私はなぜ、新井監督就任に反対だったのか。
監督は「感動」ではなく「組織を率いる力」で評価されるべき
この記事を書くにあたり、最初に一つだけ伝えておきたいことがあります。私は、新井貴浩監督という一人の人間を否定したいわけではありません。
また、現在の順位だけを見て「やっぱりそうだった」と結果論を語りたいわけでもありません。
実際、私は監督就任が発表された当時から、身近な人たちとの会話やSNSで、「新井監督には反対」という考えを発信していました。
だからこそ今回は、「なぜ当時そう考えたのか」を、私なりの監督論を交えながら整理してみたいと思います。
私は以前から、監督という仕事には三つの力が必要だと考えています。
一つ目は、「野球を読む力」。
二つ目は、「人を読む力」。
そして三つ目は、「組織を動かす力」です。
戦術を理解するだけでも、人望があるだけでも足りません。
個々の能力を見極め、その力を最大限発揮できる環境をつくり、一つの組織として勝利へ導くこと。
それが監督という仕事の本質だと私は考えています。
だから私は、監督就任のニュースを聞いた時、「新井さんは、この三つを兼ね備えているのだろうか」という疑問を抱きました。
その理由は、私が現役時代の新井選手を見てきた印象にあります。
もちろん、長年四番を任されるだけの実績を残し、多くのホームランを放ってきた素晴らしい選手です。
その実績を否定するつもりはまったくありません。
しかし、私自身は「チームを勝利へ導く絶対的な中心選手」という印象を持つことができませんでした。
数字以上に、勝負どころでチームを救う姿や、苦しい場面で流れを変える存在としての記憶よりも、好不調の波が大きい選手という印象の方が強く残っていたのです。
守備についても同じでした。
これはあくまで私個人の印象ですが、「何が何でもアウトを取る」という執念や、「最後の一球まで勝利へ食らいつく」というプレースタイルよりも、堅実に役割をこなすタイプの選手という見方をしていました。
だから、幼い頃から私の中では「すごい選手」と「憧れる選手」は必ずしも一致しませんでした。
さらに、私が強く違和感を覚えた出来事がありました。
阪神へのFA移籍です。
より良い環境を求めることは、プロとして当然の選択肢です。
それ自体を否定するつもりはありません。
しかし、移籍会見で語られた広島への思いと、実際に選択した行動との間に、当時の私は一貫性を見いだせませんでした。
私には、「自分の意思で新たな挑戦を選ぶ」という姿勢を貫く方が、むしろ潔く映ったと思います。
もちろん、当時とは違う見方をする人も多いでしょう。
実際、多くのファンはその姿に心を打たれ、新井選手の人柄や広島への愛情を感じたのだと思います。
その受け止め方を否定するつもりはありません。
ただ、私は昔から、人の評価を感情だけではなく、「行動の一貫性」という視点で見てしまう性格です。
だからこそ、新井監督就任のニュースを聞いた時も、「感動的なストーリー」ではなく、「組織を率いるリーダーとして、どのような実績を積み重ねてきたのか」という視点で考えていました。
そして、その問いに対する私の答えは、当時も今も変わっていません。
だから私は、就任当初から反対だったのです。
私が監督として不安を感じた、本当の理由
私が監督就任に不安を抱いた理由は、単純に現役時代の成績やプレースタイルだけではありません。
もっと根本的に、「監督という役職に必要な経験を積んできたのだろうか」という疑問があったからです。
私は組織を見る時、いつも一つの視点を持っています。
それは、「その人は組織の中でどの立場を経験してきたのか」ということです。
組織には、必ず中心となるリーダーがいます。
そして、そのリーダーを支える右腕もいます。
どちらも組織には欠かせない存在です。
しかし、その二つは似ているようで、求められる能力はまったく違います。
右腕は、リーダーの考えを理解し、それを現場へ落とし込む力が求められます。
一方、トップリーダーは、組織全体の方向性を決め、責任を負い、結果を出す覚悟が求められます。
私は現役時代の新井選手を見ていて、後者よりも前者の印象を強く持っていました。
もちろん、それは決して悪いことではありません。
優秀なナンバー2がいるからこそ、強い組織は成り立ちます。
しかし、ナンバー2として優れていることと、トップリーダーとして優れていることは別問題です。
私には、新井選手は阪神時代には金本知憲さんという圧倒的な存在の近くでプレーし、広島復帰後には黒田博樹さんという精神的支柱とともにチームを支えた印象が強く残っています。
