本を読まないのは勝手だが、ツケは自分が払え
「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものは無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは、自分がどこにいるか知らないことですから。特にいまのような、どこに自分たちが行くんだろうと、自分で考えないとわからない時代が来たときに、歴史的なことに対する無知というのはいずれしっぺ返しがくる」
(宮崎駿;『教育について』;旬報社:他に岸田今日子,落合恵子,山田太一など:太田政男編)
すこぶる真っ当なことをケレン味なく真正面から言っている。いやいや、今の時代「本」に限定するのはいかがなものか……と。これなどは小賢しい。「木を見て森を見ず」だ。
文学作品に限定はしてないが、週刊誌をカウントに入れてないだろう。
鬼才ウイトゲンシュタインが『論理哲学論考』のなかで、
「私の言語の限界が私の世界の限界です」って言っている。真意は……「お前の言語の果てがお前の世界の果て」だとぶった切っている。
宮崎駿はこれを敷衍しているように見える。
広告屋のジェーム・ヤングが知的創造性について、「アイデアとは既存の要素の組み合わせ以外のなにものでもない」(『アイデアの作り方』)と喝破している。
その掛け算にするネタさえも本を読まないヤツは持ってないということになる。
昔の『2ちゃんねる』だったかに、「小金or金持ってるオッサンで浮気してなさそうなのは宮崎駿くらいしか思いつかん」で納得はしたが苦笑を禁じ得なかった。
そのオッサンがまなじりを決して言っていることなんだから、信じていい。
「センスってつまりは知識量なんだよ」という美術の先生もいた。
だから、学生時代に読書をサボった人は、今からでもいい。何もしないよりはいい。