山論絵図 (写) 裏面
2026.08.19 05:01
寛保元年(1741)に裁許があった「船坂・社家郷山論」に関する絵図です。この山論の争点は、有馬・武庫両郡の境が、「仁川」の線なのか、それとも北側の「峯通り」の線なのかでした。結局、船坂村の主張が認められず、郡境は「峯通り」(図面右の太い黒線)ということになりました。線上の5か所に裁許役人の印があります。
普段見れない 展示 裏面
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寛保元年(1741)に裁許があった「船坂・社家郷山論」に関する絵図です。この山論の争点は、有馬・武庫両郡の境が、「仁川」の線なのか、それとも北側の「峯通り」の線なのかでした。結局、船坂村の主張が認められず、郡境は「峯通り」(図面右の太い黒線)ということになりました。線上の5か所に裁許役人の印があります。
普段見れない 展示 裏面