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Baby教室シオ

偉人『六代目 鍵屋弥兵衛』

2026.08.07 00:00

今週は『花火』をキーワードに絵本『こんやははなびたいかい』(記事はこちら)、そして月曜の提案記事『花火の仕組みを学びに』(記事はこちら)と続き、今回は偉人も花火に関係する人物に決めた。今回の偉人『鍵屋弥兵衛』は写真もなければ、彼に関する情報は限りなく少なく、僅かな情報も内容が乏し過ぎて記事の内容も透けて見えそうである。とはいえどうしても花火で統一したかった。ならばどうするかということで、これまでに得た知識を組み合わせてそれらしい記事にするということに挑戦することにした。おそらく花火が四方八方へ爆裂するかのように、今回の記事はいくつかの情報が花火のように勢いよく飛び散ればいいのだが、不発に終わってしまうかも知れないが、記事を花火のように打ち上げてみようと思うのである。支離滅裂になる可能性もあり、書き終えた後燃えさしとなる可能性は大なのだが・・・

まずこの記事を肉付けするために日本の花火と世界の花火の違いというものを述べておく。日本の花火は世界で最も美しい円形であることは有名な話である。そんな日本の花火は室町時代に中国から渡来してきたものであり、江戸時代に花開いた文化である。日本初の大規模な花火大会とされる1733年の「両国の川開き」の花火は粋でいなせで気っ風がいい江戸の人々の娯楽ではなく、前年の飢饉や疫病で亡くなった人々の慰霊と悪疫退散を願う行事として行われたことをご存知であろうか。現代のお祭り的花火大会ではなく実は「慰霊」が始まりだったのだ。これはまさに驚きではないだろうか。花火の音で悪疫退散で邪気を払い、場を清めるという柏手に近い意味もあったのかも知れぬ。事実現代でも有名な花火大会である長岡まつり大花火大会も先の大戦の長岡空襲の犠牲者慰霊と復興への願いが込められ、諏訪湖祭湖上花火大会も戦没者慰霊の意味も受け継いでおり、神明の花火大会もまた先祖供養や地域の平和への祈りが込められている。

一方、世界の花火大会に目を向けてみると、海外で打ち上げられる花火は、王室の結婚式や戴冠式や戦勝記念、特にアメリカでは建国記念日に派手な花火を打ち上げる。また新年のお祝いや宗教祭礼でも花火が打ち上げられるのは「祝うため」の花火である。

世界の祝う花火と日本の祈りが含まれる花火はやはり文化的違いがある。日本では古くからお盆に迎え火・送り火を焚いたり、灯籠流しがある。おそらく火には穢れを払う力があるという文化があるからであろう。花火も「夜空を照らす火」として、魂を慰め、災厄を払う象徴として受け入れられた花火文化なのだ。つまり海外では「祝賀」が中心の花火であるが、日本では「慰霊・鎮魂」が始まりで、コロナ禍では激務に耐えている医療従事者や患者を励ますためのものとして打ち上げられたりした。また若い人の間では夏の風物詩として音楽との共鳴で娯楽性が一段と増している。また花火師の立場で言えば競技大会が行われるほど芸術として独自の伝統工芸や文化として存在している。これは日本人特有のもので、日本の文化に根ざしたものに昇華させてしまう能力の高さと勤勉さ、高い技術が世界とは異なる花火文化を伝承し続けていると明言して良いだろう。

さてこの内容から子供達に何を学んで欲しいのかである。

子供の頃から何事にも関心を持ち続けることは大変な強みである。それに輪をかけて調べる力と記憶力が伴っていると多くのものを自分の中に取り入れ知的財産は増える。その増えたもの同士を繋ぎ合わせることでその子なりのものの見方や分析力・推測力などでバランスよくいろいろなものが見えるようになる。まずは目の前に展開されている物事をしっかりと見て、ことの始まりを知り、どのようなことなのかを紐解ける力を養ってほしい。その上で相対することを学び、その違いは何かを見て分析することができれば広い視野で深い考察ができ、それらを受けて自らのルーツを知り、世界の多様な文化を尊重する心を育てることもできる。その視点を花火という文化を通して子供達に伝えることができれば、国際理解と自国理解の両方を育てる土台になるのではないだろうか。ただ「花火は綺麗だぁ」だけではなく、花火大会の始まりはどのようなことだったのか、世界的な違いとは何かを知れば日本の優れているものが見えてくるであろうし、問題点も見えてくるのではないだろうか。子供自身が深い考察の上で人生を歩むためにはこのような深掘りが大変重要だと考える。


さて、かれこれ30年以上前に隅田川の花火大会に出掛けた。今のような音楽とのデジタル演出もなく、スマートフォンを掲げている人もなく、ただただ自分自身の目で夜空の花火を見上げて楽しんでいた。河川敷にレジャーシートを敷いて家族や友人と見て、屋台の焼きそばやかき氷を食べながら花火を楽しみ、純粋に「江戸から続く夏の風物詩」を多くの人が自由に楽しむ大会という雰囲気が強かった。「かぎやぁ〜!」「たまやぁ〜!」と掛け声があちらこちらで上がっていたものである。そんな掛け声の意味や江戸時代の粋な人々の生活を教えてくれたのが、大学時代の国文学の教授である。サスペンダーでズボンを吊り、常にパリッとしたワイシャツに、可愛い蝶ネクタイのおじいちゃん教授。私の歌舞伎や浮世絵、江戸の食文化や服装、生活に至るまでの知識は全て彼から伝授されたもの。一般教養の国文学ではあったが、ふらっと教授の部屋を訪れてインスタントコーヒーをお入れし、山積みの本の整理や書棚の埃とりをしては、面白い話をおねだりしたものである。「そんな暇じゃないんだよぉ」と言いながら本当に多くの話をしてくれた。その時の話が「かぎやぁ〜!」「たまやぁ〜!」である。子供達に声にして痛いことは、今の時代は携帯で検索すればなんでも情報を得られる時代ではあるが、面白く知識がありそうな人を見つけ、仲良くするのも人生を豊かにする方法の一つである。今となっては懐かしい恩師の三郎さん、今はお空で「かぎやぁ〜!」「たまやぁ〜!」と叫んでおられるでしょうか。


