<Unused Ideas> / 第4話 '26 安田記念・シックスペンス
▼神様は、少し不器用だ▼
最終的に、ロゴケイバではこのコピーを採用した。
時に競馬では、出来すぎた物語が生まれる。
天才・武豊騎手は突然、本命級の乗り馬を失った。
アドマイヤズームである。
入れ替わるように、別の騎乗依頼が届いた。
“幸運のお守り”を意味する名を持つ馬・シックスペンス。
父は、キズナ。
そして、この縁で安田記念を勝った。
“いいレースは、人生訓につながる”。
個人的に、そう思っている。
例えば、何かを失った時。
人生のすべてが終わったように、感じることがある。
けれど、振り返れば、その喪失が思いもよらない出会いへ繋がっていることもある。
そんな時に、思い出したい走りだと感じたのだ。
▼最初は、人生を説明していた▼
「人生って不思議なもので。失った時はショックだけど、それが新しい縁との出会いだったりする」言いたいことは、ほぼこれである。
けれど、これは彼らのコピーではなく、普遍的な人生訓だ。
彼らだからこそ、成立する言葉になっていない。
故に、ボツとした。
▼「何かを手放したら、何かが入ってくる」では、リスペクトがない▼
「何かを手放したら、何かが入ってくる」と表現することもできる。
けれど、アドマイヤズームは、自ら手放した乗り馬ではない。
突然、故障によって、騎乗できなくなったのである。
その出来事を、新しい幸運を迎えるために必要だったものとして扱うことはできない。
誰かの不幸があったから、結果的に良かった。
そんな物語にはしたくなかった。
肯定したかったのは、失った出来事ではなく、人生には新しい縁が巡ってくることだ。
ここを、履き違えない必要があった。
▼「運命は、寄り道が好きだ」▼
その後、有力候補として残ったのが、「運命は、寄り道が好きだ」だった。
人生は最短距離では進まない。
予想もしなかった道を通り、思いもよらない相手と出会い、あとから意味が繋がる。
今回の出来事を捉えた言葉としては、かなり近かった。
しかし、「寄り道」という言葉は、故障まで、物語を豊かにするための道程として肯定してしまうようにも読める。
結局、「失ったら、入ってくる」と同じ問題を解決できていない。
故に、これも没にした。
▼神様は、上手に救ってくれない▼
ロゴケイバでは、コピーライティングにかけられる時間は、1時間しかない。
その中には、本文のライティング時間も含まれている。
制限時間が迫る中、視点を変えた。
まず、懸念を抜き取った状態での言いたいことに立ち戻ると、「人生は、まっすぐには進まない。けれど、その先に思いもよらない縁が待っていることがある」である。
ならば、その縁を用意する側から考えてみようと思った。
なぜ神様は、最初から幸運をくれないのか。
何かを失わせることなく、新しい出会いを用意してくれればいいのに。
悲しい出来事のあとで、辻褄を合わせるように縁を届けるなんて、意地悪だ。
そう考えた時、「神様は、少し不器用だ」というコピーが生まれた。
▼「少し」のこだわり▼
重要なのは、「神様は、不器用だ」ではなく、「神様は、少し不器用だ」としたことでもある。
強く言い切ってしまうと、故障という悲劇があったからこそ、この素晴らしい出会いが生まれた‥という不幸の美化になってしまうのではないかと懸念したのだ。
・勝者に巡ってきた縁を、称えること。
・けれど、その裏にある悲しい現実をなかったことにして、消費しないこと。
これらを両立させるための絶妙なバランスが、この少しの表現だった。
▼何かを失い、傷ついている人へ届けたいという意思▼
今回も、多くの言葉を捨てた。
ここでは、
「何かを手放したら、何かが入ってくる」
「運命は、寄り道が好きだ」
以上をボツ案としてご紹介したが、他にもある。
どれも、言いたいことには近いが、この安田記念の文脈では絶対に使えない言葉だ。
大切なのは、競走馬の背景 / 騎手が置かれていた状況 / 故障した元の乗り馬への配慮。
そして、何かを失い、傷ついている人へ届けたいという意思だ。
そのすべてを壊さずに、成立する言葉を探す必要があった。
昨今のAIは、配慮も踏まえた言葉選びや発想も行うようになった。
時にそれは強引で、無理筋の擁護に見えることがある。
エクストリーム擁護と呼ばれる類のものだ。
人は、そういうものを感覚的に見抜き、嫌悪感をもつ。
だから、何を届けるかの判断は人間が担う。
人の痛みは、人にしかわからないから。
AIに支配されていない人間の言葉とは、そうして紡がれるものであると信じている。