都響
情婦が脱走兵に殺される話なんぞ汚らわしく、当劇場には似つかわぬ、というのが一方。ならば、もう一方は、「彼に賭けてみようじゃないか」。が、んな前衛的な作品がウケるのは往々にして。御多分に洩れず彼もまた。生前にその成功を知ることなく。
初演は惨敗、以降も酷評続く中にも。逆境に燃える性格は作曲のみならず。初演まもなくの五月、セーヌ河など寒くて泳げぬ、との友人の軽口にその場で飛び込み、体調崩して病没、とプログラムの解説に。東フィルの定期演奏会にて歌劇「カルメン」を。
今や押しも押されもせぬ不動の地位を築くに彼の功績を抜きに語れず。原作者やメリメなれど、「カルメン」といえば作曲家ジョルジュ・ビゼーであり。
閑話休題。日々の仕事に欠かせぬは予算書ならぬ職員録。いや、逆を申さば、それさえあれば。が、五百頁にも及ぶ冊子は持ち歩くに不便。この御時世にあってスマホに収納できぬものか、と促し続けた結果。今年度からペーパーレス化が図られると聞いて。
いや、確かにあの時は職員録をそのままにPDF化すればいいだけの話、何を躊躇する必要があろうか、と迫ったはずで。事実、そのままが実現。字の拡大縮小は可能であるし、分厚い冊子の持ち運びはなくなった、されど。
何と申しても当該課に辿り着くに五百頁のスライドを何度も往復。紙の冊子であれば局ごとに色分けされたインデックスがあり。従来の紙媒体を使い慣らしとるはずの市議にしてこんな状況なのだから一般人とあらば。
そう、昨年度までは一般にも販売されていた職員録が廃止となり。それでも見たくばどこぞの庁舎の一角にて閲覧が可能とされるも。知りたくば足を運べ、とは時代に逆行。それでいてあんな使い勝手の悪いものを見せられた日には役所への鬱憤が募らぬはずなく。かたや、モノはデータである以上、メール添付にて送れもするから。ならばザルではないか。そのへんが「ちぐはぐ」というか。
そんな動きは本市に限らず。相次ぐ廃止の理由とされるはそちら。氏名が公表されることで可能性が生ずる、ということらしく。いや、確かに従来の職員録の冒頭にも目的外使用への配慮を求める記載あり、あくまでも業務用につき、と。
守るべきは内なる社員との言い分は分からんでもないが、ならば、職員の氏名を伏すに支障はきたさぬか、と言われれば。ただでさえ、異動のたびに知らぬ存ぜぬ、口約束が反故にされた、なんて。名乗るがゆえに生ずるは責任であり。名前を知られるに不都合、と相手との距離置くはかえって。そのへんを察してか、ペーパーレスの名を借りて、なんて。
そうそう、本市のサマーミューザも開幕。クラシックに心を静め。都響によるシューマンの交響曲第四番がよかった。
(令和8年7月30日/3010回)