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Silver × Silver Glasgow

Indo Monolog 38 -Chicagoとシカゴ-

2026.07.30 00:14

Bhs paling bawah,


ひょんなご縁から2026年の7月22日、シカゴに来ることができた。

これからシカゴからの帰りの飛行機の中での記録である。

話は遡ること2009年の8月ごろ。

中学2年生だった頃、私はバスケットボール部で練習を狂ったようにしていた。

朝練を6時半から学校の門が開くのを待ち、7時前に来る先生に門を開けてもらい、

7時半から1時間程度の朝練。

週3回(月水金)の朝練、今覚えば6時過ぎには母親に弁当を作らせていたことに大人になってから気づく。

感謝よりも申し訳ない思いでいっぱいであったが、母親は何も言わずにいつも弁当を作ってくれていた。

朝練が終わり、授業と授業の間の休み時間にもはや弁当は食べ終わっていた。

昼休みにはまた体育館に行き自主練。

授業が終われば放課後は部活。

部活が終われば、家の前の公園のゴールで練習し、

OB(火木)たちが夜に行う草バスケに19:00-21:00で参加。

土日はもちろん部活。

バスケ以外何もしていなかった。

(学業など一切の記憶にない。歴史だけは勉強していた)

バスケ漬けだったせいであるひオーバーワークがたたって原因不明の発熱で入院。

選ばれるはずだった選抜(私の学校の先生が持ち回りで選抜監督だったため)も選ばれるわけもなく、

この時に「あ、選手としてもうこれで終わりだな」と選手生命を諦めたことを今でも覚えている。

あの時は無知で練習すればするほど上手くなれると信じてやまなかった。

きっと免疫が弱ってたんだろう。

あの時はなかなか自力で勉強する術がなく、図書館で本を漁るぐらいしかなかった。

もっといろんな人の意見を聞き視野を広く持ってバスケットボールに取り組めばもっとましなバスケ人生を歩めたかもしれない。

そしてそれと同じぐらいバカな選択を私は取ったのである。

たまたまその年に家族旅行でシカゴに行くことになっていた。

結果的に私は入院したので旅行には行けなかったのだが、

両親に私はこともあろうことか「選抜があるので行かない」と訳のわからないことを言っていたのだった。

当時のアメリカに対して興味がなく、しかもシカゴ(ブルズ)に対してなんの知識も持ち合わせていなかった私は

小さな田舎の選抜>シカゴ行き、という本当に無知な選択をしてしまっていたのである。

当時のことを今でも母親に文句を言う。

「なぜ首根っこ掴んででも連れて行かなかったんだ?」

「何言ってもあんたは人の話なんか聞かないから無駄。もちろんあの時一緒に行こうとなんべんも言ったのに。。。」

人生でもトップクラスに入る「間違った選択」であり、後悔している人生のターニングポイントの1つだった。

母親がシカゴブルズのマトリョーシカとCDケースをお土産に買ってきてくれたのは今でも後世大切に使っている。

そして家族がアメリカから帰ってきた2週間後ぐらいに9.11が起きた。

世界があの日から大きく変わってしまったのである。

2週間遅れていれば日本に帰ってくることなどできなかったかもしれないと、

ニュースを見て家族みんなでたまげていたのを今でもその記憶を思い出すことができる。

時は戻り2026年、あれから17年経ってやっとシカゴに来ることができた。

私にとってシカゴとはそれほどまでの「後悔の地」であり、念願の伏線回収でもあった。

人はいつでも行けると思ったらまずそこに行くことはない。

そしていつでも行けると思っているうちに行けなくなるのが世の常である。

「思いったったら吉日」ではないが、どんな理由をこしらえてでもその熱量があるうちに、

そして色々な諸条件が揃っているうちに行くことが最善なのである。

17年もかかってしまったがシカゴに来ることができてよかった。

主に目的は2つあった。

インドネシアの教え子がDBL ALL STARというインドネシア全土の選抜に選ばれ、

その選抜が参加する大会がシカゴであったのでそれの観戦。

