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一号館一○一教室

ラヴェル作曲『ダフニスとクロエ』

2026.07.29 13:03

指揮者クリュイタンスの
バランス感覚とは


822時限目◎音楽



堀間ロクなな


 赤塚不二夫が1960年代に発表したギャグマンガ『おそ松くん』の登場人物、イヤミの存在感は際立っていた。ちょび髭に出っ歯で「シェー」と片手片足を曲げる独特のポーズと、ひっきりなしに口にする「おフランス」のセリフを知らない者はいなかったのではないか。実際、その三色旗の国はおしゃれで華やかなイメージによって極東の島国の人々の羨望をひたすら掻き立てる対象だったと記憶している。



 そんな「おフランス」を、クラシック音楽の分野で見事に体現してみせたのが指揮者アンドレ・クリュイタンスだ。かつてLPが高価だったころ、どのレコードを選ぶべきか重大な問題で、そんなときにフランスの名曲についてはしばしばクリュイタンスの演奏がベストに挙げられたものだ。かくいうわたしも、ベルリオーズの『幻想交響曲』、ビゼーの『カルメン』&『アルルの女』組曲、フォーレの『レクイエム』……とはかれのレコードで初めて出会い、いまだに耳にこびりついている。わけても、「オーケストラの魔術師」と称されたモーリス・ラヴェルの管弦楽曲については独壇場だった。



 『ダフニスとクロエ』(1912年)は、ラヴェルの管弦楽曲のなかでも最も長大なスケールを持つ作品だ。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の芸術監督セルゲイ・ディアギレフの依頼でつくられたバレエエ音楽で、大規模なオーケストラと混声合唱によって演奏には1時間近くを要し、ラヴェル本人は「舞踏交響曲」と呼んだ。紀元2~3世紀のギリシアの作家ロンゴスが残した物語にもとづき、エーゲ海に浮かぶ美しい島レスボスが舞台のヤギ飼いの少年ダフニスとヒツジ飼いの少女クロエの恋物語を、20世紀の第一次世界大戦が迫る時代に描きだした白日夢の音楽こそラヴェルの真骨頂であり、クリュイタンスはパリ音楽院管弦楽団を指揮した1962年の録音で完璧に演奏してみせたのだ。



 何がそれを可能にしたのだろうか? わたしは余人の追随を許さないほどのバランス感覚だと考える。



 クリュイタンスは1905年にベルギーのアントウェルペン(アントワープ)に生まれた。フランスとドイツに挟まれたこの国の王立音楽院で学んだのち、35歳のときにフランス国籍を取得してパリ・オペラ座やパリ音楽院管弦楽団などを指揮するようになる。ただし、当時のフランスがナチス・ドイツの占領下にあった政治的な機微は、パリ音楽院管弦楽団との最初期の録音がフランスの女流ピアニスト、モニク・ド・ラ・ブリュショルリとのベートーヴェンの『ピアノ協奏曲第4番』だったことからも窺える。第二次世界大戦後も、ワーグナーの聖地たるバイロイト音楽祭にフランス系指揮者として初出演したり、ベルリン・フィル初のベートーヴェンの交響曲全集の録音を指揮したりと、フランスとドイツの音楽界のあいだでしたたかなバランス感覚を発揮したといえよう。



 さらにつけ加えると、クリュイタンスは国際的な名声のただなかで、1961年、46歳のときに悪性腫瘍の診断を受けて右眼球の摘出手術を受けた。それは、オーケストラの楽員たちばかりでなく客席の観衆までも視野に収めて、コンサートホール全体の音楽の響きをつくりあげていく指揮者という仕事にとっては致命的なハンデとなったはずだが、どうやらこうした試練さえもみずからのバランス感覚を磨く糧としたようで、あの神品の『ダフニスとクロエ』が録音されたのは翌年のことだった。そして、5年後にかれは62歳で世を去る。



 「それに季節も二人の胸の炎をいっそう燃え上がらせた。すでに春は過ぎて初夏の候となり、ものみなが今を盛りの時を迎えていた。樹々には果実が熟れ、田には穀物がみのる。蝉の声は快く、果実の香りは甘く、羊たちの啼声も楽しく響く。静かに流れる小川は歌うかのごとく、松に吹く風は奏でるかのよう、林檎の実は恋におぼれて地に落ち、また陽は美しきものに憧れて、人みな衣を剥ぎ裸身をさらさせるのかと疑われる。〔中略〕昼頃になると、二人の眼はお互いの姿に注がれてその虜になってしまう。クロエーの方は肌も露わなダフニスを見て、その美しさに見とれ、彼のからだのどこにも難のつけようがなくて、身も心もとろけるような思いにひたるし、ダフニスはダフニスで、小鹿の皮を着て松の冠を頭にかぶり、鉢をさしだすクロエーを、洞のニンフの一人かと見まごうのだった」(松平千秋訳)



 ロンゴスの筆が描写するダフニスとクロエの恋の情景だ。古代ギリシアの無垢な世界を現実と非現実のあわいに浮かべたような、「オーケストラの魔術師」ラヴェルの微妙きわまりない音楽を完璧に再現するためには、クリュイタンスの厳しい人生をとおして鍛えあげられた筋金入りのバランス感覚が必要だったのだろう。『おそ松くん』のイヤミと高度経済成長期の日本人が憧れた「おフランス」とは、おしゃれや華やかさからはほど遠い、こうしたしたたかな精神のうえに成り立っていたのだと思う。