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この道往けば act2

深坂峠 駅から始まる旅路編

2016.06.23 02:29

わが町、敦賀。

敦賀市は古くから港町として栄え、奈良時代以前から角鹿(つぬが)として知られていました。

多くの歴史の舞台となり、幾人もの先人がこの敦賀の地を踏みました。

つまりは日本の玄関口として、北陸への入り口として、そして畿内への関門として、機能し続けているのです。


現在でも重要港湾である敦賀港を擁し、高速道路では敦賀JCTが、一般道では3本の直轄国道の起終点となり、鉄道では小浜線の分岐駅であり、関西近郊路線図では北端の駅とされます。


つまりは古くから現代に至るまでずっと交通の要衝だったという事。

三方を山に囲まれた敦賀にはその道沿いに峠ができていきました。


今回紹介するのはその中でも最古と呼ばれる峠。

木ノ芽峠と並び北陸への入り口として機能し、今もその名を残す峠。

深坂峠(ふかさかとうげ)

それではレポスタート!

新疋田駅(しんひきたえき)

今回のレポはここから始まります。

理由は単に最寄の駐車場がここだったからですが、かつて鉄道風景100選なるものにも選ばれたことがあるというログハウス調の駅舎が印象的です。

そして駅にはつきものの案内看板。

ここにもしっかり描かれています。

深坂古道(ふかさかこどう)

それが今回歩く道の名前です。

疋田側の描かれ方は破線、つまりは徒歩道です。

久々の徒歩による峠探索、気合入れていきましょう!

追分(おいわけ)という非常にわかりやすい分岐点。

かつての七里半越と深坂越の交差点だったことに由来する地名でしょう。

琵琶湖の湖西湖東を分ける最も北の分岐点かもしれませんね。

国道161号との分岐点にこんなわかりやすい看板が。

駅の案内図に記載されていることからも観光地化されていることがよくわかります。

春の陽気が似合う里の光景。

かつてこの道を籠や馬に乗った人たちが通ったのでしょうか。

石垣からは歴史を感じます。

いや、いい場所ですね。

集落を抜けると、そこには野原が広がっていました。

これはおそらくもともとこのあたりも集落だったのでしょう。

過疎化により畑が高配した結果と思われます。

右手の廃墟が何ともいえない寂しさを演出しています。

ここで橋が現れました。

五位川(ごいがわ)の支流ですがお名前はちょっとわかりませんでした。

しかし僕はこの橋を渡ることはありません。

川沿いを左折!

こちらが古道の入り口です。

看板を目印にしていれば間違えることはないでしょう。

ここからが本当の探索スタート!

・・・熊鈴はつけてますよ。

だいじょうぶだいじょうぶ。

この道、もしかしたらかつては石畳が敷かれていたのかもしれません。

その名残と思しき石が序盤各所に残っています。

かつての北国街道、さすがの重要度です。

入り口にはこんな立派な案内看板が。

内容は読んでいただくとして、とりあえず370mの峠だそうです。

確かに周辺の山々に比べると低いですね。

道自体は非常に広い。

やはり道の格はかなりのものです。

安心して歩けますね。

そしてこの道、中部北陸自然歩道の一部にもなっているようです。

看板どんなけあるんだよ。

正直もう、

情報溢れすぎて分けわからんくなってきた

過去最多レベルで現れます。

最初に左折した五位川支流はいつの間にか川ではなく沢になっていました。

曲がりくねるせせらぎを道は突っ切っていきます。

いよいよ道が古道らしくなってきました。

登山道よりも広いこの道幅、歴史を感じますね。

キノコには詳しくありませんが、これはあれですよね。

サルノコシカケ。

漢方になるんでしたっけ?

高齢者の方の山歩きにも向くんじゃないでしょうか。

午後からの探索なのでほとんど人とはすれ違いませんでしたが。

そしてここから・・・、

アクティビティが始まる!!