そしてイギリス留学時代のバスケ仲間がシカゴブルズで働いているので、12年ぶりに彼とのReunionである。

私の教え子はインドネシアのバスケットボールプレイヤーなら誰もが憧れる選抜に選ばれ、

アメリカ行きのチケットを勝ち取った。

きっと彼はこの経験をもとに、一つも二つも成長してくれることだろう。

「インドネシアの外の地を自力で踏むという経験」はきっと今後の彼のキャリア(バスケの話ではなく人として)をより豊かにしてくれると願っている。

日本でアメリカに遠征させてくれる選抜なんて日本代表以外あり得ないだろう。

インドネシアではプライベートセクターがこのようなチャンスを与えているのが素晴らしいことだと思う。

(しかも遠征のご褒美としてWNBAのオールスターも観戦していた。いちばん高い席が6000USDのオールスターである。太っ腹である)

日本もビジネスとして大いに見習ってほしい。

アメリカのバスケットボールは本当に何もかもがスケール違いで、

「アメリカの空気を吸うだけで、バスケットボールが上手くなったような、背伸びした気になれたんだ」というあの言葉もなんとなく共感してしまえるような、

まごうことなきバスケットボールカルチャー発祥の地なのである。

そして久しぶりにバスケ仲間に会えたこと。

私がイギリスに留学していた時、やはりバスケットボールを通していろんな仲間に出会うことができた。

シカゴブルズで広報として働いている彼は、当時もいつもカメラを片手に毎日選手たちのシャッターを切っていた。

カメラのスペックが当時はなかなか辛い時代だったので、シャッタースピードを優先するためにわざと真っ暗な状態で撮って、

フォトショで無理やり暗部を持ち上げていた技術は感心させられたものである。

彼と短い時間ではあったがブルズのオフィスを案内してもらい、近況を交換した。

当時のバスケ仲間は皆出世してアカデミーのGM、プロチームのHC, そしてイギリス代表のHCなど本当に今も素晴らしい活躍をしている。

(本当にみな年をとって出世できなかったのは私だけだなととてつもなくコンプレックスではあるが。。。。)

ブルズのオフィスに来て思い出したのは、NBAのオフィスに似ていたということだ。

本当にみなバスケットボールが好きで、ブルズが好きな人たちがここで働いているんだなと心底感じた。

NBAを好きな人なら誰もが憧れるであろうブルズのホームはとても神聖な気分になれた。

彼とまたどこかで会えるのを楽しみにしている。

バスケをしている限り、いつかどこかの機会で必然的な偶然で会うことがきっとできるだろうから。

私が最後にアメリカに来たのはコロナ前だったので10年ぶりぐらいのアメリカになり、

円安のおかげでシカゴピザがえらい値段になっていたが、きっとそれもいつかの思い出と変わるだろう。

このタイミングで来ることができてよかった。

いろんな人と知り合い、いろんな経験をできるのはやはり新しい地に自分から飛び込んだからの出会いだろう。

(たまたま自分のアコモデーションのすぐそばにシカゴ大学があったのも縁を感じた。シカゴ大学は社会学のメッカなので)

インドネシアにいてはできなかったであろう閃きがアメリカでたくさん降ってきた。

やはりインスピレーションのためには「旅をせよ」というのはその通りだと思う。

旅とは観光の意味ではなくて、現地に足を運び、現地の人と会話をして、その風土を知りなさいということである。

例えばWomen’s Empowerment ひとつとってもアメリカのバスケはとてつもないダイナミズムがあった。

エンパワメントの手段として確固たる地位をすでに気づいているような印象だった。日本やインドネシアではそんな簡単には行かないだろう。

私が論文で書きたかったことがアメリカでは「そんなの書くまでもなく当たり前のことでは?」と言われているような気がして、

やはりここのバスケカルチャーは格が違うなと感心したものである。

最後に、少しだけシカゴ滞在に閃いたことがあったので忘れないうちに。

もしバスケットボールで指導者が選手を開発 (Development)できることがあったとして、

私が思うDevelopmentが4つある。

① Develop the advantage (長所をひたすら伸ばしていくことに重きを置く)

