レイチェル・カーソン著『センス・オブ・ワンダー』
地球の美しさに
思いをめぐらせる人は
828時限目◎本
堀間ロクなな
レイチェル・カーソンの遺著『センス・オブ・ワンダー』(1965年)と出会ったのは、もう20年ばかり前のこと。ひとりの地球物理学の女性研究者との交流がきっかけだ。
彼女は当時、神奈川県横須賀市の海洋研究開発機構(JAMSTEC)を拠点として、海洋調査船「かいよう」や地球深部探査船「ちきゅう」に乗り込んで世界各地の海底の調査・観測にあたっていた。そして、日本に戻ってきた機会に今回の航海のエピソードを聞かせてもらったりしたのだが、あるとき、そもそも自分の地球への関心を呼び起こしたのはこの本だといってプレゼントしてくれたのだった。
アメリカの海洋生物学者、レイチェル・カーソンは初めて農薬使用の危険を告発した『沈黙の春』(1962年)を執筆中に乳がんが見つかり、病魔と戦いながら、この偉大な地球環境保護運動のマニフェストを完成させた。ついで、最後の力を振り絞って後世へのメッセージとして取り組んだのが『センス・オブ・ワンダー』で、1964年に56歳の生涯を終えた翌年に出版された。その主題は、世界じゅうの若い世代に対してわれわれの暮らす地球のかぎりない神秘への感覚(センス・オブ・ワンダー)を磨いてほしいと訴えかけるところにあった。こんな文章ではじまる。上遠恵子訳。
ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。
海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。
そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。
幼いロジャーにとっては、それが大洋の神(オケアノス)の感情のほとばしりにふれる最初の機会でしたが、わたしはといえば、生涯の大半を愛する海とともにすごしてきていました。にもかかわらず、広漠とした海がうなり声をあげている荒々しい夜、わたしたちは、背中がぞくぞくするような興奮をともにあじわったのです。
こうして、甥のロジャーと地球の神秘をめぐってめくるめく旅路がはじまる。まさに散文詩というにふさわしい見事な文章だ。しかし、とわたしは思う。果たして、ここにあるのは研ぎ澄まされた透明な叙情だけだろうか? その根底には、何かもっと生々しい情念が横たわっているように感じられてならない。
そこで、思い出すことがある。くだんの地球物理学の研究者がこんなエピソードを話してくれたのだ。南海トラフ(御前崎~紀伊半島の沖合約100kmに位置する沈み込み帯)の泥を採取して熱流量を測定するため、海上の船からピストンコアラーという、直径80cm/全長5.5m/重量約650㎏のステンレスと鉛でできた槍状の機器を投下したという。ケーブルの操作によって、やがて水深2400mの海底付近に到達し、先端に装着したカメラで目標地点まで這い進んでいくと、オペレーターが「ファイヤー!」と叫んで発射ボタンを押し、モニターの画面は金属製の槍が岩盤に向かって一直線に突き進むさまを映しだした。つぎの瞬間、彼女は自分のからだが貫かれたような衝撃を受けて鳥肌が立ったそうだ。
エロティシズム。
そうとしか表現のしようがない体験だったらしい。おのれの肉体が地球とひとつになる恍惚。それは、やはり女性ならではの感受性なのだろうか?
だとするなら、レイチェル・カーソンが赤ん坊を抱きながら嵐の夜の海辺で味わったという「背中がぞくぞくするような興奮」もまた、同じ体験を物語るものだったのかもしれない。『センス・オブ・ワンダー』の結末近くに書きつけられたつぎの言葉は、死を目の前にして、いっそうみずみずしい地球とのあいだのエロティシズムの境地を楽しんでいるかのようにさえ読み取れるのである。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。