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KANGE's log

映画「グリーンブック」

2019.03.18 14:26

日曜日の夜の回だというのに、かなり観客は多かったです。さすがアカデミー賞効果です。

実話に基づく話とのことですが、トニーとシャーリー2人の設定が絶妙ですね。

トニーはブロンクス住まいで白人だけど下層。ギャンブル好きで粗野で喧嘩っ早く、イタリア系らしくファミリーで賑やかに生活している。シャーリーは、幼い頃からピアニストとして成功している上にインテリ。カーネギーホールの上階に住む金持ちで、生真面目だがちょっと他者と壁がある。人種差別の関係と経済的・社会的な階層がねじれをおこしているうえに、性格的にも対称的な2人です。 

単に人種を超えた友情の話であれば、「よくある話」です。ほかにも「最強のふたり」や、ロードムービーであるという点でも「ドライビングMissデイジー」を思い起こします。しかし、本作は、このねじれ関係という点で、新規性が見られます。

そして、さまざまなねじれの関係が、笑いを誘う構造になっています。

最も印象的なのが、フライドチキンのシーン。本場ケンタッキーでカーネル・サンダースのフライドチキンをバケツで買い込んだトニー。シャーリーにも勧めるが、上流社会で育った彼は、お皿もナイフもフォークもない車内で食べることができない。しかし、フライドチキンは、もともと黒人奴隷たちの食べ物で、それを白人がアメリカを代表する食文化に仕立て上げたもの。それを白人が黒人に食べ方を指南するという、ねじれまくった構造になっています。

そして、このシーンは、初めて2人が「同じ釜の飯を分け合う」ということで、福田里香さんのフード理論的にも、友情関係の構築を匂わせる、意味のあるシーンでした。

終始この調子で、カーラジオを聴きながら、リトル・リチャードもアレサ・フランクリンもサム・クックも知らないシャーリーに、トニーは「俺の方が黒人だ」と言ったりします。このひとことは、後に警官がトニーに放つひと言の伏線となり、そして…という、エピソードにつながっていきます。

ぶつかり合いながら、徐々にお互いを受け入れていき、それぞれ自分自身にも変化が生まれていくというのは、まあ、お決まりの展開かと思います。

当時の南部の差別の状況は、観ていて心地のよいものではありませんが(それでも、表現が手ぬるいという声もあるようですが)、終始ユーモアに溢れ、真摯に人と向き合う良い映画だったと思います。真っ当過ぎて説教くさくならないのは、ひとえにトニーのデタラメさによるものですね。

ただし、気になったことが1つ。

なぜシャーリーが危険を伴う南部ツアーを強行しようとしたのか。途中で、トリオのメンバーから、ナット・キング・コールの逸話とともに語れます。ならば、シャーリーは、その演奏の素晴らしさで、裕福な白人たちを打ちのめす必要があったのではないかと思うのです。

「自分は黒人ピアニストの演奏を聴くほどの教養人である」という自己満足のために、彼の演奏を聴きに来るのではなく、ホントに彼の演奏が聴きたいから人が集まるのだということこそ、シャーリーにとってのゴールだったのではないかと思うのです。

結果的に、2人の関係性の構築だけで終わってしまい、「でも、世の中は、変わっていないよね。それで、いいの?」というところが残ってしまった感はあります。