② Improve the weakness (短所とひたすら向き合って弱点を減らしていく)

③ Extended Development (新しいものや今の自分のないものを自分の外に求めにいく。引き出しを増やしていく作業)

④ Internal Development (すでに自分の内側にある既存の特性を練っていく。誰にも負けないシグネイチャーを究めにいく作業)

指導者は上記の4つを選手の特性や意向をもとにCooperative Development していかなければならない。

もしも私がバスケに狂っていた中学生の頃にこのような考え方を指導者と一緒に作っていくことができたのであれば、

もしかしたら私のバスケットボールの世界はもっと違っていたのかもしれない。

シカゴに行かなかったことを後悔したが、

その想いが私をシカゴに連れてきてくれた。

タイミングもとてもよかった。

教え子がシカゴに遠征するという口実と、

仲間がブルズにいるという偶然、

そして円安の割には飛行機のチケットが高くなかったことも。

偶然に偶然が重なって16年前のやり残しをひとつ今回片付けることができた。

今回のアメリカ滞在中に、たくさんのアメリカ近郊の友達たちと連絡をとった。

「今度はシカゴじゃなくて、私の街に遊びに来なよ」とみんな口を揃えて言ってくれる。

私にとって旅は結局のところ「ご無沙汰、元気にしてる?」と連絡するただの口実なのである。

Reunionこそが旅する一番の目的であり、次点に新しい出会いがある。

家に引きこもっていては、メダンに引きこもっていては、インドネシアにこもっていては得られないものである。

さ、次の目的地はどこになるのかはわからないが10月にはリトアニアに行きたいと思っている。

なんせバスケ大国だから。

当分はメダンでひとまずまた活動に従事したいと思うが、

たまにはインドネシアの外に出るのも悪くないなと思いました。

視点を変えることは活動中にはとても大切なことなので、

その重要性を感じた同期はきっとみんなたくさん旅に出ていることでしょう。

さて、メダンに帰ってしっかりとシカゴの土産(土産話も)をみんなに配っていきたいと思います。

少しでもこの経験をインドネシアに還元できるように、

またメダンの皆さんどうぞよろしくお願いします。



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Berkat sebuah kebetulan yang manis, tanggal 22 Juli 2026 akhirnya saya bisa menginjakkan kaki di Chicago.

Tulisan ini adalah catatan kecil yang saya ketik di dalam pesawat, dalam perjalanan pulang dari sana.

Cerita ini bermula jauh di belakang, sekitar Agustus 2009.

Saat itu saya masih kelas 2 SMP, dan saya benar-benar gila latihan basket.

Setiap pagi pukul 06.30, saya sudah berdiri di depan gerbang sekolah, menunggu guru datang sekitar jam 7 untuk membukakan pintu. Setelah itu, lanjut latihan pagi sekitar satu jam mulai 07.30.

Latihan pagi ini rutin tiga kali seminggu (Senin, Rabu, Jumat). Kalau dipikir-pikir lagi setelah dewasa, artinya ibu saya harus bangun dan menyiapkan bekal sejak sebelum jam 6 pagi. Dulu rasa bersalah saya jauh lebih besar daripada rasa terima kasih, tapi Ibu tak pernah mengeluh dan selalu membuatkan bekal untuk saya.

Bekal itu biasanya sudah lunas saya santap di sela-sela jam istirahat pelajaran. Begitu istirahat makan siang tiba, saya sudah meluncur lagi ke lapangan indoor untuk latihan mandiri.

Pelajaran selesai, lanjut latihan klub sekolah.

Latihan sekolah usai, saya masih lanjut main di ring lapangan taman depan rumah, lalu gabung main bareng senior-senior (tiap Selasa dan Kamis) dari jam 19.00 sampai 21.00.

Sabtu dan Minggu? Ya tentu saja latihan basket.

