宇田川源流【日本報道検証】 北朝鮮開発ミサイルがウクライナ戦線で使われる事で日本の核開発への講義は世界平和に寄与できたのか
宇田川源流【日本報道検証】 北朝鮮開発ミサイルがウクライナ戦線で使われる事で日本の核開発への講義は世界平和に寄与できたのか
毎週火曜日と木曜日は、「日本報道検証」として、まあニュース解説というか、またはそれに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます
さて今回は、北朝鮮のミサイルがウクライナで使われていることについて、少し日本にも責任があるのではないかというような気がするという感じがしますので、その内容を見てみましょう。
北朝鮮の核およびミサイル開発の歴史は、朝鮮戦争後の冷戦期から始まり、半世紀以上にわたって段階的に深化してきました。初期の基盤形成期にあたる1950年代から1980年代にかけて、北朝鮮はソ連からの技術協力を得て原子力研究所を設立し、基礎的な技術者の育成を開始しました。同時にミサイル分野では、1970年代から80年代にかけて旧ソ連製のスカッドミサイルを入手し、それを逆解析して独自生産する能力を習得していきました。
大きな転換点となったのが、冷戦終結期から1990年代にかけて発生した「第一次核危機」です。ソ連崩壊によって後館の安全保障体制に不安を抱いた北朝鮮は、核拡散防止条約からの脱退を表明し、本格的な核兵器開発へ舵を切りました。これに対してアメリカとの間で米朝枠組み合意が交わされ開発は一時凍結されたものの、裏では開発が継続され、1990年代末には日本上空を通過するテポドン1号の発射が行われ、国際社会に大きな衝撃を与えました。
2000年代に入ると「第二次核危機」が勃発し、国際交渉の枠組みとして日本、アメリカ、韓国、中国、ロシア、北朝鮮による六者会談が設置されました。しかし、検証手続きなどを巡る対立から交渉は停滞し、北朝鮮は2006年に初の地下核実験を強行しました。これにより、北朝鮮の核開発は交渉の手段から実戦配備を目指す段階へと移行します。さらに2011年に金正恩体制が発足すると、開発の速度と規模は劇的に加速しました。政権は核戦力と経済の同時発展を図る「並進路線」を掲げ、核実験を繰り返し実施して爆発規模を拡大させるとともに、弾道ミサイルの射程を日本到達可能な中距離からアメリカ本土に達する大陸間弾道ミサイル(ICBM)へと急速に伸ばしていきました。
近年では、単に射程を伸ばすだけでなく、移動式発射台や潜水艦、極超音速兵器、固体燃料エンジンなど、事前検知や迎撃が困難な実戦的運用のための技術開発に注力しています。国際社会による長年の経済制裁や外交交渉にもかかわらず、北朝鮮は自国の体制維持と防衛力を口実に開発を一貫して継続し、現在では完全な核保有国としての既成事実化を図る至っています。
このミサイルがウクライナで使われたことに関して、どの様に考えれば良いでしょうか。
<参考記事>
ロシアが北朝鮮弾道ミサイル使用、6人死亡
2026年8月11日 16時53分 共同通信
https://news.livedoor.com/article/detail/32041571/?from_page=internal
【速報】小泉防衛大臣「国民の生命・財産守る」 弾道ミサイル発射した北朝鮮に強く抗議・非難
8/12(水) 8:32配信FNNプライムオンライン(フジテレビ系)
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4c298fa837a6c8ca3137f358ba54d4f1778ad30
<以上参考記事>
まず説得や抗議について説明すると、日本は1990年代から国連安保理決議の採択を主導し、六者会談などの枠組みを通じて国際社会とともに北朝鮮への交渉や制裁を行ってきました。さらに、北京の大使館ルートなどを通じて幾度となく厳重抗議を申し入れており、放置してきたわけではありません。
しかし、北朝鮮は自国の政権維持や対米牽制を最優先として開発を進めてきたため、国際法違反に対する抗議や経済制制裁、諸外国からの説得によって核・ミサイル開発を断念させることができませんでした。独裁体制をとる国家に対して、日本一国の説得や国際社会の抗議だけで開発を強制停止させることは、実効性として非常に難しかったというのが現実です。
次にロシアと北朝鮮の関係について説明すると、近年の北朝鮮によるロシアへの弾道ミサイル供与や要員・部隊の現地展開などは、欧米の制裁を受けて孤立したロシアと、軍事技術や資源を求める北朝鮮との「二国間の利害一致」によって急接近した結果です。北朝鮮がこの取引に応じているのは自国の軍事的・経済的利益のためであり、日本の過去の対応の甘さに起因して起きている現象ではありません。
したがって、日本の過去の抗議や外交手段に限界があったことは事実だとしても、そこから「日本の対応が原因で北朝鮮のミサイルがロシアに渡り、ウクライナの犠牲者を増やした」という因果関係を結びつけるのは、国際情勢の構造から見ても不自然であり、妥当な解釈とは言えません。
