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この道往けば act2

石川遠征第4弾 鞍崎隧道 後編

2016.05.21 02:04

旧道を制覇した僕は鞍崎隧道の前まで戻ってきました。

しかしそこでふとした違和感を覚え、左手に目をやってみました。

踏み跡??

海側に伸びる人間による踏み跡らしきものを発見。

僕は誘われるようにこの踏み跡を進み始めます。

そしてこの場所に出る。

そして岩場になんかあるのを見つけちゃう。

あそこまでは少なくとも行けるということか・・・。

そして僕の足元には・・・。

怪しすぎる小道が・・・

これはもはや遊歩道の域を越えている。

なんかの管理道なのか・・・。

はたまた・・・?

写真ではわかりにくいですが、徒歩道だから許される勾配で下って行きます。

いわゆる登山道レベル。

しかしこの時点で僕の頭には、この道の正体に対する仮説が浮かんでいました。

アカンことになってる木橋・・・!!

これはなかなか醸してるな・・・。

渡れるか?

渡り切って撮影。

橋を支える地盤などのヘルスチェックの結果片足を載せる程度はセーフと判断。

体重をなるべくかけないようにして渡りました。

これはいわゆる桟橋ですね。

明らかに崩れた跡に架かっているのが堪りません。

振り返るとこんな感じ。

正に一筋の小道です。

特に最初の急こう配はえげつなかった・・・。

まさにへばりつくように小道は岩場へ続いていきます。

そして人工的な何かはいよいよはっきりとその姿を見せてきました。

出た!!!

その顔見せてもらおうか!!

漁場基点標(ぎょじょうきてんひょう)

どうもここを起点として漁場が区分けされているというだけのようです。

だけといったら失礼かもしれませんが、道好きとしては最もがっかりなパターン。

道らしきものもいこの岩場で終わっているように見えました。

つまりこの標識の保守の為だけの道ってことですか・・・。

岩場の上に平場を見つけては突入を繰り返しますが、やはり道は続いていない様子。

僕が疑っているこの道の正体。

それは鞍崎隧道の旧道に他なりません。


ここには他に道が無く、隧道が掘られる前の道があってしかるべきなのです。

もともと道はなかったという可能性もありますが、ここに関してはありえません。

ここには確実に江戸時代から続く道があったはずなのです!

一瞬切通しを疑いましたが、どうも自然地形の様子。

仕方ない。

こういう場合、とる行動は一つ!

逆側へ!!

狙うはお地蔵様の裏手。

実はここ、最初に来た時から唾をつけておいた地点でもあります。

ここだけは勾配がなだらかでつけ入るすきがあると踏んでいました。

そんじゃちょっくらお邪魔します。

踏み跡あるじゃん!!

薮に隠れて見えませんでしたが、いざ突入すれば明確な文跡がありました。

その規模も反対側と同レベル。

続きとみていいのでしょうか?

しかし海沿いの踏み跡は信用ならない。

なぜならば我々よりはるかにメジャーな趣味の人々が多数利用しているからに他ならないから。

そう・・・。

フィッシャーマンズロードの疑いが・・・。

あの人たちもサンサイスト並みにどこにでも現れるからな・・・。

これも海食洞というんでしょうかね。

踏み跡はこの下に続いています。

隧道とは呼べない異形の空間ですが、全国的には天然の穴を利用している道はあります。

福井県の呼鳥門はその最たるものですしね。

道は続いてるんだよなぁ・・・。

道がある以上行かざるを得まい。

本当にここが旧道だったら、なかなかの特異点です。

道は若干岩肌を上っているようにも見えます。

ただあれはなんかやばくないか。

さすがに険しすぎるような・・・。

こりゃもう無理だ。

少なくともこのルートではないということ。

他に行けそうな箇所がないか探ります。

これは・・・!

さすがに無理か・・・。

失意の撤退。

旧旧道は波に削られて消滅したのだろう。

この時はそう思っていました。

そう、この時は。

この記事を書いているときに気づいてしまった可能性。

灯台への道が旧旧道だったのではないか。


しまったなぁ。

行っておけばよかった・・・。

次来れるのはいつの日か。

しかしその時には必ず・・・、


以上、鞍崎隧道編