Hidup saya saat itu cuma berisi basket. (Jujur, saya sama sekali tak ingat pelajaran sekolah... kecuali pelajaran Sejarah).

Karena terlalu memaksakan diri, tubuh saya akhirnya tumbang. Saya dirawat di rumah sakit karena demam tinggi yang tidak jelas penyebabnya. Impian untuk masuk tim seleksi (yang kebetulan pelatihnya adalah guru di sekolah saya) tentu saja melayang.

Saya ingat betul momen itu. Di atas kasur rumah sakit, saya membatin, "Ah, karierku sebagai pemain selesai sudah sampai di sini."

Saat itu saya masih sangat polos, percaya begitu saja bahwa makin keras latihan, makin jago kita bermain. Padahal ya... sistem imun saya saja yang sedang hancur-hancurnya.

Dulu belum ada internet serbamudah seperti sekarang. Cara belajar mandiri cuma dengan mengaduk-aduk buku di perpustakaan. Seandainya dulu saya mau mendengar lebih banyak masukan orang lain dan punya sudut pandang yang lebih luas, mungkin perjalanan basket saya bisa sedikit lebih baik.

Dan di tengah kondisi itu, saya mengambil keputusan yang tak kalah konyolnya.

Kebetulan, tahun itu keluarga saya berencana liburan ke Chicago. Karena saya dirawat di rumah sakit, saya jelas tidak bisa ikut. Tapi tahukah apa yang saya katakan pada orang tua saya? Dengan percaya dirinya saya bilang, "Aku nggak ikut, mau fokus seleksi basket." Sungguh sebuah alasan yang tidak masuk akal.

Waktu itu saya sama sekali tidak tertarik dengan Amerika, apalagi tahu soal Chicago Bulls. Bagi saya yang polos ini: Seleksi tim kota kecil > Liburan ke Chicago. Sungguh pilihan yang sangat naif.

Sampai sekarang saya masih suka memprotes Ibu,

"Kenapa dulu Ibu nggak seret saja aku ikut?"

Ibu cuma menjawab, "Dibilangin kayak apa juga kamu nggak bakal dengar, percuma. Padahal waktu itu Ibu sudah bujuk berkali-kali..."

Itu adalah salah satu "keputusan paling salah" dan momen penyesalan terbesar dalam hidup saya. Suvenir berupa boneka Matryoshka Chicago Bulls dan tempat CD yang dibelikan Ibu waktu itu, sampai sekarang masih saya simpan dan pakai dengan penuh kenangan.

Sekitar dua minggu setelah keluarga saya pulang dari Amerika, tragedi 9/11 terjadi. Dunia berubah total sejak hari itu. Kalau saja jadwal pulang mereka tertunda dua minggu, mungkin mereka tidak bisa kembali ke Jepang. Setiap kali melihat berita itu, kami sekeluarga selalu merinding mengingat betapa dekatnya kami dengan kejadian tersebut.

Flash forward ke tahun 2026. 17 tahun berlalu, dan akhirnya saya benar-benar sampai di Chicago. Bagi saya, Chicago adalah "tanah penyesalan", sekaligus tempat di mana akhirnya saya bisa menyelesaikan penantian panjang ini.

Manusia itu sering begitu—kalau merasa bisa pergi kapan saja, malah tidak bakal pernah pergi. Dan saat kita sadar, kesempatan itu sudah hilang dimakan waktu.

Bukan cuma soal "hari baik adalah hari ini", tapi selagi ada gairah dan kesempatannya terbuka, melangkah saja dulu dengan alasan apa pun. Itu adalah pilihan terbaik.

Butuh waktu 17 tahun, tapi saya sangat bersyukur akhirnya bisa berada di Chicago.

Sebenarnya ada dua agenda utama saya di sini:

1. Mendukung anak didik saya. Salah satu anak didik saya di Indonesia berhasil terpilih masuk tim DBL ALL-STAR (tim seleksi terbaik se-Indonesia) dan bertanding di Chicago.

