岐阜遠征第2弾 下多良橋
国道365号
ここは岐阜県大垣市(おおがきし)上石津町地域自治区。
旧養老郡上石津町(ようろうぐんかみいしづちょう)です。
大垣市の飛び地であるこの地域自治区は2006年に大垣市に合併したもの。
もう9年も前になるんですねぇ・・・。
ちなみに奥に見える橋が現国道365号。
手前に見えるものは今はスルーで(笑)
全て現役ですが、今回はスルーしておりました。
しかしその最北部にあたる場所で、目の端にとらえたこの橋。
次回はここを探索してみようと思わせるには十分な佇まいを見せています。
いい味出してるぜ!!
この時点で何ら情報はありませんでしたが、曇天の下で見るこの橋に僕は魅入られました。
さて、じっくり観察してやるぜ!!
下多良橋(しもたらばし)
旧道の下多良橋は鍛冶屋川(かじやがわ)に現道の方は牧田川(まきた)にそれぞれ架かっています。
ちなみに牧田川はこの先で多良峡を作り出しています。
詳しくはこちら。
さらにその旧道はこちらです。
この辺、なかなか熱いな・・・。
さらにそこに苔がむしてより味が出ています。
橋脚も国道使用と言える立派なものですね。
現国道から見かけたので、僕の初見はこちら側からでした。
3径間のガーダー橋、風格が漂っています。
RCとはまた違う雰囲気がありますね。
野尻橋と違って破損もなく、比較的きれいな状況と感じました。
丸吉組さんですか。
この辺りでは有名なのかな?
名前の確認を失念したのが痛いところですが、この辺りの名前の付け方から行くと「鍛冶屋川橋」となりそうですね。
あってるかな?
上石津農道(かみいしづのうどう)
広域農道ってわけでもないようですが、混雑も少ない国道365号があるのにあえてこの立派な道を作った意図は何でしょうね?
気になるところではあります。
こちらはお決まりの平仮名バージョン。
ということは最後の一つに僕の知りたい情報があるはず・・・。
昭和二十八年三月竣工
62歳、還暦オーバーです。
朝鮮戦争終息の年にして、高度経済成長の始まりの年ともいえます。
バカヤロー解散の年でもありますね。
戦前かと思ったら戦後生まれでしたが、なかなかどうして。
日本の戦後復興の全てを見てきた橋ともいえました。
やっぱりいいわぁ・・・。
この佇まいが堪りません。
道の雰囲気も相まってタイムスリップした気分が味わえます。
下多良橋のシンボル
疲れ切った信号標識。
こいつはいつからここにあるんだろう?
元は黄色だったのかすら怪しいですね・・・。
旧標識の一種なのかな?
たまたま見かけた橋の割には楽しめました。
こういうのがあるから遠征は楽しい。
他にもこの旧道はじっくり観察したいところです。
以上、下多良橋編
完