「宇田川源流」【日本万歳!】 「飛鳥・藤原の宮都」 世界文化遺産への登録決定
「宇田川源流」【日本万歳!】 「飛鳥・藤原の宮都」 世界文化遺産への登録決定
毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本に関する話の中で、日本のすばらしさや日本人の良いところを報じていただいている世界の記事を見つけ出してその中で日本のすばらしさを今に感じるということをしている。
さて、世界で最古の木造建築といえば「法隆寺」であり、その法隆寺を立てた「金剛組」が世界最古の会社であるということになっている。もちろんもしかしたら、どこかの木製の建物で、法隆寺よりも古いものがあるかもしれないが、しかし、そのような記録が残っていないということになるのであるから仕方がないのかもしれないし、また、木造建築そのものが、戦争や火事で破壊されてしまっているということから、失われてしまっているということになる。
そのような意味で、日本人の木造建築の技術は、「古くなっても味わいがあり、現在まで伝わる」ということになる。少なくとも法隆寺であるから西暦600年前後に作られているので1400年の歴史に耐えられる建築技術を、少なくとも1400年前に持っていたということになる。同時に、その法隆寺の近くにおいて戦争がなくまた失火などの火事などの災害もなかったということになる。特に日本は地震国であり、災害は非常に多いのにかかわらず、その自然災害もまた人為的災害も人々が、守ってきたということになる。
要するに「木造建築」を守り古いものを大事にする日本人の気質がそのように守らせてきたということを意味しているのではないか。モノを大事にする日本人の精神がありまた、1400年前から、細かい部分まで手を抜かずにしっかりとした建築を行っていたということが、今の日本人のも伝わっているということになる。
世界一古いわけではないが、やはり1000年を超えている建物は少なくない。正倉院などもその中の一つであり、その正倉院の中の宝物も大事に保管されている。その様に考えれば、日本人は「モノを大事にする」ということと同時に、日本特有の「全てのものに神々が宿り、そしてその神々とともに生きることによって自分たちの豊かさの感謝を残す」ということが、しっかりと残されているのではないか。そのような伝統が、我々庶民の家にも、そして、現代にも伝わる生活の知恵にも、様々なところに「何気ない生活習慣」として、残されているのが日本なのである。
<参考記事>
【速報】奈良の「飛鳥・藤原の宮都」 世界文化遺産への登録決定
2026年7月26日 10時49分 TBS NEWS DIG
https://news.livedoor.com/article/detail/31914073/
<以上参考記事>
奈良県の「飛鳥・藤原の宮都」がユネスコ世界文化遺産に登録されたことは、日本にとって単に世界遺産が一つ増えたという出来事ではありません。それは、日本という国が千数百年にわたって、自らの歴史を壊すことなく守り続け、その価値を現代まで受け継いできたことが国際的に認められた出来事でもあります。飛鳥時代は、日本という国家の骨格が形づくられた時代であり、中央集権国家の成立、律令制度の整備、仏教文化の定着など、今日の日本の原点となる多くの制度や文化が生まれました。その歴史を物語る十九の資産が一体となって評価され、世界文化遺産として登録されたのです。
世界には、戦争や革命、急速な都市開発などによって古代都市が失われてしまった国も少なくありません。近代化を優先するあまり、歴史ある街並みや遺跡が姿を消した例も数多く存在します。そのような中で、日本は飛鳥の地を「古いものだから取り壊そう」と考えるのではなく、「未来へ伝えるべき財産」として守り続けてきました。農地として利用される土地であっても、その地下に眠る遺構を調査し、必要に応じて保存し、地域住民もその価値を理解しながら生活を営んできました。約二十年に及ぶ登録への取り組みが実を結んだことも、その積み重ねを物語っています。
日本人の歴史観には、単に昔を懐かしむというだけではない特徴があります。それは、過去を現在の生活の中に自然に生かそうとする姿勢です。飛鳥の風景を歩けば、古墳や寺院跡だけではなく、田園風景や里山、人々の暮らしが今も共存しています。遺跡だけを博物館の中に閉じ込めるのではなく、生活の場として受け継ぎながら保存してきたことは、日本独特の文化と言えるでしょう。
また、日本では「古いものほど価値がある」という考え方が社会に深く根付いています。神社では二十年ごとの式年遷宮によって伝統技術を継承し、寺院では何百年もの建物を修復しながら使い続け、古文書や仏像、祭礼も世代を超えて受け継いできました。飛鳥・藤原の宮都も、こうした文化の延長線上にあります。歴史は過去の遺物ではなく、現代に生きる人々が未来へ渡していく「預かりもの」であるという意識が、日本には脈々と受け継がれているのです。
飛鳥時代は、中国や朝鮮半島から多くの文化や技術を学びながらも、それらをそのまま模倣したのではなく、日本の風土や価値観に合わせて独自の国家制度や文化へと発展させた時代でした。今回の登録は、その創造性や歴史的意義も評価されたものです。つまり、日本は他国の文化を尊重しつつ、自らの文化として昇華させる力を持っていたことが、世界的な価値として認められたと言えるでしょう。