2. Reuni dengan sahabat lama. Teman main basket saya waktu kuliah di Inggris dulu, sekarang bekerja di Chicago Bulls. Ini reuni kami setelah 12 tahun!

Anak didik saya berhasil menembus tim impian semua pemain basket di Indonesia dan mengamankan tiket ke Amerika. Saya yakin pengalaman ini akan membuatnya tumbuh berkali-kali lipat. Pengalaman "melangkahkan kaki ke luar Indonesia dengan hasil kerja keras sendiri" tentu akan memperkaya perjalanan kariernya—bukan cuma sebagai pemain basket, tapi sebagai seorang manusia.

Di Jepang, rasanya hampir tidak ada tim seleksi yang mau membiayai pemainnya tur ke Amerika selain tim nasional. Luar biasa sekali pihak swasta di Indonesia bisa memberikan kesempatan seperti ini. (Bahkan sebagai bonus, mereka diajak menonton WNBA All-Star dari kursi paling depan yang harganya 6.000 USD per tiket! Royal sekali!). Sektor bisnis di Jepang betul-betul harus belajar dari ini.

Basket di Amerika memang beda kelas. Semuanya berskala raksasa. Ada ungkapan tua yang bilang, "Cuma dengan menghirup udara Amerika saja, kamu merasa permainanmu meningkat dan tubuhmu makin jangkung." Dulu saya pikir itu berlebihan, tapi berada di sini membuat saya paham. Di sinilah kiblat budaya basket yang sesungguhnya.

Dan tentu saja, bertemu sahabat lama.

Waktu saya kuliah di Inggris dulu, basket mempertemukan saya dengan banyak teman hebat. Teman saya yang kini bekerja di tim Humas Chicago Bulls ini, dulu selalu menenggang kamera di pinggir lapangan, memotret para pemain setiap hari. Dulu teknologi kamera belum secanggih sekarang. Saya ingat betul betapa kagumnya saya melihat triknya: dia sengaja memotret dalam keadaan gelap agar dapat shutter speed cepat, lalu memoles fotonya secara magis di Photoshop.

Di tengah kesibukannya, dia menyempatkan diri mengajak saya keliling kantor Bulls dan mengobrol banyak hal. Teman-teman basket kami dari zaman Inggris dulu sekarang sudah jadi orang-orang hebat—ada yang jadi GM akademi, pelatih tim profesional, sampai pelatih timnas Inggris. (Jujur, kadang bikin minder juga karena rasanya cuma saya yang tidak makin "sukses"... hehe).

Begitu melangkah ke dalam kantor Bulls, rasanya mirip sekali dengan suasana kantor NBA. Saya bisa merasakan betapa orang-orang yang bekerja di sini betul-betul mencintai basket dan mencintai Chicago Bulls. Bagi pencinta NBA, berada di markas Bulls terasa seperti mengunjungi tempat yang sakral.

Semoga kami bisa bertemu lagi di lain kesempatan. Selama kita masih bermain basket, saya yakin takdir akan mempertemukan kita kembali di suatu tempat.

Terakhir kali saya ke Amerika adalah sebelum pandemi, jadi ini kunjungan pertama saya setelah hampir 10 tahun. Gara-gara pelemahan nilai tukar Yen, harga Chicago Pizza di sini sukses bikin mengelus dada, tapi ya... itu pun akan jadi kenangan manis kelak.

Saya sangat bersyukur bisa datang di momen ini. Berkenalan dengan orang-orang baru dan mendapat pengalaman berharga hanya bisa terjadi kalau kita berani melompat ke lingkungan baru. (Kebetulan penginapan saya sangat dekat dengan Universitas Chicago—tempat lahirnya sosiologi modern—yang makin membuat perjalanan ini terasa jodoh).

Selama di Amerika, kepala saya dibanjiri banyak sekali ide segar yang tidak pernah muncul saat di Indonesia. Memang benar kata pepatah: "Berkelanalah untuk mencari inspirasi."

