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脳性麻痺ライター・著者 東谷瞳  |障害と生きる日々

12.助けるでも助けられるでもない関係へ

2026.07.27 21:28

人と人との関係は、「助ける側」と「助けられる側」に分けられるものなのだろうか。

これまでの中で、何度もその問いにぶつかってきた。

困っている人がいれば助ける。

支えが必要な人がいれば手を差し伸べる。

それは、とても大切なことだと思う。

でも、その関係が続いていくうちに、どこかで違和感が生まれることもある。

「いつも助けてもらっている側」

「いつも助けている側」

そんなふうに役割が固定されてしまうと、関係は少し窮屈になる。

本当は、その人にもできることがある。

本当は、自分も誰かに頼りたいときがある。

それでも、「助ける側」「助けられる側」という枠があると、そのバランスは見えにくくなる。

Flowerで話していると、こんな感覚にたどり着くことがある。

「お互いに必要なときに、自然に手を出せる関係がいい」

それは、どちらか一方が支える関係ではない。

そのときどきで、立場が変わる関係だ。

ある場面では支えてもらい、

別の場面では自分が支える。

そうやって、行ったり来たりしながら、関係が成り立っていく。

考えてみれば、私たちの日常もそうかもしれない。

誰かに話を聞いてもらう日もあれば、

誰かの話を聞く日もある。

頼ることもあれば、頼られることもある。

それをわざわざ「助けている」「助けられている」と意識することは、あまりない。

ただ、一緒に過ごしている。

でも、障害のある人とない人の関係になると、その自然さが少し難しくなる。

どうしても、「支援」という言葉が先に立つ。

もちろん、それが必要な場面もある。

でも、その枠だけで関係を見てしまうと、本来のつながりが見えなくなってしまう。

あるメンバーがこんなことを言っていた。

「一人のためにしたことが、みんなのためになることもある」

その言葉には、「誰かのため」と「みんなのため」が分かれていない感覚があった。

助けることが特別な行為ではなく、自然な流れの中にある。

そんな関係が広がっていけば、「助ける」「助けられる」という言葉自体、あまり必要なくなるのかもしれない。

もちろん、現実はそんなに簡単ではない。

立場の違いや、できることの違いは確かにある。

でも、その違いをそのままにした上で、どう関わるか。

そこに、可能性があるように思う。

役割でつながるのではなく、

人としてつながること。

その中で、必要なときに手を差し伸べる。

必要なときに、素直に頼る。

そのやりとりが、自然に行き来する関係。

それが、「助けるでも助けられるでもない関係」なのかもしれない。

特別なことをしなくてもいい。

ただ、同じ時間を過ごして、同じ空間にいる。

その積み重ねの中で、関係は少しずつ形になっていく。

名前をつけるとしたら、それはきっと、とてもシンプルなものになる。

——友達、なのかもしれない。