湯尾峠 Reverse 後編
湯尾峠が交通路としての役割を完全に終えたのは、いつだったのでしょうか。
北陸本線湯尾隧道が開通した明治26年?
湯尾隧道が自動車道に転用された昭和32年?
国道365号が国道に指定された昭和50年?
「完全に」という視点で行くのならば、恐らく真ん中昭和32年でしょうね。
直接的に湯尾峠に対応する徒歩自動車道の隧道が出来た。
これはあらゆるトンネル旧道にとって致命傷です。
峠起点に見れば西南西に真っ直ぐ進む形になります。
後述する状況もあり、上手くすれば四輪車でもここまで来る事も出来なくはないかも。
もちろん登山者がいるので、お勧めは全く出来ませんが。
それほどの広さがあります。
峠由来というよりは、八十八ヶ所山の弘法寺の関係ですかね。
峠にも孫嫡子神社(まごちゃくしじんじゃ)があり、宗教上でも重要な地点だったことがわかります。
湯尾城跡に到達!
湯尾は古くは柚尾とも書いたようです。
城といっても天守閣がある平城ではなく、砦の機能を重視した山城です。
しかし確かに他の場所より広いですが、こんなところにという印象。
もしかしたら湯尾峠の石垣は純粋に道のためのものだったのかもしれませんね。
なるほど、ここから2つ目の堀切から下ったところにあるというわけですね。
これは重要な情報です。
僕を古峠に連れて行ってください。
よろしくお願い致します!
ところがですよ・・・
尾根沿いに・・・
ずら~っと
ひたすら・・・
地蔵行列!!
この規模ははじめて見ますわ。
ずっとですもん。
そして僕はここで重要な見落としをしていたんですが、気付かなかったわけで・・・。
南に下る方向(古峠がある方向)にブル道があったので、ちょっと下ってみることにしました。
しかしここまでくると明らかに行き過ぎなんですよね。
掘割、どこだったんだろう・・・?
これはちょっと怪しかったんですが、明らかに風景が違いますし、何より下った先に峠(尾根の鞍部)がある気配が皆無だったので違うと判断。
戻るとしましょう。