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この道往けば act2

泉暗渠 後編

2015.05.13 07:07

なんという静謐な空間

トンネルを抜けた先に湧水。

この空間にいるだけで、仕事に疲れてステータス異常の僕のHPがジワジワ回復していきそうです。

もしこのブログを見てここに訪れる方がいたとしても、地域の皆様のご迷惑にならないようにお気を付けください。

まぁここに限らず、この趣味の基本ですが・・・。

泉村(いずみむら)発祥の地

泉村はかつて敦賀郡(つるがぐん)に所属していた村です。


明治4年  敦賀県泉村発足(泉村自体は元から存在)

明治7年  敦賀県敦賀町に吸収合併(泉村消滅)

明治8年  敦賀県消滅、滋賀県の管轄となる

明治12年 郡区町村編成法施行 敦賀郡発足 滋賀県敦賀郡敦賀町の一部(月見町)となる

明治14年 福井県復活 福井県敦賀郡敦賀町の一部(月見町)となる

      月見町が分離独立し、泉村復活 福井県敦賀郡泉村となる

明治22年 町村制施行 敦賀町に吸収合併し泉村消滅 


なかなか波乱万丈な村だったようです。

反骨精神が凄いというか。


泉村が市町村としての村として存在した時期は、明治4年から7年の3年間と明治14年から22年の8年間。

つまり11年間しか存在しなかったある意味レアな村と言えます。

その泉村の象徴がこのこのおしょうずだったのです。

泉の奥には立派なお地蔵様がいらっしゃいます。

ここがどれだけ大切にされているかがわかりますね。

手を合わせて辺りを探索します。

足元には立派な仏像も・・・。

探索は4月でしたが、花祭りは過ぎてたんですが・・・。

こういうスタイルなのかな?

このお地蔵様は長寿を願うものでもあるようです。

おしょうず自体も長寿の効能があるとされ、地域の人たちに親しまれて飲まれています。

僕も何度か美味しく頂きました。

まだ道は続いている。

何度かここには来ていますが、この道の先を意識したのは初めてでした。

続いているからには行かなきゃならない。

最後に振り返って一枚。

もはや神々しくすらありますね。

光と闇と水の演出。

HPも回復したし、行くとしますか。

地蔵堂の横に続く階段。

軽く廃の領域に突入してますが、こちらからの通行量を物語っています。

まぁほとんどがあの穴を通ってここに来るんでしょうね。

振り返るとこんな状態。

こちらから見る構図は珍しいかも。

道はⅤ字型に折り返し、さらに築堤を登っていきます。

まぁこの時点で行先は容易に想像できます。

ここに出たか!!

現金ヶ崎トンネル手前のお寺の駐車場。

ここは盲点でした。

確かに位置的にこの下です。

国道8号から直で泉に来れる道があるとは、まったく知りませんでしたよ。

ちゃんとこんな看板あったのね。

無意識に運転してるってことだなぁ。

やっぱり地元は穴場かもな・・・。


上から見るとこんなアングル。

なかなか斬新です。

取り敢えず戻りましょう。

最後に見たいところもあるので。


それは一番最初の敦賀港線の踏切。

泉から流れ出た川は暗渠内を通って流れ出ていました。

ということはあるんじゃないの?

橋梁!!

もっとも簡素な造りのガーダーです。

しかしちゃんと橋台まであるあたりが、JRの底力ですね。


しかし悔やまれるのは最後まで暗渠の名前がわからなかったこと。

そのヒントもここに残されていました。

湧水踏切(わきみずふみきり)

そんなのありって名前ですが、名は体を表してますね。

やはり泉に関する名前が、この立地にはふさわしい。

仮称ではありますが、やはりここは、


泉暗渠(いずみあんきょ)

という名前がしっくりきます。

もし正式名称が判明したら、またお知らせします!


敦賀の誇るセーブポイント。

今後とも、あの静かな空間を留めてほしいものです。


以上、泉暗渠編