体験が先、言葉はあと
大阪へ行った。
1日目は、グループセッション。
2日目は、京都でチームラボ。
ふたつは、まったく別の出来事に見える。
けれど今、振り返ってみると、
私はそこで同じことをしていた。
まず、体験する。
考えながら、じゃない。
分析しながら、でもない。
ただ、その場に身を置いて、
全身で受け取る。
グループセッションでは、
5人の、言葉にならない空気を。
チームラボでは、
光と空間の、圧倒的な情報量を。
「綺麗」
「すごい」
言葉は、それだけでよかった。
そして、あとから。
体に入った体験を、
AIと話しながら、少しずつ言葉にしていく。
なぜ、あの場は人を変えるのか。
なぜ、あの体感は、あんなふうに私に残ったのか。
バラバラだった感覚が、
するすると、つながっていく。
体験する。
そのあとで、言葉にする。
このふたつを、
分けてやる。
同時にやらない。
それが、最近の私の動き方なのだと思う。
でも今回、
この動きを、2日連続でやった。
体験して、言葉にする。
体験して、言葉にする。
濃度の高いサイクルを、
休まず、2回。
そして3日目。
何もやる気が起きなかった。
考えたくない。
動きたくない。
「あれ、壊れた?」と、
一瞬思うくらいの、放心状態。
でも、そうじゃないんだと思う。
体験を受け取って、
言葉にして、
また体験を受け取って、
言葉にして。
それだけの量を、
2日間でやったのだから。
3日目に何も出てこないのは、
故障ではなく、
当然の、反動。
むしろ、
ちゃんと動いていた証拠。
体験が先。
言葉は、あと。
このリズムを守っている限り、
「今すぐわからなきゃ」
「早く言葉にしなきゃ」
という焦りからは、
自由でいられる。
ただ、
そのリズムには、
休符も含まれているということを、
今回、あらためて覚えた。
やる気が出ない日は、
出なくていい。
それは、
2日分の体験を、
まだ静かに消化している最中、
というだけのことだから。