にゃんにゃん探偵チャーリーの冒険 ~ザ・ゲーム~・第12話 『ジャン・コクトー、あるいは崩壊するパラダイス』
はじめに、今回の熊本地震で被災されたすべての方々に、深いお見舞いを申し上げます。
ニュースの画面に映し出される避難所の光景を見るたび、僕は胸の奥が冷たく締めつけられるような感覚を覚えます。冷たい体育館の床の上で、見知らぬ人々と肩を寄せ合って横たわる「雑魚寝」の光景。政府には早急に被災者に寄り添った対策を実行してほしいもんです。
雑魚寝、その光景を見ていると、僕は震災とはまったく別のお話として、ふとジャン・コクトーの『恐るべきこどもたち』を思い出します。あの物語のなかで、美しいだけの子どもたちが、雑多な家具に囲まれて身を寄せ合い、戯れ、雑魚寝する「部屋」は、大人たちの都合や退屈なルールから完全に隔離された、美しくも妖しい聖域(パラダイス)でした。あるいは、かつての日本の村落にあった「お籠もり小屋(若者宿)」というシステムも同じだったのかもしれません。若い男女(若者組)が小さな小屋に集まり、雑魚寝をしながら夜を明かしたあの場所は、単に婚姻媒介の機能としてだけではなく、貧しさや過酷な労働から束の間だけ逃れ出るための、民俗学的にいえば、一種の「臨時のパラダイス」だったのかもしれません。人間が不条理な現実を生き延びるためには、ときとしてそうした「身を寄せ合う秘密の部屋」が必要なのだと思います。
もちろん、だからといって現代の政府が被災者を劣悪な環境に放置していい理由にはなりません。プライバシーを守る仕切りも、快適な温度も、温かい食事も、人間が尊厳を持って生きるために当然与えられるべき権利だからです。巨額の予算を投じて外国から人を殺すための武器を買い漁る暇があるなら、この震災大国はもっと正しく税金を使い、人々の命と生活を守るべきではないでしょうか? 災害という悲劇すら自身のプロモーションやイメージ戦略に利用しようとする政治家たちの姿を見ていると、大人たちの浅薄さにめまいがしてきます。
世界の歪みや大人たちの嘘で揺れる現実の向こう側で、僕の目の前には小さいけれど確かなパラダイスが存在しています。クーラーのよく効いた部屋のベッドで、誰の目も気にせず体を伸ばして眠るチャーリーのいる空間です。彼と過ごすこの静かな部屋は、僕にとっての「お籠もり小屋」であり、外側の世界にあるあらゆる狂気から遮断された聖域に他なりません。
けれど、『恐るべきこどもたち』のラストがそうであるように、閉じられた楽園というものは、いつか必ず崩壊する運命を背負っています。僕たちが手に入れたと思っている愛おしい日常も、いつかは自然の猛威や時間の不可逆な流れによって失われてしまうのかもしれません。でも、だからこそ僕は、その崩壊の日が訪れるその瞬間まで、目の前にある小さな世界を守り抜きたい思うのです。今夜も静かな聖獣のために美味しいご飯を用意し、かすかな希望とともに冷えたグラスを傾けることにします。あっ、どうも。岩崎(チャーリーの飼い主)です。