偉人『孔子』
2回に分けて提案してきた『自己プロデュース力とは』(記事はこちら)、提案『自己プロデュース力 No.2』(記事はこちら)を受けえて、偉人は自己プロデュース力に長けたダグラス・マッカーサーを取り上げてきた偉人『ダグラス・マッカーサー No.3自己プロデュース力』(記事はこちら)を取り上げた。ダグラス・マッカーサーが自己プロデュース力の成功者と捉えると、その逆の失敗者は何処ぞにいないかと考えを巡らせていると、ふと子供が小さかった時のある一言を思い出した。というのも子供の記憶力をピカイチにするためにありとあらゆるものを記憶させる取り組みを行っていた中で、文学暗記があり現代文学、近代文学、古典、漢詩、そして論語などを暗誦させていたのである。子供が最も暗記に抵抗したのが講師の論語であり、漢字だらけの論語を先ず開き下し文に変えて読めるようにし、のちに漢字だらけを見ながら声に出して読むことを行なった。その時に言われたのが、「孔子は自分の話したいことを言葉にしただけで、論語にまとめたのは弟子たちでしょう。孔子は他に何をした人なの?」そこで私はふと気づいたのである。「あっ!本当、彼は自分の言葉すらまとめていない」子供の鋭い発言に親として頭では理解していたつもりだが、本当の意味で孔子の人生を理解できていなかったことが悔しくて、その言葉が印象深く記憶に残っていた。つまり論語は孔子本人の著作ではなく、孔子の死後弟子たちがまとめた孔子の言行録である。孔子は「人はどう生きるべきか」「よい社会をどう作るか」を弟子たちに教えた人物であるが、孔子自身は自ら思い描いたことを形にすることはできなかった。というわけで、今回は孔子の自己プロデュース力の失敗とは何かを考えてみたい。前置きが長すぎて申し訳ない。
孔子は今から2500年ほど前の紀元前551年ごろ、中国春秋時代末期の魯国(現在の山東省曲阜市)という国で生まれた。名は丘、字は仲尼。孔子は幼いころに父親を亡くし、母親に育てられた。そのため、若いころから働きながら学問を続け、特に昔から伝わる礼儀・音楽・歴史などを熱心に学んだといわれている。余りにも年代が古すぎてこれ以上の幼少期を探ることはできないが、大人になってからは、倉庫や家畜の管理などの仕事をしていたと伝えられ、その後、政治の仕事にも関わるようになった。しかし、政治家として成功することはできず、次第に人を教育することに力を入れるようになったようである。彼に3000人多くの弟子がついたのは私塾を創設したからである。孔子のもとに集まった弟子は身分の高い人だけでなく、学びたい人には門戸を広げ、弟子たちは彼のもとで「どうすれば立派な人間になれるか」「人とどう接するべきか」「どう生きるか」などを学んだ。晩年には故郷の魯に戻り、弟子の教育や古い書物の整理などを行ったとされ、紀元前479年ごろに人生の幕を閉じた。
冒頭での私の言葉だけを切り取ってしまうと、あたかも能力のない人物であったように思うかもしれない。しかし彼は50歳にして魯の国の役人として高い地位までには上り詰めるも、理想と現実のギャップで政治力を発揮することができず、わずか3年で国から追放されてしまったのである。孔子が生きた春秋時代の中国では、国同士の争いが絶えず、権力争いや利益を優先する政治が行われ、政治をめぐって君主や有力者との考えが合わなくなり追放され、また新しく雇ってくれる国は無く、弟子たちと共に放浪し、再度政治への参加への夢を叶えることはできなかった。
つまり孔子が掲げていた「人が思いやりと礼儀を持って生き、徳のある人が政治を行い、争いの少ない社会」を作るために、まず政治をする人自身が「よい人間」にならなければならない」ということは世の流れとは相いれぬものであった。53歳で職を解かれ追放の憂き目に遭いながらこの世を去る73歳までの20年間は、弟子とともに各地を流転し、理想を現実にできないまま時を過ごし、最も信頼していた優秀な弟子が亡くなり、「天は私を滅ぼそうとしているのか」と大袈裟な発言と愚痴を言い続けたとされている。孔子自身が高い理想と信念を持ち、現実を受け入れることができないまま、理想と現実に翻弄されてしまった人物であるのには間違いない。しかし貧しい環境から学問を身につけ、政治を経験した後、多くの弟子を育てた教育者、思想家になった人物である。
では彼の自己プロデュース力について考えびおみよう。
結論から言うと、孔子は自己プロデュース力がなかったから政治家になれなかったのではなく、孔子の自己プロデュース力はむしろ高く、自分の思想を売り込むために各地を回り訪れている。それでも当時の君主たちが求めていたのは、理想的な道徳政治よりも軍事力や権力争いに対応できる現実的な政治だったため、彼を登用する国は無かった。つまり孔子は、「自分を売り込む能力」はあったが、「相手が今ほしいもの」と「孔子が提供したいもの」が一致しなかったことに気づけていなかったか、或いは理想を引っ込めることができないほど燃えていたのか、もしかすると引っ込みがつけられないほど意固地になっていたのかもしれない。いずれにしても柔軟に時代を読む力があれば、彼も政治活動に戻れるチャンスはあったかもしれないが、ときに高すぎる理想や情熱は自身の道を閉ざしてしまう可能性もあるということを彼の人生から学ぶこともできるのではないだろうか。これは現代にも通じる話で、能力があることと、その能力を相手に「欲しい」と思わせることとは別なんだということである。
残念ながら孔子は政治家として自己プロデュース力を発揮できはしなかったが、教育者や思想家としては歴史上トップクラスの自己プロデュース力を発揮し成功したとも言える。自己プロデュース力を持っている人物であっても、その使用をどのような場面で行うかによって成功にも失敗にもつながるようである。