偉人『ダグラス・マッカーサー No.1』
明日は81年目の終戦記念日である。今回は第二次世界大戦終結後に我が国と関係が深いアメリカ軍人ダグラス・マッカーサーを取り上げる。彼は第二次世界大戦後の日本を約6年間にわたり占領し、そして統治した軍人であるが、かなりの自信家でプライドが高く頑固であったと言われている。その反面、非常に有能でカリスマ性があり人を惹きつけ、政治的なセンスにも優れた人物であった。私が彼を思い出す容姿は軍服にサングラスを掛け、コーンパイプを加えた姿、そして敗戦国の国家元首の昭和天皇が、占領軍の最高司令官マッカーサーを訪問した時の立場を強烈に表している写真が思い起こされる。その姿も戦勝国と言う立場を表している以上に余裕に溢れた強さを感じる。ということで今回は彼の満ち溢れた自信はどこからくるのかをかなり深く考察していこうと考えている。
これまで多くの偉人伝を紐解いてきた自分なりの見解を述べると、自信家は大きく分けて2通りあり、そのタイプは安定した前向きな自信家と、自信家に見えながらも実は自信がないタイプがある。本当に自信がある人は、失敗しても「今回は失敗した。でも次はできる」と捉えることが多い、その一方で一見自信家に見えるが、実は自信がない場合には「失敗=自分の価値が否定された」と感じ、失敗を隠したり、人のせいにしたり、他人を見下したりすることがある。この前者と後者では明らかに人格形成が異なり、物事の捉え方や向き合い方が大きく異なっていく、つまりそれなりの長い年月を過ごすと人生が大きく左右されることは言うまでもない。「本当に自信がある人」は、失敗すると一時的に自信を失うことがあっても、長期的には自信が強くなりやすいが、逆に「自信がないのに自信家として振る舞う人」は、失敗するほど防衛的になり、さらに失敗を認められなくなるという悪循環に陥るのだ。ではダグラス・マッカーサーがどちらのタイプなのか。皆さんは彼がどのタイプに当てはまるのか想像しながら記事を読んでいただければと思う。
ダグラスは1880年1月26日、アメリカ・アーカンソー州リトルロックで誕生した。父親のアーサー・マッカーサー・ジュニアは、南北戦争で功績を挙げた陸軍軍人で、後に将軍となりフィリピンの軍政にも関わった人物である。ダグラスは幼い頃から父親の仕事の関係でアメリカ各地の軍施設を転々とし、兵士、軍服、軍事訓練、軍隊の規律などが日常的に存在していた環境で育っている。つまり幼いダグラスにとって、父親そのものが「偉大な軍人」のモデルであり、しかも家庭では「父親のような偉大な人物になりなさい」という趣旨の期待を母親から受けていたとされている。すでに彼は幼い頃から父親=英雄=理想像を抱いていたようだ。
また興味深いのが祖父母を含めた家庭環境である。「マッカーサー家の人間は指導する側に立つ」という感覚を家系の流れとして受け継がれ、祖父からは「学者であり紳士であること」の価値観も学んだ。つまり軍人として強くあれ、知的であれ、紳士であれ、人の上に立てというかなり高い理想を与えられていたわけである。このような家庭環境下での教えが後のダグラスの「自分は普通の人間とは違う」という自己認識につながった可能性がある。
それに輪をかけたのが母親のメアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサーである。母ピンクニーは単に子供思いの愛情ある母親だったというより、息子に非常に高い理想を持たせ、その実現を強く後押しした母親だった。彼女は南部の裕福な家庭で育ち、南北戦争で兄弟たちは南軍側で夫マッカーサーと対立する立場だったこともあり、ピンクニーの一族からするとかなり複雑な結婚だったようだ。それでも彼女は夫の「軍人としての名誉」を重視して結婚した。その後軍人の妻としてニューメキシコの辺境での厳しい軍事基地暮らしでも弱音を吐かず、強い意志を持って家庭を支えた女性だったようだ。そんな中3人の息子のうち次男のマルコムを麻疹で亡くした。この悲劇が残った息子たちへの献身的愛情に拍車をかけ、特に三男ダグラスを溺愛するようになったとされている。そして母ピンクニーはダグラスに「あなたには偉大な人間になる使命がある」と伝え続け、成功ではなく「立派であれ」と教えそこに指命があると付け加えたのである。軍人を輩出する家柄であるために「どんな犠牲を払ってでも正しいことをする」、「国家を第一にする」という価値観を教こんだ。しかしそれだけにとどまらず母ピンクニーは息子の軍人としてのキャリアを強く支えた人物として知られている。母と息子の結びつきが非常に強く、母が亡くなった時にはダグラスが大変落ち込んだと側近が史実に書き残しているほどである。
マッカーサー家に脈々と流れる家訓や使命感、そして役割などが親の教育によって施され、どのようなことが起きてしまうのかを考えてみよう。
