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この道往けば act2

2017年度京都遠征第1弾 大波隧道

2017.02.21 09:40

京都府北部が熱い

僕の住む福井県とは隣接するこの地域。

しかし県内の中央部にある敦賀市からは石川県と並んで微妙に遠いこの地域。

しかも仕事や用事で行く機会も少なく、なかなかここを目的に行かないと訪ねる機会の少ない地域です。


ですが我々としては気になるものを見つけたら行かなければなりません。

そこに何があるか。

ご覧頂きましょう。

レポスタート!

京都府舞鶴市(まいづるし)

福井県とは隣同士となる京都府北部の中心都市です。

軍港として栄え、敦賀市の古橋群金瀬橋のように嶺南地域にも大きな影響を与えた街です。

そしてそれは現在の舞鶴市にも色濃く残っています。

そしてそんな舞鶴市に気になるトンネルを発見。

「新」があれば当然「旧」もあるよね。

これは行く価値があります!

そしてここが軍港都市だったという証明。

舞鶴引揚記念館(まいづるひきあげきねんかん)

引揚というのは戦争によって取り残された日本人を、シベリアや朝鮮半島から帰国させるために開始された帰還事業です。

昭和20年から33年までの13年間、全国で唯一フル稼働していたのがこの舞鶴港でした。

その記念館のすぐそばが探索のスタート地点となります。

その引揚記念館を背にすると、明らかに怪しい光景が。

・・・でもなんか、机上調査で見た景色と違う・・・。

非常に分かりやすい新旧の境目。

しかし非常にいやな予感。

車止めがあるということは、車道としては使われていないということですが・・・。

この手のパターンは過去に何度か経験してます。

黒崎隧道大谷隧道群旧道のパターン。

聡明なる皆様なら既にお気づきでしょう。

現役施設化

やっぱりこのパターンでしたか。

しかし事前調査の段階では藪に埋もれた旧道を見ていただけに残念でなりません。

今も生かされているのは喜ばしいですが・・・。

擁壁の石積みはそのまま残されていました。

矢筈積みが美しいですね。

そして正対。

大波隧道(おおなみずいどう)

昭和18年竣工、太平洋戦争真っ只中の完成です。

そもそも半島というのは本土防衛にとって重要な役割を果たす地形です。

舞鶴港と半島先端を結ぶこの道は非常に重要だったことがうかがい知れます。

鶴高冲

読み不明ですが、沖の異字体として使われているのなら、高く遠く羽ばたく鶴(もちろん舞鶴と掛けて)ということでしょうかね。

いろいろな意見があるようで正解は分かりませんでしたが。

石造りの排水設備。

こういうのを見ると本当に凄いなと感心します。

技術は決して嘘をつきません。

ちなみにこの現役施設の名前がけっこう好き。

大波隧道配水池(おおなみずいどうはいすいち)

隧道の名前残してくれてありがとう!

無かったことにされることのほうが多いのに、こういう心遣いは嬉しいもんです。


さて、どう見ても通過は不可能なので、反対側へ回るとしましょう。

久々のワープ!

大波隧道南口はトンネルより少しだけ南から分かれています。

しかし大丈夫、すぐ分かります。

ものすごく目立ちますから。

こんなわかりやすいのもなかなか・・・。

隠す気はないということか。

相手にとって不足はないな。

暗かったら普通に道があると思って乗り上げそうなレベル。

歩道との段差はけっこうあるので、確実に痛い目見ます。

良くありがちな矢印の誘導反射板もありません。

他の目印をあえて探すとすれば、このお墓でしょうか。

カーブの曲がり口にあるので分かりやすいです。

ちょっと失礼しますね。

さて、そろそろ向かうとしますか。

直線からの急カーブ。

緩和曲線など知ったことか!

いかにも昔の線形です。

そこから展開されるのはいかにも旧道らしい光景。

やろうと思えばここまで車は入ることも出来そうですが・・・、

ここでシャットアウト。

しかし引き抜けるタイプなので、関係車両は入るんでしょうね。

刈り払いの差は歴然です。

過去の写真を見ればよく分かりますよ。

実はこの時点でチラ見してます。

しかしあえて目はあわせない!

ちらちら見えてるものは魅力的ではありますが、凝視するのはマナー違反。

紳士的な態度で向かいます。(何の話)

こっちの方が廃隧道らしい

道の荒れ具合がそう感じさせるのでしょう。

施設としては向こうが正門、こちらは後門のようです。

隧道と朽竹ってなんでこんなに似合うんでしょうね。

海に近いはずなのに凄く山深く見えます。

こちらの扁額には隧道名のみ。

しかし大波隧道とはいかにも海沿いらしい名前ですね。

このあたりの字名ですが、いい名前を頂いたもんだと思います。

コンクリートを利用した無骨さの中にアーチ環や笠石といった装飾を忘れていない過渡期の隧道。

その姿は戦時中という特殊な状況下もあいまって独特な姿を今も残しています。


この美しい外観は現役施設として残っていくことでしょう。

それも一つの幸せかもしれません。


以上、大波隧道編