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プラナヤマ

2019.03.18 12:03

子のデング熱が収まったと思ったら、私が痴漢(ちょっとした暴力事故)に会い、そこからショックで風邪を引いてしまうという展開。

けれどどうしても行きたかったプラナヤマのコースが始まってしまったので、鼻水ダラダラ、涙ダラダラの中でコースに参加。自己紹介の時には泣いてしまうし、ずっと息子の布おむつで鼻をかみながらのプラナヤマとなった。


肉体なんて肉体でしかないから、別に触られたってなんてことはないのだけれど、

自転車をこいでいたところをバイクで後ろから来られたので、これがナイフだったらどうなっていたかとか、この事件が起こる背後にあったインドの文化的背景とか、人種間の意識とか、オーロヴィル内にあるローカルとの摩擦とかを考えると切なくなってしまったし、何より彼の乱暴なタッチは私のマインドに混乱をもたらした。


事件の直後も何事もなかったかのようにバラタナティアムのワークショップに行ったのだけれど、先生が来なくて参加できず、氣を取り直そうと珍しくマンゴーアイスクリームを食べて家に帰った。


ひょっとするとこのアイスクリームのせいで風邪をひいたのかもしれない。笑


事故のあと、感情を味わおうと横になって観察してみても、フリーズして何も見えて来ない。

私のマインドは大して氣にしていないのかなと思うも、なんとも言えない不安感がある。


そのまま眠って次の日起きると、鼻水ダラダラ、喉は痛い。

なんだか悔しいし、別に熱があるわけでもないし、感情の問題が大きいと思ったのでそのまま3日間のコースに行くことにした。オーロヴィルに着いた時からずっと受けたいと思い続けていた先生のコースだった。


クラスの始まり。

自己紹介が始まると、私は昨日の事件の話をし、自分が今混乱した感情であることを伝え、

妊娠からおざなりになっている自分自身の学びを続け、深めるためにこのコースに参加したのだと伝えた。


自分で想像していた以上に、自分の中に不安や悲しさがあったようで、恥ずかしながら泣きながらの挨拶になった。事件のショックが引き金になって、自分の中の今までの悲しさが全部出てきてしまったみたいだった。

けれど、先生の大きな落ち着いたエネルギーに、ここでは全てが受け入れられる、という安心感と、この感情は縁あってたまたま味わっているに過ぎないという確信があったから、すんなりさらけ出すことができた。


コースは本当に素晴らしく、先生はちゃんと「体験」ができるまで生徒達を導いてくれた。

生徒のどんなわがままな質問にもユーモアと智慧を持って答えをくれた。

私自身のプラナヤマの体験は今までの100倍くらい深まった。

(私は13年前にプラナヤマの伝授を受けて、初めてプラナを体験をしプラクティスを続けていたけど、それきりちゃんとした先生には出会っていなかった。)

10年ぶりに本物の師による練習を受けることができたのだ。

こんなに嬉しいことはなかった。


3日経った今でも、身体の中に変化が起こり続けているのをはっきりと感じることができる。



1日目が終わる頃には鼻水はズルズルなものの、すっかり笑顔な私は先生に

「感情」というのは一時のものだよと言う例として講義の中で使われた。笑


2日目になると、喉が痛くなり、頭痛を感じ、

プラナヤマで頭はグラングランするわ、鼻水出るわ、もう、ゲンキなんだかなんなんだかわからないし、もはやふらふらだったけど、絶対に続けると言う意思があったから最後まで通った。


「不調」がある時は、「変容」の時で、治った後は元の身体には戻らない。

必ず何かしらの変容がある、と授業の中で話があった。

変容を怖がらず、逃げずに受け入れなさい、と。

この3日間はたとえ寝ていてもいいから、稽古場に来てエネルギーを感じていなさい、と。


なんとなく、今回の「不調」は大切なチャンスだと思ったのでちょっと頑張って三日間続けた。

不調と共に練習するなんてまたとないチャンスだと。


3日目にはするっと喉の痛みが取れ、鼻水もタオルを持ち運ばなくてもいいくらいに減り、

頭痛も無くなっていた。


最終日、バンダ、ムードラ、プラナヤマ、ヨガニドラ、すべての練習を終え、

優しいハグを交わし合い、クラスメイト(フランス人とドイツ人ばかりで、みんなフランス語をしゃべっていた)が皆無事でコースを終えられたことをお祝いし合った。

お祝いはスイス人の料理人が作ってくれた美味しい美味しいヴィーガンローケーキだった。


ちょうどケーキが到着する頃に、夫と息子もなぜか到着し、一緒にお祝いすることができた。


氣づけば、年齢も国籍も違う人々が、大切な学びと変容の時を共にした仲間になっていた。


プラナヤマはとにかく自分の中身を観察することだから、目を背けたくなることも出てくる。

特に年配の参加者は、自分の思考が本来のそれとずれていることに氣がついていくのが辛いようだった。


先生は私と同じで、個人的な「体験」からヨガに入った人だったので

すべてのことについて本当に体験できるかと言うことを重視する。(これは本当に私と同じで嬉しかった) 例えば、チャクラについてインターネットで調べればいろんな情報が出てくるから、

知識として「どこにチャクラがあって、どんなことを司っているか」と言うことを知ることは簡単だ。それでチャクラを知った氣分になれる。

だけれど、それは危険なことでもあって、本当にそのチャクラがあることを体感として感じられなければ、それはただの知識のコレクションと妄想でしかない。


先にエネルギーとしてチャクラの体験があって、

「あれ、これなんだろう?なるほど、これはマニプラチャクラと言うのか。

じゃあ、消化器系が弱った時にはここに意識を向けてみよう。」

とか

「この胸の感じはなんだろう?愛が広がって行くような感じ。もうちょっとみてみよう。」

と言うところからチャクラを発見して、それらの司っているものを意識して行くことがチャクラを知って扱って行く上でとても大切なことだ。



私のチャクラに関する体感も今までのそれとは全く変わった。


今まで個人的に体験してきたチャクラやエネルギーの体験を、

先生がより強めて、小さなラインまで感じられるようにディテールをガイドしてくれているようだった。


コースが終わっても身体の様子はちょっとおかしく、

私の身体は新しいバランスに向けて変化し続けている。


そういえば初めてインドでプラナヤマや瞑想を体験した時も、その体験が衝撃的過ぎて

自分自身のマインドに大きな変化が起こっていた。


今回はエネルギーの流れが大きかったので、身体に対する変化の方が大きい。


身体中の水分が入れ替わろうとしているようだ。

あちらこちらが緩んでいて、いろんなものが出て行く。


食欲のバランスが取れるようになって食べ過ぎなくなった。


茶色かった白目の色が少しきれいになってきた。


家族への愛が泉のように湧き上がる。

これはお母さんバージョンのエネルギー形態なのだろうか?笑


コースが終わっても、朝のセルフプラクティスは続いている。

チャンネルを繋げる作業が氣持ちが良くて仕方がない。

子が起きてきておっぱいを貪っても、ただひたすら内なる作業を続ける変態母さんである。


「体調が悪い」とくくってしまったらそれまでだけど

とにかく変化を続ける身体を見守って行こうと思う。


しばらくはアサナはお休みして内なる旅を続けよう。


改めてヨガという智慧の素晴らしさを、ダンスやヨガのクラスを通して広めていきたいと

そう思った。