私が考えるに親として重視しなければならないことは、「家族の価値観を受け継ぐ」ことと、「自分の人生の使命として背負う」ことは別だということだ。例えば「あなたはこの家を継ぐ人間だ」「先祖から受け継いだものを守れ」と言われ続けると、子供は家族に対して強い責任感を持つようになる一面も生まれ、「自分は何者か」というアイデンティティを築くことに繋がる。しかし一方で親の期待を自分の義務だと思うようになると少し複雑になる。「親が強く望んでいる」から「自分はやらなければならない」、もし実行できないとなると「やらない自分は悪い」と受け取ることがある。つまり親の価値観が子供の中で「自分自身のルール」に変わっていくことがある場合には、かなり注意しなければならない。その逆で強い反発が起こることもある。これまでの偉人の生き方を考えてみると、強く反発して家を出たとしても、親から受けた価値観を完全には捨てられない場合が多々あり、苦悩している偉人は少なくない。こうなると、「子供達が自分らしく生きる」と言うことへの足枷になってしまう。親として子供に伝えるべきは、代々続く家の役割や使命を子供に伝えたとしても、一番重要なのは子供自身が「自分の意思」としてそのことを理解できているかである。「親から教えられた。でも、これは自分も大切だと思う。だから受け継ぐ。」であれば健全なものだが、「本当は自分はどうしたいのかわからない。でも、家族のためにやらなければならない。」と子供自身が自らの意思にそぐわない状態で決断せざる得ない状況ならば、強制の種が蒔かれただけである。それを親が子供に背負わせてしまえば子供が大人になってどういう人格となり行動をするのかは大きな意味を持つことになる。
ではダグラスはどのように受け取ったのであろうか。ダグラスは幼い頃から大変高い理想を掲げられた家庭教育を受けており、「自分は偉大な人物になるべき人間だ」と考えて育った。また現に学業もずば抜けており、1899年に優秀校のウェストポイントに入り、1903年には94人中1位で卒業し、成績評価はは98.14%という極めて高かった。つまり理想と現実がかなり合致できていたこともあり、「自分は特別な人間だ」という意識が形成された可能性がある。つまり彼にとって家族、時に母から聞き教えられたことは自分の意思として理解でき、受け入れていたからこそ自分の人生に取り入れることができたのである。偉人の中でも親と子の間に温度差がなく、うまく合致した珍しいことであったといえよう。
しかしそんなダグラスも順風満帆とはいかなかった。ウェストポイントではかなり厳しい経験もしたようである。後にこの経験が彼をさらに精神を強靭なものにしたと考えて良いだろう。ウェストポイントに入るとダグラスは上級生から激しい制裁やいじめを受けた。学業も優秀で「自分は偉大な家の人間だ」と胸を張りプライドを持ち入学するも、「お前なんか大したことない」と上級生に徹底的に叩かれたという。その上父親が南北戦争の英雄だったことまで侮辱され、非常に屈辱的な扱いを受け、ダグラスは極度の疲労と苦痛で失神するほどであったようだ。しかし彼はここでの屈辱をバネにした。「人から見下されるくらいなら、自分が圧倒的に優秀であればいい」と言う方向に考えを切り替え努力したのである。その後猛烈に努力し、最終的にトップで卒業することになった。冒頭の本当の自信家であるか、見せかけの自信家であるかと結論を下すならば、ダグラスは正しく真の自信家である。彼の人生を幼少期から判断すると、母親の愛情をしっかりと受け同時に高い期待 を抱かれ、彼の優秀さが高い自己評価 に繋がり、やがて激しい屈辱を味わうもそれを乗り越えて成功するために努力を払う強さがあった。彼の場合単なる「自信家」という言葉で片付けるのではなく、「自分が偉大であることを証明し続ける」努力の人と言う一面もある。
最後に彼が本当に自信家であるエピソードを取り上げてこの記事を完結することにする。
軍人になってからのダグラスの人生は決して成功だけで彩られているのでなく、大きな失敗もある。第二次世界大戦初期のフィリピンでは航空機、弾薬、武器などが不足しており、特に航空戦力は日本軍に対抗するには不十分だった。日本軍の攻撃直後、クラーク飛行場などにあったアメリカ軍航空機が大きな損害を受け、地上部隊は航空支援をほとんど失った。それでもダグラスは海岸線で日本軍を食い止めようとしたが、海軍の支援も期待できなくなったことでこの作戦は維持できず撤退した。しかし一度の失敗で自分の価値を決めないダグラスは、軍人としての任務を果たし、日本統治の最高司令官となったのである。
明日が戦後81年である前日に戦争という話題が交錯する内容となり少し考えさせられるものもあるが、それでも子供達の将来について何かヒントがあれば、戦争に関する人物であったとしても貪欲に視点を変えて得られるものは得るべきだと考える。その上で平和を心から願うことを持てば良いのではないだろうか。
追伸:心から多くの子供達に心の平和が行き渡りますように。