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この道往けば act2

信越遠征第3弾 旧国界橋

2017.09.01 09:56

ついにやってきましたぜ!

信越国境!

長野と新潟の県境なんて聞いただけでゾクゾクするわ!

雨飾山(あまかざりやま・1963m)や高妻山(たかつまやま・2353m)など、日本百名山に名を連ねる名峰も多く存在するエリアです。


まぁ実際にはそれほど急峻というわけではないんですが。

日本最強の山岳地帯、長野岐阜富山のトライアングルに比べればって話ですが。

この辺りはまだ、道路も鉄道は通ってますからね。


しかしここは糸魚川静岡構造線の中心部。

地殻変動が激しい地域に穏やかな道は似合わない!

レポスタート!

国界橋(こっかいばし)

これほどまでに県境の橋としてふさわしいネーミングもそうありません。

3代目国界橋は下路アーチ橋が採用されています。

この写真には映っていませんが・・・。

そしてなんか斜めってるな、この写真。

新国界橋の長野県側には湯原トンネル(ゆはらトンネル)があります。

現道のトンネルなので湯原隧道とは別物です。

この湯原トンネルの南側に、これから向かう旧道は存在していました。


しかし2代目国界橋の悲劇により、この区間もダメージを負い、2017年現在四輪車では通行できない状況となっています。

実際はその悲劇すら序章に過ぎなかったわけですが。


蒲原沢土石流災害

(がまはらさわどせきりゅうさいがい)

蒲原沢とは国界橋が架かる沢の名前。

1995年7月11日、長野県北安曇郡小谷村に集中豪雨が発生しました。

そう、あのシェッドを葬り去った水害です。


橋というのはその機能上、水害に弱いものです。

国界橋はその影響をもろに受け、1994年に竣工したばかりの新橋が流失するという悲劇に見舞われました。

僅か1年だけしか生きられなかった短命の新道。

ラーメン橋だったそうですが、その面影を残すものは慰霊碑くらいしか現場にはありません。


そう、その翌年。

1996年12月6日上記の土石流災害が発生しました。

新橋架橋に伴う河川工事に従事していた14名の尊い命を一瞬にして泥の波が飲み込んだのです。


その悲劇から2年後、1998年に現在の3代目国界橋が完成しています。

あまりにも多くの悲劇の上に・・・。

そのため、僕は別のアプローチをしなければなりません。

諸々の事業で本日は車の探索しか許されていないのです(汗。


そこで見つけたのが国界橋の北側。

旧道へ至るであろう県道を見つけたのです。

いかにも工事用道路っぽい・・・。

福井県道204号の接続道路を思い出しました。


新潟県道375号平岩停車場蒲原線

(ひらいわていしゃじょうがまはらせん)

そう、ここはもう新潟県。

県境ギリギリですが、全線新潟県内の路線です。

新潟県糸魚川市(いといがわし)

糸魚川静岡構造線の北のどん突き。

あの奥に見えてる何かがあるところはもう長野県です。

この道は新道と旧道の接続路線だったと思われます。

一般的に新橋は旧橋よりも高いところを通ることが多いですが、ここは旧橋の方がかなり高いところに架かっている珍しいパターン。

どういう理由があったんでしょうか。

丁字路にぶつかりました。

この正面が旧道です。


目指すものは左。

いい感じで通行止めが見えています。

これは行かねばならんでしょう。

いい熟成具合だ。

ここからなら直ぐに目的地に到達できるはず。

ちょっくらお邪魔します!

奥に色々見えています。

逸る気持ちを抑えて、努めてゆっくり歩きます。

見落としのないように、こういう時こそやらかすんだから。

旧国界橋

こいつは極悪線形だ。

廃止されたのも納得です。

新潟から長野に行く場合はまだマシですが、逆だった場合。

シェッドからカーブしながら抜けた瞬間にこの橋、えげつないですよ。

しかも忘れてはいけないのはこの辺りは、全国屈指の豪雪地帯。

調子に乗ってシェッド内で飛ばせば、その先にあるのは寒風吹き抜ける谷の上です。

昭和11年竣工

立派な戦前橋です。

しかしこの橋は、けっして古さだけの橋ではありません。

何せ近代土木遺産にも認定されているのですから。

意外と少ない橋を「ばし」と呼ばせる橋です。

「ばし」と言いたいところでも「はし」とするところが多いんですが。

この蒲原沢が荒れ狂い、生まれたばかりの2代目を流失させたのです。

確かにかなり上流の川の相。

滝も見えてますしね。

あれが現在の国界橋。

3代目は2代目と同じ高さで造られているそうです。

つまりあの高さまで濁流が押し寄せたということ。

手前の砂防ダムは事故後、浚渫再建されたのでしょう。


ちなみに流失から3年間は今いる旧橋が現役復帰して、交通を支えました。

この高さはやはり必要だったのでしょうね。

先人はヤバイ川をよく知っています。

気がつけば対岸。

それほど長い橋ではありません。


そういえば福井県は「村」がなくなって久しいです。

かつては和泉村や河野村など、いっぱいあったんですが。

気がつくと寂しいもんですね。

こちらにも立派な扁額がありました。

しかし・・・、河川名はなし。

まぁ恨みありますからね・・・。

そしてこの橋。

先ほども書きましたが、ただの古い橋ではないのです。


スパンドレルブレーストバランストアーチ橋

この形式で最も有名な橋といえば只見線(ただみせん)の第1只見川橋梁(ただみがわきょうりょう・レポ未)でしょう。

アーチとトラスを組み合わせた美しい姿。

現役を退いてもなお、健在です。

これが見えたから無理言って歩いてきたんだから!!

反対から見るためには・・・

こいつしか・・・

こいつ・・・

こえええ!!!

普通に岩登ってるほうがマシだわ!

このはしごが信用できん!!

グラグラはしないんですけどね。

自分の命をこのほっそい鉄の棒に預けるのはさすがに勇気が要りますよ。

ここのところガチな探索してなかったからなぁ・・・。

ナイストラス!!

旧橋とはいえその姿は現役と遜色ありません。

威風堂々、聳え立っています。

出来れば下から見上げたかったのですが、さすがにその余裕はなく・・・。

しかしよいものが見れました。


この形式の道路橋は全国に2例のみ。

ここと北海道小樽市(おたるし)の張碓橋(はりうすはし・レポ未)しかないそうです。

非常に貴重ですが、両者とも既に現役を一歩退いていますね。

ここは2歩ほどか・・・。

それでは陸に戻るとしましょうか。

ここからは新潟県に舞台を移して、探索を続行します。
信越遠征、ここからも乞うご期待!


以上、旧国界橋編