひとつのまとまった大きな国である必要があり、台湾独立やチベット・ウイグルの分裂は許すことはできない。そして「大国」であることは、なによりも外国に対して示す必要があり、自国の国民より外国に示す威信のほうが優先なのである。

しかし、考えてみれば、Chinaが「中国」や「中国人」を自称するようになったのは、梁啓超が日本に亡命して『新民叢報』(1902〜07年)という雑誌を発刊し、日本からさまざまな情報を発信してからで、20世紀初頭になるまで、Chineseは自国や自分たちについて指す言葉、全国共通の統一された呼び方を持っていなかった。「中国」=「大国」などという大それた観念が生まれ、かれらのアイデンティティにさえなったというのは、つい最近のそれこそ21世紀になっての現象といってもいい。毛沢東の中国は、どう見ても世界の最貧国の一つだった。鄧小平の時代を経て、「世界の工場」と呼ばれるようになった90年代後半以降、経済の離陸が始まるが、鄧小平の遺訓である「韜光養晦」を脱ぎ捨て、習近平がその爪を露わにした途端、「世界の工場」はがらがらと崩れ、外国資本の大規模な撤退が始まっている。大国「中国」の寿命は意外と短いと誰もが見ている。。

「胡漢雑居」と「胡漢一体体制」が普通だった唐代

ところで、前回も書いたが、中国の歴史には、つねに遊牧民が深く関わってきた。五胡十六国時代には、華北では「胡漢雑居」とも呼ばれる遊牧民との融合が進んだ。

その後、華北を統一した北魏や全国を統一した隋や唐も、鮮卑族をルーツとする遊牧民の王朝だった。唐王朝の宮廷ではペルシャ系のソグド人やウイグル人、それに吐蕃(チベット人)らが活躍し、影響力を行使した。それは「胡漢一体体制」と呼ばれ、武略にすぐれた胡と文化にすぐれた漢が共存する体制は10世紀の五代十国の時代まで続いた。唐は胡漢一体体制を敷くことで、ソグド人のもつ巨大な経済力を利用し経済的にも軍事的にも発展を遂げた。北の突厥や西のソグド人などを包括した大帝国に発展した。

一方、明代になると「華夷の辨(べん)」と称し、モンゴルに支配された元朝とは真っ向から異なる制度と政策を実行した。「辨」とは分け隔てること、つまり「中華」と「外夷」を辨別し、外夷を疎外・排除することをいう。そのために海外との通交・商取引を遮断する海禁政策を実施し、元朝時代に流通した貨幣を禁止するため、貨幣を介在させない物々交換、現物取り引きを全国に適用させた。しかし、これがかえって庶民の間に私鋳銭とよばれる通貨を流通させ、密貿易を盛んにさせることになる。この時代の危機・脅威を示す言葉として「北虜南倭」と言われるが、このうち「南倭」とは、「倭寇」と称しながら実際には明側の密貿易業者の活動を指し、実態経済として商取引が盛んに行われているにもかかわらず政府が貿易を頑として認めなかったことによる混乱、危機を指している。

明=「華夷の辨」から再び清=「華夷一家」へ

明代が「華夷の辨」を国是とし、「中華」と「外夷」を峻別し、自由貿易を頑なに認めなかったのに対し、異民族王朝である清朝は「華夷一家」を自称する政策をとった。もともと女真(ジュシェン)を名乗るツングース系の狩猟民族だった満州人は、高麗人参や貂皮(ちょうひ)といった特産品を扱い周辺の民族と交易を行う「商業資本家集団」、あるいは「多種族からなる武装貿易集団」だった。

明とは対局にあり、正反対の性格をもつ清だったが、経済や社会も明の制度をほとんど変更することなく引き継いでいる。唯一自分の我を通したのは、服従の証として「辮髪(べんぱつ)」を強制したことぐらいだといわれる。科挙をふくむ明の官僚制度をそのまま踏襲し、民間で行われていた銀と私鋳銭の貨幣的使用をそのまま認めた。

歴代皇帝のうち清の最盛期を誇った康熙・雍正・乾隆の時代を通じて、清は対外遠征を繰り返し領土を拡大したが、注目すべきはその拡大した領土のもとでは従来の社会構造や制度がほぼ温存されたことだ。チベットではダライラマによる政祭一致のシステムを何一つ変えてない。それぞれの種族の習俗慣行を尊重して、現行の秩序には手を触れない、この原則に則った統治イデオロギーは『華夷一家』と呼ばれる。

以上のような歴史から読み取れることは、歴代王朝において周辺の異民族を「外夷」として敵対し、排除するより、その周辺異民族の特性を活かして内部にうまく取り込んだ方が、はるかに国は豊かになり発展したという歴史的事実である。

外国人を敵視することで、愛国主義に訴え国民を一つにまとめようとしても、これだけインターネットなどを通じた情報流通社会では、いくら政府や国営メディアが情報をコントロールしようとも、その情報の素性はすでに見透かされている。中国を脱出して海外に「潤RUN」しようという人たちが絶えないのは、中国の底が割れている、つまり嘘がばれている証拠だろう。