デコック・パラスケヴォプロス彗星
日本酒とのコラボ
写真は清水真一氏が1941年に撮影した、デコック・パラスケヴォプロス彗星です。この写真には清水氏の説明やデータの書き込みは一切ありませんでした。そこで、この彗星について調べ始めたのですが、とにかくややこしい。第二次世界大戦中の発見ということもあり、各国間の通信状況はよくなかったようです。しかし、それ以外の要因がたくさん重なりました。
デコック・パラスケヴォプロス彗星(C/1941 B2、 Comet de kock - Paraskevopoulos)は1941年初頭、第二次世界大戦中の南天に出現した最大光度2等の彗星です。この彗星の前には、1940年9月5日に北天で発見されたカニンガム彗星(C/1941 R2)の出現がありました。カニンガム彗星は発見から次第に光度を増し、長い尾を伸ばし始めました。ライフ誌には、1910年のハレー彗星以来の最も輝かしい彗星として紹介されました[1] 。カニンガム彗星は1940年の暮れ、太陽に近付くにつれ急速に南天に移動し始めました。1941年初頭、南半球の観測者は大彗星の帰還を心待ちにしていました。しかし、1941年1月21日にアルゼンチン国立天文台で観測されたカニンガム彗星は、予想よりはるかに低い光度で観測されました。そのような時に、予報されたカニンガム彗星の近くにデコック・パラスケヴォプロス彗星が現れたのです。1941年1月15日、デ・コック(南アフリカ)は、じょうぎ座に5.8等の小さな尾をもつ霧状天体を発見しました。デ・コックはこの発見をケープタウンとヨハネスブルグの天文台に伝えました。しかし、デ・コックの発見はハーバード天文台には知らされませんでした。同1月23日、パラスケヴォプロス(ハーバード天文台ボイデン観測所長)がデ・コックの発見した彗星を観測しました。パラスケヴォプロスはデ・コックの発見を知らず、この彗星をカニンガム彗星であると考えました。その結果、カニンガム彗星が予報位置と大きく違うことを強調してハーバード天文台に報告しました。その後、チリ国立天文台・モンテビデオ天文台・コルドバ天文台でもC/1941 B2が観測されました。このように、カニンガム彗星とパラスケヴォプロス彗星との位置や光度の予報が近かったため、C/1941 B2の名称についても大きな混乱が生じました。この彗星は、最終的にはデコック・パラスケヴォプロス彗星と名付けられましたが、他のたくさんの彗星の名付け親たちは悔し涙をのむことになりました[2] 。
(新彗星の名前を巡る報道の論争[2] )
ES MIO! (これは私のものだ!)
Suyo? ES BIEN MIO! (あれは完全に私のものだ!)
ESTE COMETA ES NUESTRO(この彗星は私たちのもの)
SUELTEN (放してよ)
ME ENTENDIO ES MIO! MIO! (わかった? これは私のものだ! 私のものだ!)
SI SI SI (うん、うん、うん)
デコック・パラスケヴォプロス彗星について調べていると、ある酒造会社のHPに辿り着き我が目を疑いました。
「遠藤酒造場HPより」
彗(シャア)シリーズの1本として、「デコックパラスケヴォボロス」が販売されていたのです。「どうして?」大きな疑問が頭に浮かびました。その他にも有名無名の彗星の名が付けられた日本酒が販売されています。日本酒になぜ彗星の名前が付けられているかは不明ですが・・・。
(参考)
[1] LIFE Magazine December 23, Pg…40 Astronomy: Cunningham's
Comet Is 1940 Christmas Star
https://www.originallifemagazines.com/product/life-magazine-december-23-1940/?utm_source=openai(2026/07/26アクセス)
[2] S. Paolantonio, Quién descubrió el cometa 1941 B2, Historia de la Astronomía
https://historiadelaastronomia.wordpress.com/documentos/cometa1941/?utm_source=openai (2026/07/26アクセス)