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この道往けば act2

旧北陸本線 曽々木隧道跡周辺 部分的生存確認編

2016.08.17 00:55

国道脇斜面の上に現れたかなりの規模の廃道。

もともと北陸本線の跡地でしたが、道路として転用されたことがよくわかります。

そしてそんな舗装路の上に根を広げる気合入った木

ラピュタとか、未来少年コナンとか思い出したよ・・・。

この根性はすごいです。

誰だ!!
ここにゴミを捨ててるやつは!!

藪が薄くなったこの場所には集めたのかと思うくらいゴミが溜まっていました。

いつかゴミ袋を持ってきて掃除してやりたいレベル!

国道脇という立地はこういう問題点がありますね。

なんでここだけと不思議になるくらい丸見えなこの場所。

下から見上げると舗装こそ見えませんが、明確な平場が確認できます。

それでもこれほど広いとは思いませんでしたが。

築堤がそのまま山肌にぶつかり解消されました。

つまり山肌を経敦ルートに移行したということになります。

何か施設があるとしたらこういうところ。

ちょっと期待が高まります。

おっと、ゴム管の向かう先に函があります。

これに使われるのかと思ったらまさかのスルー(笑。

本当にどこまで行くんだこいつは。

この辺りはいわゆるゴミ以外にも、廃棄物っぽいものも散見されました。

これはコンクリートブロックですね。

苔むして、いい味出してますがゴミはゴミです。

相変わらずの道幅を保ったまま、廃道は続いていきます。

しかし逆にこの道を使わなかった理由はなんなんでしょうか。

現8号と遜色ない広さを持っているように見えますが・・・。

なんかあの電光掲示板を見下ろすのって新鮮ですね。

都会でならありますが、この山の中で廃道から見下ろすのはなかなか面白い経験でした。

日常にない景色が見れるのもこの趣味の楽しいところですよね。

この鉄柱は!

標識の鉄柱の跡!!


ここにきて明確に道路時代の遺構が現れだしました。

この道の正体は北陸本線、ひいてはその後身である柳ヶ瀬線の歴史を紐解けばわかります。

昭和32年の深坂トンネル開通による新線以降で、取り残された旧線は柳ヶ瀬線として生き永らえました。

しかし、その営業末期は日本一の赤字路線と呼ばれ、鳩原ループの完成に伴い昭和39年には廃止となります。

ところが困るのはその地域の住民。

赤字路線とは言え、その地域の人たちは当然足として使っていました。


そこで考えられたのが路線跡を道路化してバスを走らせる案。

国鉄バスと呼ばれたこのバスですが、当該区間は一時なんと「バス専用道路」となっていたのです。

つまりこの道を正確に言い表すなら

「国鉄バス柳ヶ瀬線バス専用道跡」

とでも言えばいいのでしょうか。

かなり珍しい道路であることは確かです。

残念ながら何の標識かはわからずじまいでした。

位置的にはカーブ注意とか落石注意とかですかね。

警笛鳴らせとかレアの可能性は低そうだな。

ここで本格的に舗装が見えてきました。

何かしら理由がありそうな雰囲気です。

またタイヤか・・・。

これ厄介なんだよなぁ。

水溜まるんで蚊が発生するんですよね。

・・・ここまで朽ちたら関係ないか。

一体いつの代物だろう・・・。

舗装が本格化してきました。

さぁ何が出るかが楽しみです。

路面が半分削られてスロープにされている(笑。

もしかしたらこの区間は私有地の可能性があります。

でも僕が来たほうには通行禁止なんて書かれてませんでしたし・・・。

明らかに現道から旧道を利用した空間への移動のために作られたスロープ。

この正体はなんとなく察しはついています。

ですよね

古い国道脇にはよく見られるお墓。

ここはかなり立派なものです。

このアクセス路として整備されているということですか。


しかしこの際その理由はどうでもいい。

現役時代に近いからこそ見つけられるものもあるはずです。

ほらな!