Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

𝐂𝐨𝐫𝐞 𝐅𝐢𝐞𝐥𝐝 |𝐀𝐰𝐚𝐤𝐞𝐧𝐢𝐧𝐠 & 𝐈𝐧𝐭𝐞𝐠𝐫𝐚𝐭𝐢𝐨𝐧

「わかっていること」と「生きられること」のあいだで

2026.09.30 02:35

自分らしく生きたい、生きづらさを解消したい、と感じてから、長い時間をかけて自分の内側を見てきた、という人は多い。


でも、頭で「わかっている」ことと、それを実際に「生きられる」ことのあいだには、深い深い海峡がある。

その隔たりは、案外知られていない。


自分は何を怖れているのか。 

どんな思い込みを持っているのか。 

自分がなぜこんなふうに反応するのか。 

どこまでが自分の責任で、どこからが相手の領域なのか。 


知識を増やし、自分を大切にすることも知っている。 

他者の期待に応え続けなくていいことも、自分の感覚を信頼していいことも、頭ではもうよくわかっている。 


心理学を学び、コーチングを受け、自分自身を知った。

ジャーナリングやアファメーションで、内側を整えてもきた。


それでも、身体は想定とは違う動きをすることがある。


誰かと同じ空間にいるだけで、意識がその人のほうに向かっていく。 

相手がどう感じているか。 

何を必要としているか。 

私はどう振る舞えばいいか。 

考えているつもりすらないのに、身体の注意がいつの間にか自分の外へ出ていること。

 

そうして、呼吸が浅くなったり、身体の中心が少し遠くなったりする。 


あれ?さんざん整えてきたのになぜ?

なんでこんなふうにざわつくの?

 

以前の私は、こうした反応も「理解して」コントロールするものだと思っていた。

原因を探し当てて、捉え方を変えて。

それでより良い自分になれればいい。 


でもそれは、自分の身体、神経系の反応さえも、頭でコントロールしようとしていたんだな、と今なら思う。


人が本当に変わるときは、「理解できること」の外にその答えがある。


もう十分にわかっている、と思うようになったときこそ、見えていないものに気づきにくい。


わかる、と、できる、は違うという。

境界線という言葉を理解することと、 境界線のある身体で誰かと一緒にいることは、 同じではない。

セルフラブの考えを持つことと、 実際に自分の感覚から離れずに日常を生きることも、 同じではない。 


私たちはたぶん、たくさんのことを「知る」ことができる。 

自分を理解することもできる。 


でも、その理解が身体へ降りてきて、日々の何気ない瞬間の反応まで少しずつ変わっていくには、また別の「身体の時間」が必要だったりする。


わかった瞬間に、すべてが変わるわけではない。 


わかったことを携えながら、 古い反応をする身体とも一緒に暮らしていく。 

気づいて、 感じて、 また世界の中へ戻っていく。 


そして誰かと関わり、暮らし、時には揺れながら、 いつの間にか、以前は「知識」だったものが、 自分の生き方そのものになっている。 

そんな移行期の時間を、私はとても大切に思う。


「わかっていること」と、 実際に「生きられること」のあいだ。 

そのあいだにも、思っていたよりずっと広い世界があった。