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令和8年6月度 御報恩御講 拝読御書

2026.08.19 14:32

令和8年6月度 御報恩御講拝読御書

(御講とは、我々の日々の仏道修行をどのようにすれば良いかを教えて戴く大事な時間)


可延定業御書(かえんじょうごうごしょ)

文永12(1275)年2月7日 聖寿54歳


夫(それ)病に二あり。一には軽病、二には重病。重病すら善医に値(あ)ひて急に対治すれば命猶(なお)存す。何(いか)に況(いわ)んや軽病をや。業に二あり。一には定業(じょうごう)、二には不定業(ふじょうごう)。定業すら能(よ)く能(よ)く懺悔(さんげ)すれば必ず消滅す。何(いか)に況(いわ)んや不定業をや。法華経第七に云はく「此の経は則(すなわ)ち為(こ)れ閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり」等云云。

(御書760㌻2~4行目)


【背景・概要】

 本抄は、文永12(1275)年2月7日、日蓮大聖人様が54歳の御時、富木常忍(ときじょうにん)の夫人である尼御前に与えられた御消息です。尼御前は、文永11年9月頃には病を患っており、四条金吾がその再発を案じていました。

 これを耳にした大聖人様が、尼御前の当病平癒(とうびょうへいゆ)を願い、信心を根本に病気を克服する方途を示されたのが本抄です。拝読の御文は、軽病と重病、定業と不定業について示されるところです。

 本抄では次に、法華経こそ仏様の実語であり、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)が法華経を聴聞することで寿命を延ばしたとされる故事、また大聖人様の御母堂が大聖人様による法華経の祈念によって、寿命を4年延ばすことができた事例を挙げ、尼御前も、不惜身命(ふしゃくしんみょう)の信行を通して必ず病気を克服し、無上の財(たから)である寿命を延ばすに違いないと励まされています。

 最後に、法華経信受の人を守護する諸天善神に対しても尼御前の快復を祈念する旨を述べ、本抄を結ばれています。


【語句の解説】

此の経は~良薬なり・・・法華経 『薬王菩薩本事品第二十三』(法華経539)の経文で、法華経が一切衆生の大病を癒やす第一の良薬(ろうやく)であるとの経意。末法においては、御本仏日蓮大聖人様が説き顕された下種(げしゅ)の妙法こそ、末法の衆生を救う真実の良薬となる。

閻浮提・・・古代インドの世界観で、須弥山(しゅみせん)の回りに四州(東弗婆提(とうほつばだい)・西倶耶尼(さいくやに)・南閻浮提(なんえんぶだい)・北鬱単越(ほくうつたんのつ))のうちに南閻浮提のこと。


【通釈】

 そもそも病には二つある。一つは軽病、二つには重病である。重病ですら善い医者に値(あ)い、直ちに治療すれば命を長らえることができる。まして軽病ならばなおさらのことである。また、業にも二種類ある。一つに定業、二つには不定業である。(重い)定業ですらよく懺悔(さんげ)すれば必ず消滅できる。どうして(軽い)不定業が消滅できないことがあろうか。法華経第七には「此の経は則(すなわ)ち為(こ)れ閻浮提(えんぶだい)の人の病の良薬なり」等と説かれている。


【御妙判を拝して】

 今月の御妙判では、「先ず病気の種類として軽病と重病の二種類があると示され、軽病は直ぐにお医者さんに治療して貰えば治ることができるが、重病はそれが難しいと仰せられています。二次に病を業(業病)の上から定業と不定業があると示され、定業(定まって出る業)はよくよく懺悔すれば消滅することができ、不定業(定まっては出ない業)は、定業よりは軽いく消滅することができると仰せられています。

 とは「自らの所作によって生命に刻まれた業因(ごういん)」を言います。業因とは「苦楽の果報を招(まね)く因となる善悪の行為」を言います。また、この業因が原因となって、結果として現れるのが業果(ごうか)です。

 善の業因ならば善の業果として現れ、悪の業因ならば悪の業果として現れます。いずれも自らの所作が元となります

 定業とは、業因によって作った業が定まって出る業を言います。不定業とは、業因によって作った業が定まらず出る業を言います。定業不定業と比べた場合、不定業が定業よりは軽い業です。

 ではこの業を癒やす良薬(ろうやく)を大聖人様は法華経『薬王菩薩本事品第二十三』の「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」との経文を引かれて、此の経=南無妙法蓮華経の法華経は、閻浮提(えんぶだい)の人=地球上の人の、病を癒やす良薬であると御指南されており、我々の業病を含め病を癒やす方法は、御本尊様に帰依し、大聖人様が仰せの教えを正直に励めば、当病平癒(とうびょうへいゆ)・宿業転換(しゅくごうてんかん)等を叶えることができるのです。

 また大聖人様は「よく懺悔(さんげ)すれば必ず消滅できる」とも御指南されています。この懺悔について総本山第66世日達上人は「仏法でいうところの懺悔は、正しい法を更に精進することである」(達全1-1-593)と仰せられ、正しい法すなわち日蓮大聖人様の法を更に精進して日々の信心を練磨していくことが日蓮正宗の懺悔(さんげ)であると教えられています。御先師日顯上人も「病苦の人、あらゆる苦しみに悩む人は、強盛に唱題をされたいものである」(すべては唱題から二)と御指南されています。

 また日達上人は「多くの人びともこれに導いて、そして更に一層自分が進んで、今までより多くの良い事をして、立派なることをしていくことにおいて、懺悔が成り立つのであります」(達全1-1-593」とも仰せです。これは日蓮正宗以外の人は、業病(定業・不定業)の存在を知らず、平癒する方法も知らないため、その存在と平癒する方法を知らしめるべく努めること、すなわち折伏することも懺悔方法であるとも教えられているのです。

以上より我々は

・『今病があれば』一層に大聖人様の正法を正直に信心に励み続ける。

・『今病がない』場合も、いずれ必ず訪れる病に備えて大聖人様の正法を正直に信心に励み続ける。

・病を癒やす方法を知らない人に対して、知らしめるべく、下種折伏に励み続ける。

このことを御妙判では教えられており、この御妙判を確信し自行化他の信心に励みましょう。

以上