花火を見ながら「かぎやぁ〜!」「たまや〜!」と叫ぶのは単なる掛け声や習慣ではなく、江戸時代の有名な花火師「鍵屋」と「玉屋」が由来である。1659年ごろに創業した「鍵屋」は幕府から花火を任されるほどの名門で、そこから1810年に暖簾分けしたのが「玉屋」である。この二大花火師が人気を競い、観客は気に入った花火を打ち上げた職人の屋号を叫んで応援し、江戸の人々はその競い合いを楽しんでいたようである。このことから現代にも残るこれら屋号を叫ぶ掛け声が残っているのである。歌舞伎にも「中村屋」「音羽屋」「高麗屋」「成田屋」などと役者の屋号を呼んで称賛したりすること同じように、花火が見事に開くと、「かぎやぁー!」「たまやぁー!」と、花火師の良い仕事には惜しみなく賛辞を送るという、江戸の町人文化の粋さが息づいていたと言える。つまりこれら2つの掛け声には花火師への敬意、職人技への称賛、江戸っ子の粋な応援という意味が込められているとも言える。

1830年代には、玉屋が斬新な花火で人気を集め掛け声の方が多く聞かれるほどだったらしいが、1843年火事を起こしまちを消失させたため、お江戸払いかされた。当時江戸では木造の建物が乱立し、一度火の手が上がると大火事になるため火事は大罪。玉屋は自らの建物を焼いただけではなく、町を焼き尽くしてしまったため二度と花火師としての仕事ができない状況に追い込まれた。一方鍵屋は現在もその名前が残っているようだが、こちらも紆余曲折あり純粋な伝承ではないようだ。

やっと今日の主役花火師『鍵屋弥兵衛(やへい)』の話といく。創業は初代の弥兵衛により1659年と言われているが、最も人気を博したのは六代目鍵屋弥兵衛 で、1733年 江戸花火の名声を築いた人物とされている。彼は八代将軍徳川吉宗の意向を受け、大飢饉で亡くなった人への供養、災いを追い払う願い、同時に江戸の人々の心を明るくする催しとして仕事を請け負った。さらに花火は武家の遊びから江戸庶民が楽しむ大きな娯楽へ広がっていき、彼の花火を見ようと屋形船が出たり、花火の見物客が増え、さらに屋台が立ち並び、芝居帰りの人々が集まり花火を見ること自体が夏の楽しみになり、現在の花火大会の基礎が作られたとされている。また江戸では火薬を扱う仕事には大きな危険が伴っていたことを先述したが、失敗すれば火事に繋がるため、花火師には高い技術と信用が必要であり、火薬の配合、打ち上げの安全管理、美しい開き方の工夫などで評判を高め、「花火といえば鍵屋」と言われる存在に押し上げたと言われている。その鍵屋の中から独立した職人が玉屋を開き、隅田川の上流を玉屋、下流を鍵屋が担当し互いに美しさや新しい技術を競ったとされている。六代目鍵屋弥兵衛の活躍無くして、現代の花火大会はないと言えるだろう。読み込める限られた資料からはこの程度しかわからない史実ではある。

江戸の町人は「粋」を大切にていた。粋とは、目立ちすぎず、しつこくなく、ほどよく引き際を知ることだが、六代目 鍵屋弥兵衛もまた江戸の町人であり職人であり、かなり粋な人物であったのではないだろうか。彼が粋な人物であったがゆえ、長時間花火の打ち上げを行わず、花火の美しさや見せ場だけを鮮やかに演出することに執着せず、そして一瞬で大きく咲き、余韻だけを残して消える花火の儚さと潔さを『花火の粋』として表現できたのではないだろうか。鍵屋弥兵衛はその粋な人物であったからこそ、粋を純粋に愛する江戸っ子に受け入れられ、江戸の文化の担い手となり、職人でありながら毎年新作を披露する「クリエイター」でもあったのではないだろうか。これも想像でしかないのだが新しい模様を考えたり、より高く打ち上げる工夫、美しく丸く開かせるという努力を重ね、江戸っ子の期待に応えたのだろう。

私が想像するに六代目 鍵屋弥兵衛は粋で、いなせなで、技を磨くことに誇りを持ち、妥協しない職人気質な人物だったのではないだろうか。

夏の風物詩の花火を一つとっても、職人、町人の視点でいろいろな見方ができ、その国の文化や歴史を紐解くことができる。多角的に物を捉えることができれば、多くの婆面でこの力を発揮することができる。これは歴史を学ぶ上でも人生を歩んでいく上でも大切な考え方で、「何が起こったか」だけでなく、「なぜ起こったのか」「その出来事が人々にどんな影響を与えたのか」「将来どのようにすべきか」までを考える姿勢に繋がる。子供自身が自らの人生を豊かなものにしたいと望むのであれば、今から身近なことにフォーカスし多角的に物事を捉え考える癖をつけるべきだとつくづく思うのである。