日本に憲法9条のような制約がなく、一般的な自衛軍を保有する国(例えば欧米諸国やアジアの近隣諸国)であった場合、防衛体制や軍事的抑止のあり方は日本とは大きく異なっていた可能性が高いと考えられます。
まず、憲法9条のような制約がない通常国であれば、他国からの弾道ミサイル発射基地などを直接攻撃する「敵基地攻撃能力(反撃能力)」の保有や運用、あるいは有事における反撃の意思表明を、より明確かつ早期から防衛政策の中心に据えていたと考えられます。また、自国周辺での軍事演習の規模拡大や、防衛費の大幅な増額、集団的自衛権を行使した同盟国との戦略的な一体化など、抑止力を直接的に高める軍事的な選択肢をより柔軟に採用していたと予想されます。
しかし、そうした「強い軍事力を背景とした対応」を取っていたとしても、北朝鮮が核・ミサイル開発を断念したか、あるいはロシアへの兵器供給を阻止できたかという点については、全く別の問題となります。
実際に、強大な軍事力を持ち、明確な軍事的抑止力を示し続けてきたアメリカや、通常軍を保有する韓国、欧州各国でさえも、北朝鮮による核・ミサイル開発の強行や、ロシア・北朝鮮間の軍事取引を阻止することはできませんでした。制裁や軍事的な威嚇に対しても、北朝鮮は政権の存続と対米牽制を最優先課題として開発を継続し、国際的な孤立を深める中で独自の軍事路線を貫いてきたためです。
したがって、日本が憲法上の制約を持たず通常の軍隊を持っていた場合、日本自身の防衛姿勢や即応体制はより強いものになっていた可能性が高いですが、それが北朝鮮の行動を根本から変え、ウクライナ情勢に影響を与えるほどの変化をもたらしたかというと、国際政治の実態からは非常に懐疑的であると言えます。
さて、日本だけが平和でもウクライナなどが平和でなければ意味がありません。
一国の平和が世界の安定なしに成り立たない中で、憲法9条がどのように「世界平和への貢献」として機能し得るのか(あるいはその限界はどこにあるのか)については、国際政治や安全保障の観点から大きく分けて2つの視点が存在します。
憲法9条を積極的に評価する立場では、日本が軍事的威圧を行わないこと自体が、地域の安定と平和構築に独自の形で貢献していると考えます。
軍事力による抑止は重要ですが、一国が軍備を強化すると、隣国も脅威を感じて軍拡を進め、軍縮どころか戦争のリスクが高まる「安全保障のジレンマ」が生じます。日本が憲法9条のもとで専守防衛に徹し、非核三原則を維持してきたことは、東アジアにおいて「日本が他国へ侵略戦争を仕掛ける懸念がない」という強いシグナルとなり、地域全体の過度な軍拡大戦を抑制する一定のブレーキとして機能してきたと捉えられます。
軍事介入を行わない立場を明確にしているからこそ、軍事的な利害関係を疑われずに果たせる国際貢献が存在します。例えば、紛争予防や停戦後の復興支援、政府開発援助(ODA)を通じた発展途上国の貧困撲滅や社会基盤整備などは、紛争の根本原因(貧困や不平等)を取り除く「人間の安全保障」に直結します。軍事力に依存しない平和外交のモデルを示すことで、多国間協調の理念を世界に広める役割を果たしています。
一方で、「日本だけが平和主義を唱えても世界平和には不十分である」という批判や、国際社会における実効性を疑問視する視点も強く存在します。
国連憲章が目指す世界平和は、一国の侵略に対して加盟国が協力して阻止する「集団安全保障」を前提としています。しかし、憲法9条の制約により、日本は国連の軍事的な平和維持行動(PKFの本体業務など)や、同盟国との緊密な国際法的防衛活動に限界があります。これにより、武力行使を伴う危機において国際社会の負担を十分に分担できず、「一国平和主義(自国さえ安全ならよいという姿勢)」に陥っているとの批判がなされることがあります。
力による現状変更を試みる国(例えば武力侵攻を行うロシアや核開発を強行する北朝鮮など)に対しては、憲法9条が掲げる平和主義や規範の訴えだけでは行動を修正させることができません。現実の国際政治においては、強固な軍事的抑止力や国際法違反に対する強い制裁措置が不可欠であり、日本の法制上の制約が国際社会全体の抑止威力を弱めているという指摘もあります。
憲法9条は、軍事的脅威とならないことで「地域の緊張を高めない(戦争の誘発を防ぐ)」というネガティブな形(消極的)での平和貢献には大きく寄与してきました。
しかし、ウクライナ情勢のように「国際法を無視した軍事侵略」が発生した際、それを直接力で阻止したり被害を未然に防いだりする「力による秩序維持」という積極的な形での貢献においては、法制度上の明白な限界を抱えているのも事実です。
「日本一国の平和」にとどまらず、いかに実効性をもって世界平和に貢献していくかについては、憲法9条の理念を維持しつつ非軍事支援を徹底する道と、憲法解釈や改正を通じて国際社会と一体となった安全保障枠組みへ踏み出す道の双方が、現在も議論され続けています。さて、憲法9条ん御限界をしっかりと見ておくべきではないか。それが世界平和に寄与する為に、日本人に課された義務であると考えられます。