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この道往けば act2

金津吉崎の謎の穴 後編

2018.06.13 10:11

いざ、入洞

異形の穴へ突入します。

まず目立つのがこの天井。

天井がこれほどまでに下にせり出している隧道は初めて見ます。

これに関しては一つ大きな仮説に行き着きます。

未成隧道だろこれ

ようするに完成前に放棄された悲運の隧道。

隧道というのは基本的に、①上部~中部⇒②両脇⇒③下部という順に掘られていきます。

③の下部を掘る過程で高さの調節や形の調整が行われるのですが、ここはどうも③の途中で放棄されたと思われます、


しかし小難しいことを抜きにしてもこの構図はみんな大好きですね。

どんな隧道でも絵になります。

奥が違和感あるよね。

いや、違和感というか。

あっちが正解というか・・・。

洞内は安定しています。

まあ多少の小石は落ちてますが、危機感を感じるほどではありません。

それよりあの奥が気になるよ。

全部巻きたてるつもりだったのか、ここからは素掘りのつもりだったのか。

それも今となっては謎のままです。

しかし恐らく隧道にとって最大のウィークポイントである坑口は反対側もこうするつもりだったのでしょう。

未成の悲哀を感じる場面です。

喉みたいだ・・・

巨大な鯨に飲まれたピノキオか。

噛まれないだけ救いですが。

抜けた先は地獄でした

これは嫌だ。

ここに関しては県道側からの目視確認で勘弁していただきたい。

目に見えてでかい毛虫がうようよいるんだもん。

こっちからみると隧道の苦悩が凄い。

本当は完成させたかった。

しかしその夢は潰えた。

その無念を感じます。

こちらには翼壁まであるのになぁ。

これは北側から進めていったというのが良くわかりますね。

なかなか堅牢なんですけど・・・。

いちおう他に脱出経路を探ってみましたが、現実的ではない様子。

まぁ無理すれば出れないことは無いでしょうが。

ちなみに立ってるとこもこんな状況ですからね。

これ以上藪にまみれて車に毛虫を運ぶのは勘弁なのでそろそろ引き返そうと思います。

やっぱただの穴だよなぁ・・・。

坑道とも洞窟とも、もちろん隧道とも違う独特の穴。

鉱山なんかの人道隧道とかならわからないでもないんですが・・・。

なんにせよ、こんな状態の隧道はレアだといえます。

脱出して南口に回ってきました。

しかし県道からは、全く見えません。


そこそこ大きい穴な筈ですが・・・。

緑の影が深すぎるようです。

冬は見えたりしないのかな?

たぶんあの辺。

位置だけはここからでもある程度はっきりわかります。

なぜかというと・・・、

築堤が伸びてるから

この写真だとわかりにくいですが、池を横切るように横断する築堤が現地でははっきり確認できます。

この日は藪がきつくて見えませんでしたが、小規模な橋もあるそうです。

現地のおっちゃんの話では。

そしてここが築堤の始まり。

つまりこの廃線跡はほぼほぼ、福井県道29号に重複しているということになります。

ある意味、単独区間として僅かに残っているこの場所に隧道が残っていることが奇跡にすら思えます。


そう、ここは廃線跡なのです。

それも完成することは無かった未成廃線。


吉崎鉄道(よしざきてつどう)

福井県芦原と石川県大聖寺を結ぶ鉄道を敷設しよう。

明治29年、この地の男たちはそのような夢を持ち、鉄道の認可申請を行いました。

しかしなかなか思うようには往かず、主に資金面での頓挫と再起を繰り返します。

そんな中、大正14年ついに芦原-吉崎間に免許が交付され、昭和3年に吉崎側から工事が開始されます。


しかし芦原町内での用地買収の失敗や昭和不況による資金難から工事は頓挫。

昭和9年には免許も取り消されてしまいました。

戦後に地元有志が国に申請を行いましたが却下され、ついに吉崎鉄道は未成廃線となる運命は決まってしまったのです。

跡とはつけておりますが、ほぼ痕跡は皆無です。

唯一の痕跡がこの隧道のみ。


実際、駅跡は場所が決まっていた程度で実際に建てられたことも無いそうです。

北潟橋梁にしても橋脚は建てられたそうですが、戦後湖上交通の邪魔になるということで撤去されたそうです。

その姿は見たかったなぁ。

哀れなる未成隧道。

その名も資料に残っていました。


吉崎トンネル

いかにも鉄道らしいそのままの名前。

しかしその実は、強烈な外観を持つ未成隧道でした。

いつの日か奇跡の復活劇。

ないかなぁ。


以上、吉崎トンネル編