Berkelana di sini bukan sekadar jalan-jalan cuci mata, tapi datang langsung, mengobrol dengan warga lokal, dan merasakan budayanya. Contoh kecilnya soal Women’s Empowerment. Dunia basket Amerika punya dinamika yang luar biasa dalam hal ini. Basket sudah menjadi wadah yang sangat solid untuk pemberdayaan perempuan. Di Jepang atau Indonesia, hal ini tentu tidak mudah dilakukan. Banyak hal yang tadinya mau saya tulis di tesis, di Amerika malah ditanggapi dengan, "Lho, bukannya itu sudah hal biasa yang tidak perlu diperdebatkan lagi?" Di situ saya sadar, level budaya basket di sini memang sudah berbeda jauh.

Sebelum lupa, ada satu perenungan kecil tentang kepelatihan basket yang melintas di kepala saya selama di Chicago.

Jika seorang pelatih ingin mengembangkan (Development) potensi pemainnya, menurut saya ada 4 pilar utama:

1. Develop the Advantage (Fokus penuh untuk terus melipatgandakan kelebihan pemain).

2. Improve the Weakness (Menghadapi dan mengikis kekurangan pemain secara bertahap).

3. Extended Development (Mencari elemen baru dari luar diri pemain untuk menambah perbendaharaan kemampuannya).

4. Internal Development (Mengasah dan mematangkan potensi unik yang sudah ada di dalam diri pemain hingga menjadi signature move yang tak terkalahkan).

Seorang pelatih harus melakukan Cooperative Development berdasarkan karakter dan keinginan si pemain itu sendiri.

Seandainya saat SMP dulu—saat saya sedang gila-gilanya main basket—ada pelatih yang mengajak saya menyusun konsep seperti ini, mungkin perjalanan dunia basket saya akan jauh berbeda.

Saya memang pernah sangat menyesal karena gagal pergi ke Chicago dulu. Tapi justru rasa penasaran dan penyesalan itulah yang akhirnya membawa saya sampai ke sini hari ini.

Timing-nya pun sangat pas. Ada alasan untuk mendampingi anak didik, ada sahabat di tim Bulls, dan kebetulan harga tiket pesawat tidak begitu melonjak meski Yen sedang melemah. Kebetulan yang bertumpuk-tumpuk ini akhirnya menuntaskan satu "urusan masa lalu" yang tertunda selama 16 tahun.

Selama di Amerika, saya juga sempat mengontak banyak teman lama yang tinggal di sekitar sini. Semuanya kompak bilang: "Lain kali jangan cuma ke Chicago ya, mampir juga ke kotaku!"

Bagi saya, perjalanan pada akhirnya hanyalah sebuah "alasan" untuk sekadar menyapa: "Hei, apa kabar? Lama tak jumpa."

Reuni adalah tujuan utama saya bepergian, sedangkan bertemu orang-orang baru adalah bonus terindah setelahnya.

Hal-hal seperti ini tidak akan pernah saya dapatkan kalau cuma mengurung diri di rumah, mengurung diri di Medan, atau menetap terus di Indonesia.

Entah ke mana lagi tujuan berikutnya, tapi yang jelas, bulan Oktober nanti saya ingin pergi ke Lithuania. Tentu saja, karena itu adalah salah satu "negaranya basket".

Untuk sementara waktu, saya akan kembali fokus berkegiatan di Medan. Tapi ya, sesekali keluar dari Indonesia ternyata segar juga untuk pikiran.

Mengubah sudut pandang itu sangat penting dalam setiap aktivitas yang kita jalani. Saya yakin teman-teman seperjuangan yang paham pentingnya hal ini juga pasti sedang rajin berkelana ke berbagai tempat.

Baiklah, saatnya pulang ke Medan dan membagikan oleh-oleh (serta cerita perjalanan ini) kepada teman-teman semua. Semoga pengalaman ini bisa memberikan kontribusi positif untuk perkembangan di Indonesia.

Untuk teman-teman di Medan, mohon bantuannya lagi ya!