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5月17日 主日礼拝

2026.07.22 07:05

5月17日 主日礼拝

礼拝説教

伊藤大輔牧師


ルカによる福音書24章36〜53節

復活とは何か。

復活物語の中でイエスは弟子たちに語る。

私は亡霊ではない。

肉も骨もある、と。

エデンの園。

アダムが最初にエバに出会った時、

「これこそ私の肉の肉、骨の骨」と言った。

ユダヤ社会では人の尊厳を「肉と骨」で表す。

イエスは弟子たちに告げる。

預言の言葉を思い出せと。

「メシアを苦しみを受けた後、三日目に甦る」

「罪の赦しを世界の果てに告げる」

メシア、救い主。

人は救いを拒絶する。

勘違いであっても救いを拒絶する。

救い。

前に進みたい時、その可能性を与えてくれるもの、救い。

救いがない。

それは進めないこと。

そこに止まること。

閉じていくこと。

メシアは三日目に甦る。

救いを拒絶したとしても、その救いは、継続している。

救い終わることない。

救いが必ずある。

前に進むことが終わることはない。

私には骨と肉がある。

人の出会いの時の最初の言葉。

いつでも最初になれる。

終わりがない。

だが私たちは知っている。

この世界にあるものは全て終わりがあると。

人の命も、関係性も、国家も、物質も、宇宙も、すべて終わりがあると。

それでも聖書は語る。

終わりがない、と。

ならば私たちは考えなければならない。

「終わりがあるもの」と「終わりがないもの」がこの世界にある。

「終わりがないもの」とは何か。

「終わり」

モノの崩壊。

物質の崩れ。

人も物質でできている。

宇宙も物質でできている。

それは必ず終わる。

この世にあるものは全て物質か。

本当の私。

私の信念、私の使命。

「これが私」と私が私に納得のできるもの。

それは物質ではない。

説明、言語化ができない何か。

何かではあるがそれはちゃんとある。

私だけが分かる私。

それは終わりに支配をされないもの。

終わりのないもの。

私たちは持っている。

終わりのないものを。

復活とは何か。

私の内にある終わりのないものと出会うこと、信じること。

私が私を知る。

それは私に永遠の命があることを知ること。