さらに注目すべきなのは、この登録が地域住民の協力なしには実現しなかったという点です。遺跡は行政だけで守れるものではありません。土地所有者、自治体、研究者、地域住民が長年にわたって保存活動を続けてきたからこそ、今日までその姿が残されました。歴史を国民全体の財産として守ろうとする姿勢は、日本社会の成熟さを示していると言えるでしょう。
このような姿勢は、日本文化全体にも共通しています。京都や奈良の古都だけではなく、地方の城下町、宿場町、祭り、伝統芸能、工芸技術に至るまで、「失われれば二度と取り戻せない」という認識のもと、保存と継承が続けられています。世界遺産とは、世界が「人類共通の財産」と認めたものですが、その前提として、その国自身が長い年月をかけて大切に守ってきたという事実が不可欠です。
今回の飛鳥・藤原の宮都の登録は、日本人が千数百年前に築いた国家の始まりを誇るだけではありません。その歴史を壊さず、忘れず、未来へ受け渡してきた日本人自身の姿勢が世界から評価されたという点にこそ、大きな意味があります。
歴史を残すことは、単なる観光資源づくりではありません。それは、自分たちがどこから来て、どのような価値観を育み、どのような社会を築いてきたのかを、次の世代へ語り継ぐ営みです。飛鳥・藤原の宮都の世界文化遺産登録は、日本という国が歴史を尊び、先人への敬意を忘れず、その遺産を未来へつないでいく民族であることを、世界に改めて示した象徴的な出来事であったと言えるでしょう。
今回の「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産登録には、もう一つ世界的に見ても極めて特別な意味があります。それは、この地が今から約一五〇〇年前、日本という国家の中心であった「旧都」であり、その旧都を現在の日本人が自らの祖先の歴史として大切に守り続けているという事実です。
世界には古代の都が数多く存在します。エジプトにはメンフィスがあり、イラクにはバビロンがあり、中国には長安や洛陽がありました。しかし、それらはいずれも王朝の交代や外国勢力の侵入、革命や国家の滅亡を経て、国家そのものの連続性が途切れています。現在そこに住む人々がその文化や歴史を受け継いでいるとしても、「同じ王朝」がそのまま今日まで続いているわけではありません。
これに対して日本は、飛鳥宮や藤原宮が築かれた七世紀から現在に至るまで、国家としての形を変えながらも、皇室という国家の象徴が連続して受け継がれてきました。そのため、飛鳥・藤原の宮都は「滅びた文明の遺跡」ではありません。「今も続く国の最初の首都」の一つなのです。
この点は、日本史を学ぶうえで非常に重要です。飛鳥宮では推古天皇、舒明天皇、皇極天皇、斉明天皇、天武天皇、持統天皇らが政治を行い、日本という国家の制度が整えられていきました。そして藤原京は、日本初の本格的な都城として律令国家の中心となりました。その国家は奈良、平安、鎌倉、室町、江戸、そして東京へと政治の中心を移しながらも、「日本」という国そのものは連続して存続してきました。
つまり、今回世界遺産となった場所は、今の日本と直接つながっているのです。そこには「かつて存在した別の国」の首都ではなく、「現在の日本の原点」があります。この歴史の連続性こそが、世界の中でも極めて珍しい特徴なのです。
この背景としてよく知られているのが、皇室が世界で最も長く続いている王朝であるという事実です。ギネス世界記録では、日本の皇室を「現存する世界最古の世襲君主制(Oldest continuous hereditary monarchy)」として認定しています。この認定は神話や伝承そのものを証明するものではなく、歴史上確認できる範囲を含めて、現存する王朝として最も長く継続していることを評価したものです。
もちろん、歴史学では古代の年代や初期天皇の実年代についてさまざまな研究や議論があります。しかし、それとは別に、少なくとも古代以来、皇統が継続し、日本という国家の象徴として受け継がれてきたという歴史的事実は、多くの研究者が認めるところです。そのため、日本の古代史を語るときには、「国家の始まり」と「現在」が一本の線で結ばれているという点が大きな特徴となります。
だからこそ、飛鳥・藤原の宮都は単なる考古学的遺跡ではありません。そこは、今も続く日本という国家の「原点」であり、千五百年前の政治の舞台を現代の日本人が自ら保存し、その価値を世界へ発信している場所なのです。
これは世界から見れば驚くべきことでもあります。多くの国では、王朝が変われば前の王朝の宮殿は破壊され、革命が起これば旧体制の象徴は否定されることも少なくありません。しかし日本では、新しい時代になっても古い都を否定することなく、「国の歩みを語る大切な場所」として守り続けてきました。飛鳥宮跡も藤原宮跡も、歴史を断絶させることなく受け継いできた日本人の精神を静かに物語っています。
今回の世界文化遺産登録は、飛鳥時代の文化や遺跡が評価されたというだけではありません。約一五〇〇年前の旧都が現在の国家と歴史的につながり、その姿を今日まで守り続けてきたという、日本という国の稀有な歴史そのものが国際社会から高く評価された出来事でもあります。
歴史を守るとは、過去を保存することだけではありません。自分たちがどこから歩み始め、何を大切にして今日まで国を築いてきたのかを忘れず、未来へ受け渡していくことです。飛鳥・藤原の宮都は、その歩みを千五百年の時を超えて今に伝える、日本人の歴史への敬意と継承の精神を象徴する世界的な文化遺産であると言えるでしょう。