北陸本線の石造構造物 後編
かつての石造り橋梁である深川橋梁。
ここから周辺を見渡すといろいろなことがわかります。
この手前の広い空き地。
前編でも話題に上げた、国の一大事業の予定地です。
北陸新幹線
まさにここに北陸新幹線の高架が出来上がるわけです。
その工事の関係で深川橋梁も改修されるのではないかという噂があるのです。
だからこそ、今の段階でこのレポを書こうと決めたわけですが。
今まで気にもとめていなかった場所に、なんかあることに。
あれは橋ではないのか。
あんなとこに川があったということ自体、初めての認識でした。
ゲームやドラマに出てきそうな桟橋の道。
その左にある穴をのぞき込みました。
あわよくば・・・!
外れか・・・。
まぁ当たりなんて早々出ませんからね。
気落ちせず行きましょう。
この状態ならちょっと変わった状態の歩道だな位にしか思いません。
しかし隣のあの状態を考えると、こっちにも期待が持てるというものです。
やはりか!!
石造橋梁はやはりいい。
こちらは微妙に高さが足りなかったようで、上にも継ぎ足されてますね。
そして橋脚ではなく橋台ですね。
それにしてもこの規模のものはやはりテンションが上がります!
そしてその下を歩けるってけっこう貴重なんじゃないか。
近くに工事関係の方もいらっしゃいましたが何もいわれなかったところを見ると、通行禁止でもなさそうですし。
そもそもここを自転車で走ることは少なそうですが。
というかここを知っている市民がどれだけいるのか。
RPGのダンジョンみたいです。
抜けた先も何ともいえないな・・・。
これで霧出てたり、曇ってたりしたら、完全にアンデッド系のモンスター出てくる奴だろ。
右岸は木ノ芽川との合流間近な狭い土地。
奥の華奢な橋は何の為に掛けられてるんでしょうね。
木ノ芽川橋梁の保守ですかね。
笙ノ川水系木ノ芽川(しょうのがわすいけいきのめかわ)の支流ですが、井川あたりが源流になるようですね。
ということでこの橋の名前は明示はされていませんが、
栃古川橋梁(とちこがわきょうりょう)
となるのでしょう。
鉄道橋梁の法則的に多分あってると思います。
こいつの影響がどこまで出るかはわかりませんが、少なくとも景色は一変するでしょう。
市民としては喜ぶべきなんでしょうが、すこし寂しい気もします。
ちなみに左に見える会社は我々の趣味には非常に関係のある会社。
日本ピーエスです(笑。
とりあえず狭い。
しかし車両通行止めとは書いてないので、堂々と通らせてもらいましょうか。
ここも冠水ポイントだな・・・。
ひっくいな(笑
まぁセレナちゃんでも通れるので大概の車はいけるんでしょうが。
それでもこの狭さは敦賀ではあまりないですね。
しかし問題はそこじゃない。
この闇の奥に石造の部分があるかどうか!
吉河地下道(よしこちかどう)
というそうです。
鉄道のこの手の穴で「地下道」を名乗るとは珍しい気もしますね。
個人的には吉河暗渠(よしこあんきょ)と呼びたい。
そっちのほうがしっくりくるんですが。
それほど古いものではなかったということですか。
まぁ橋ではなく暗渠なので、開通後でも工事は出来るでしょうが。
正に暗渠ですね。
さて、こうなってくると抜けた先はどこになるかが気になります。
絶対雨の日は通りたくないな・・・
怪しすぎる道です。
ただこういうの、けっこう好き(笑。
振り返ればそこは国道8号でした。
そのまま先を進みます。
そしてそのまま国道8号現道は国道27号、福井県道210号と交差します。
北陸本線は巨大なカルバートで国道27号を跨いでいきます。
特徴的な線形です
疋田隧道は今も歩行者アーチカルバートとして頑張っていますよ。
かつてあそこを通るとき、ドキドキしたもんです。
そしてここまで来ればもう、どこでこのレポが終わるかわかると思います。
新疋田駅はもうすぐそこです。
深坂隧道(ふかさかずいどう)
同じく新疋田駅からレポをスタートした深坂越を貫く県境トンネルです。
1938年着工、1953年竣工、15年もの歳月がかかったのは第2次世界大戦による中断があったため。
それでも戦前に5170mもの隧道を掘ろうと決意させたのは、やはりそれだけ重要な路線だったということでしょう。
ここの旧隧道となるのは、あの柳ヶ瀬隧道です。
1352mの柳ヶ瀬隧道は、明治15年当時日本最長の鉄道トンネルでした。
それでもなお、敦賀に鉄道を通さなければならなかった。
それほどの都市だった敦賀市、これからも存在感発揮できるよう今の我々が頑張りましょう!
以上、北陸本線の石造構造物編
完