もちろん、優勝は一人で成し遂げられるものではありません。
新井選手自身も三連覇に大きく貢献した一人です。
しかし私は、「この人自身が組織を先頭で引っ張り、勝つ文化をつくった」という経験がどれほどあったのか、その部分に答えを見つけることができませんでした。
だから私は、「名選手だから監督に向いている」という考え方に違和感を持っていました。
野球が上手いことと、組織を動かすことは全く別の能力です。
現役時代にどれだけ素晴らしい選手だったとしても、それだけで監督として成功する保証にはなりません。
むしろ私は、監督とは「人を動かす仕事」だと考えています。
采配はもちろん重要です。
しかし、それ以上に重要なのは、選手が自ら考え、自ら動き、チームとして同じ方向を向ける環境をつくれるかどうかです。
私は以前から、「野球を読む力」「人を読む力」「組織を動かす力」の三つが監督には必要だと考えてきました。
この考え方は、新井監督就任以前から変わっていません。
だから私は、就任当初から期待よりも不安の方が大きかったのです。
もちろん、監督は就任して初めて評価される仕事です。
だから当時の私は、「自分の見立てが間違っているなら、それはそれで嬉しい」とも思っていました。
強いカープが見られるなら、それに越したことはありません。
しかし、数年が経過した今でも、私が当初抱いていた疑問は完全には払拭されていません。
それは勝敗だけではなく、試合後のコメントやチーム全体の雰囲気、選手との向き合い方などを見ても、「組織をどう変えていくのか」というメッセージが、私には伝わってきにくいからです。
監督は、勝てば称賛され、負ければ批判される厳しい立場です。
だからこそ必要なのは、その場を収める言葉ではなく、組織を前へ進める言葉と行動ではないでしょうか。
私は今でも、監督という仕事は「感動を与える人」ではなく、「組織を勝たせる人」であるべきだと考えています。
そして、その考え方こそが、私が就任当初から反対だった理由の本質なのです。
私が本当に伝えたいこと
ここまで読むと、「結局、新井監督を批判したいだけの記事なのか」と感じる方もいるかもしれません。
しかし、私が本当に書きたいのはそこではありません。
私が問いかけたいのは、「私たちは監督を何で評価しているのか」ということです。
私は、現役時代の実績や人柄、感動的なエピソードが監督就任の後押しになること自体を否定するつもりはありません。しかし、それらはあくまで一つの要素であり、本来最も重視されるべきなのは「組織を率いる力」ではないでしょうか。
監督の役割とは、采配だけではありません。
選手が力を最大限発揮できる環境を整え、同じ方向を向かせ、勝つための組織をつくることです。
だから私は、試合後に「選手は悪くありません。責任は監督の私にあります。」という言葉だけでは、組織は強くならないと思っています。
もちろん、責任を引き受ける姿勢は監督として大切です。
しかし、それ以上に重要なのは、次に同じ失敗を繰り返さない仕組みをつくることです。
プロ野球は、努力を評価してもらう場所ではありません。
結果を求められる世界です。
だからこそ監督には、「頑張った」という言葉ではなく、「勝つために何を変えるのか」を示してほしいと私は思います。
現在のカープを見ていると、選手一人ひとりが力を発揮できていないように映る試合があります。
これは選手だけの問題ではありません。
組織には必ずリーダーがいます。
組織が機能していないのであれば、監督を含めた首脳陣が「どうすればチーム全体の力を引き出せるのか」を考え続けることが必要です。
私は昔から、前田智徳さん、黒田博樹さん、石井琢朗さんのように、野球を深く理解し、厳しさの中にも信念を持って組織を導ける人物に魅力を感じてきました。
また、長年カープ一筋で歩み続けた松山竜平選手には、現役生活で培った経験を、いつか次の世代へ還元してほしいという期待もあります。
もちろん、誰が監督になれば必ず勝てるという保証はありません。
監督という仕事は、それほど簡単なものではないからです。
だからこそ、私が一番願っているのは「誰が監督か」ではありません。
広島東洋カープという組織が、もう一度「勝つために何が必要か」を本気で考え続ける集団になってほしいということです。
私はカープが好きです。
だからこそ厳しいことも書きます。
批判をしたいのではありません。
強いカープを、もう一度見たい。
その思いだけは、子どもの頃から今まで、一度も変わっていません。